油断すると「やせなきゃ」と思ってしまう世界であるからこそ、私は「もうやせなくていいよ」という言葉を、もっと大切にしていきたい。

なぜ、「やせなきゃ」という思いを抱きやすい世の中なのだろう。
なぜ、「もうやせなくていいよ」という言葉は、あまり耳にしないのだろう。

表面的な答えは簡単だ。お金が動くから。
ダイエット食品、フィットネスジム、美容医療、ファッション、サプリメント...。「やせたい」という願望が、これだけ大きな市場を作り出している。だから、「やせなくていいよ」という言葉は、この経済システムにとって都合が悪いのかもしれない。

でも、それだけじゃないような気がする。

「やせなきゃ」という言葉には、もっと深い仕掛けが隠されているように思う。例えば、私たちの関心を体型に向けることで、もっと大切な問題から目をそらさせているのかもしれない。特に女性に対して、画一的な価値観を押し付ける道具になっているような気もする。

そして最近は、SNSという新しい要素も加わった。「いいね」を集めやすい体型の写真。フィルターや加工による非現実的な見た目。知らず知らずのうちに、比較と競争の罠に落ちていく。

誰かと比較した時に「やせなきゃ」という思いが強くなることに気づいた。将来への不安、人間関係の不安、自己実現への不安...。そんな漠然とした不安を、「体型」という具体的な対象にすり替えているのかもしれない。

このままで、いいんだろうか。

必要なのは、「このままの自分でいい」という確信なのかもしれない。それは決して、現状に甘んじることではない。自分の体と心に正直に向き合い、本当の意味での健康と心地よさを追求すること。

油断すると「やせなきゃ」と思ってしまう世界であるからこそ、私は「もうやせなくていいよ」という言葉を、もっと大切にしていきたい。それは単なる反抗ではなく、より居心地の良い社会へつながるはずの、小さな一歩になるはずだから。


いいなと思ったら応援しよう!