同い年の有名人が活躍すると比較して凹んだ学生時代 どんな見方をしたらよかったんだろうかと考えてみた
宇多田ヒカルさんが15歳で鮮烈デビューした時、わたしも15歳だった。
冨永愛さんが海外でも活躍するモデルになった時、わたしも同じ歳だった。
つまり、ふたりとも同い年である。
だから、なんだというのか。
年齢がどうしたというのか。
大人になれば年齢なんてそんなに関係ないじゃないか。
だが、いまだに「あ、学年は1個上なんだね~(あるいは1個下なんだね~)」とか言われたりもするし、言ってしまったりもする。
まぁ、何が言いたいのかと言いますと、
当時の我々の学年の人々はたぶん相当な数の人が、落ち込みました。
同い年なのに、なんちゅう才能の持ち主なんじゃ、と。
比較したところで、なんの得にもならないのに、比べてしまうことを止めることはできなかったなぁ。
人と比べることで、自分の存在の輪郭が分かるのが利点、みたいなことも聞いたことがあるけれど、過度に比較しすぎると、なんも良いことは起こらない。
自分をおとしめるような比較の仕方じゃなくって、どういう見方をしたら良かったんだろうか。
1.あきらめる
「いやさ、あの方は特別な才能を持っているひと握りの選ばれし人間なのだから、仕方がないじゃないかー」
2.憧れる
「いや、マジでカッコいい。なんであんな生き方ができるんだろう?マジでリスペクトだわー」
3.考えないようにする
「ええと、今日の晩御飯は何かな~、あしたのお弁当は何かな~。宇多田ヒカルさんのことは考えないように、考えないように・・・」(考えないようにしようとすればするほど、頭から離れなくなるやつ・・・)
4.とことん比較して落ち込む所まで落ちこんでみる
「なんであんなに音楽の才能があるのかしらね、生まれ育った環境からしてなんかもう違うし、なんでか英語ペラペラだし、一体なんなんでしょうね。それに比べてあたしゃぁ・・・」
5.認める、あきらめずに、質問を投げかけ続ける
「あちらのお方は、あんな素晴らしい才能をお持ちで発揮していらっしゃるのですね。すばらしい。さて、わたしには、どんな才能があるんだろうか?さて、今後どんな風に才能を発揮して世の中に貢献できるんだろう?」
ぱっと、思い浮かんだのはこんな感じでしょうか。
その他、良い案がありましたら、ぜひ教えてくださいまし。
ものの見方は、選ぶことができる。
今、この瞬間から選びなおすことができる。
それが、唯一の希望だ。