時間は大切に、と感じる本
読書記録8日目
モモ
著者 ミヒャエル・エンデ
訳 大島かおり
これは小学5、6年生向きの児童書なのだけれとど、結構大容量で400ページくらいある。
あらすじ
町はずれの円形劇場あとに迷い込んだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気持ちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります……。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。
時間について書かれているのだけれど、これ小学生が読むものなの?ってくらい20歳の私でも心にどしんとくる内容だった。
この作品が刊行されたのは1973年で今から大体半世紀前である。
でもめちゃくちゃ今の時間のことを描かれている気がする。
今、仕事、学校、なんだって効率重視で
洗濯機も掃除機も車もスマホも時短で楽するために生まれた。
この物語では、時間どろぼうが街の平和な時間を盗んで街の人々はすべての物事を効率と生産性に捧げて身を粉にして働きまくるようになってしまう。
その街では、喜怒哀楽も無くなり、人と触れ合ったり、ぼーっとしたり、落ち込む暇さえもなく、ちょっとの寄り道がムダという概念で支配される。
読んでいるうちに、時間どろぼうは今で言うSNSの存在に似ているかもと思った。
ちょっと前にスマホ断ちをしてみたのだけれど、スマホの中の世界ってあんまり変わらない。実際重要な連絡はなかったし、返信が必要なメールはすぐに返さなくとも全然大丈夫であった。
今はしなくてもいいものばかり、スマホ世界はそんなもんだなーと。
noteをはじめたときは毎日日記を書こうと思ったけど、紙に書いた方が本音が出るし、毎日欠かさず好きなモデルさんのTumblr を見ているのだけど、毎日見ずともネットには残っている。
今見なくていいものは沢山ある。
ずっとせかせかしていたなーと読みながら思う。
今見ないと、、遅れている気がする、、
みたいな、なぞの義務感ってある。
でも友達とかちょっと繋がってなくても全然気にならない。
今インスタもツイッターもやめているけど誰からもそれを指摘されたことない笑
それくらい人って他人に興味ないんやなと思う。
他人の過ごした時間と見たり比べたりすると自分の過ごした時間がムダで情けなく見えてしまう。
そんなことはないし、楽しかったあの時や苦しかったあの時は自分が確かに心から感じたものだし、それがあってこそ自分の今があるわけでムダではない。
人とSNSみたいな物理的なつながりはなくとも、大事な人とはきちんと目に見えない何かでつながっている。
それを忘れなければ時間に支配されることはないし、自分の確かな時間を1人でも幸せに過ごせるのではないだろうか。
そんなことを思わせてくれた本でした。
また言うけど小学生が読むんだ、、
小学生でこれを読むって、めっちゃ頭良さそう、、
自分の小学生の時は1年間に読んだ本が何冊って修了式のあとに記録された紙をもらえたのだけど、冊数が人に負けたくなくて大量に図書館で借りて読まずに返す、とかやっとったのにな、、情けねぇ、、、(余談)