「教える」を「学ぶ」に変換したら気が楽になった。
きっかけ=出会い
先日、スポハグカフェというオンラインイベントに参加しました。
もう何度も参加させてもらっており、スポーツに関わっていく上で大切なことが何かを考えるきっかけにさせていただいております。
詳しくは↓
スポハグカフェは、未来を担う若者が、アスリートとしても人としても育ってほしいということを願い、島沢優子(ジャーナリスト)、福士唯男(バルシューレ指導者)、安藤裕一(スポーツドクター)の三人で2018年より始めたトークイベントです。その名称には「スポーツを通して若者が育つ(人として成長する)ことを応援する、スポーツとスポーツをする仲間をハグするように愛する」という想いが込められています。
前回の第9回、「教えないスキル〜ビジャレアルの人材育成術とは」を題名に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の佐伯夕利子さんの回がとても印象的で、自分が現場に立ったときに基盤となる考え方を与えてくれました。
特に印象に残っている言葉は
①「教える=指導者が主体、学ぶ=選手が主体」という言葉で、教えよう教えようとするあまり選手の主体性を奪ってしまっている可能性があること。
②指導者と選手といっても結局は「人と人との関係性」の中で積み上げられて行くもの。教えるというより、その選手にとって価値のある学びになるような情報を提供するという解釈があっているということです。
今回は印象的だった言葉と、それらを踏まえて私が感じたことを綴っていきたいと思います。
何かいいこと言わなきゃいけない病にかかりがち。
私が筑波大の男子ハンドボール部のアシスタントコーチになってから一年が経とうとしています。これまでもイベントや小学生ハンドボールクラブの現場でコーチングの機会がありましたが、ほぼ毎日関わるチームは初めてでした。
その当時、私の頭の中では
「コーチ=教える人」な考えが充満しており、特に練習中は指摘できることがないかどうか必死になって探していました。
ひどいときはパッと見で指摘できそうなことがなかったときに、ミスしそうな選手のプレーを自分の記憶から検索していたこともあります。
毎回毎回選手から「あ〜〜!なるほど!」という驚嘆の声を期待し、うまくいかないと自信をなくす。こんなことを繰り返していました。
しかし、①の言葉を聞いた時、これまで自分は何て自分本位なトレーニングをしてたのか気付かされました。
そうやって「教えるために用意された言葉」は自然ではなくなってしまう気がしています。選手の側に寄り添って、その選手の感覚に入り込んで発せる言葉こそ、選手たちにとっての学びへと繋がり、何より自分自身の学びになるのだと思います。
最後は人と人
以前こんなことを呟きました。
「結局は選手に信頼されている人間になれているかどうか」で、人として認めていない人の話はほとんど聞かれることはありません...
このツイートはそんな人からでも得られることはあるかもしれないという視点で書いたものです。
選手目線ではいいかも知れませんが、コーチ目線ではダメだということです。
コートの中で戦術やれ、腕をもっと上げろやれいろんなことを言おうが、結局は一人一人と対話して選手が抱えている「ハンドボール」と心を通わせられるのが本当に素晴らしいコーチなんだと感じています。
学生を指導していれば、私生活の部分でもハンドボールに影響することが多大にあると思います。そんな時に力になってあげることができるようなコーチになりたいですね。
いつもなんとなーく見てくれているけど、がやがやいうことなく、この人になら話してもいいかな。と思ってくれる。そんなイメージを持ってこれからも頑張っていきます。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
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本日もお疲れ様でした!
筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽