不安とはなんぞや
読書記録1日目
恐怖の構造
著者 平山夢明
つい昨日読み終えた。
タイトルの恐怖の構造というものから、脳の構造がこうなってるからこんな風に恐怖が生まれるのだ、、的な感じを予想していたのだけれど全然そんなこと無かった。
著者の平山さんは小説家で、ホラーを主として本を書いている。
人はフランス人形など〝人間の形をした人間ではないもの〟をなぜ恐れるのか、また、有名なホラー映画や小説などを通してなぜそこに恐れの感情が出てくるのかをホラー作家の平山さんの視点から書かれてあった。
平山さんの恐怖という概念のとらえかたは、なるほどなあと思わせられるものだ。
恐怖というのは対象が明確なので、克服するのか回避するのか選択出来る。しかし不安は漠然としたものであって、あまり対象性がないので人間は疲弊する。
ここで言いたいのは恐怖より不安の方が厄介であること。
不安というものはモヤッと形が曖昧である。
人気の占い師はこの不安をうまく利用して心を掴んでいるらしい。
例えば占いに行った時
A「この先病気になるでしょう、気をつけてください」
B「あなたの未来は明るい、大丈夫です」
Aと言われると、不安になるが、その言葉を信じやすい。
でもBと言われると、そんなはずはないという気持ちになり信じにくい。
占いに行く人は何かしらの不安を持っていてそれを輪郭づけたいと思っているのである。
だから、その不安がAのように病気になるかもしれない、という具体的なものに変化すると恐怖感とともに少しほっとする。
しかし、Bと言われると自分の抱えているモヤッとした不安は何かわからずじまいである。だから信用しにくい。いくらいいことを言われたとしても。
人間は不安を知りたがるのだ。
今、このコロナ禍で不安を抱えている。
みんなそうである。
心が少し弱っている今、不安な今、誰かから大丈夫、未来は明るい!希望を持て!と言われても何故か胡散臭いなと思う。
未来はそんな甘いもんじゃないんだ。
将来ちょっとやばいよな。
前向きな人でもどこか少しばかりそう思っているんじゃないか。
でもそんなこと言ったらな、、的な雰囲気。
そのギャップの狭間でなんとか自分を律している気がする。
明日あなたはコロナ感染します。
は、恐怖である。
明日あなたはコロナに感染するかもしれない。
は、不安である。確信をついてない。漠然。
不安はいつ何時も人の心に引っ付いてるもんだ。厄。
恐怖でもいいから腑に落ちたい。ほっとしたい。でもそんな勇気もない。
まいったなあ。