青果市場(やっちゃ場)が閉まった時
秋葉原駅電気街口の北側の出口から出ると、すぐ目の前に電気街のイメージとはまったく違う建物がありました。それは神田青果市場。
電気屋さんにあった懸垂幕やネオンサインなどは全くなく、白く殺風景なデザインで1989年当時15歳だった私はこの建物が何なのか、わかっていませんでした。
トラックが上層階に上がれるぐるぐる回るスロープがあって、トミカにあった駐車場おもちゃを連想させ、そのような現物を見る機会もあまりなく印象に残っています。
私が秋葉原を訪れた時は閉場していたばかりで、市場自体が閉まっていることはすぐわかったのですが、その建物の外でゴザを敷いて野菜や果物を路上販売している人たちが何組かいました。
市場の閉場に反対している人たちが路上販売をしながら、自分たちの主張をビラにして配っているのを見ました。
いまもそうかもしれませんが、当時の秋葉原はショップがチラシを勝手に配布すると警察官がやってきてすぐやめされられたり、厳しい時は万世橋警察署まで連れていかれることもあったのですが、市場の人たちのビラは警察官も目をつぶっていたのか、けっこう長い期間続けられていました。60年近くも続いてた市場と1アルバイトのチラシ配りとは重みが違うのかも知れませんが、無許可のチラシ配りに厳しい印象を感じていた私には少し意外に見えました。
私は彼らの悲壮感を感じつつ、路上販売なのにあのテンションでは売れるものも売れないなと、子供ながらに思っていたのを覚えています。
時が過ぎるにつれ、だんだんと路上販売の人たちの数が減って行き、最終的にはいつのまにか誰も居なくなりました。
いま調べてみると、当時としては日本一の青果市場とのこと。繁栄と衰退の両方を経験された、あの路上販売の人たちがその後どうなったのか知る由もないのですが、時代の変化にどのように対応するべきかを考えさせられる記憶の一つです。
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