富山ドリームスというチームの価値って何か、考えてみた。
はじめに。
いつも敬体で書いてるんですけど、常体で書いた方がスラスラかけるんじゃないかという仮説の元、今回は常体で書いてます、ぶっきらぼうな感じで申し訳ないです。先に謝っておきます。それでは楽しんでください、どうぞ。
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6月18日土曜日、富山ドリームスとしてユニホームを着た初の試合を高岡高陵高校さんの体育館で実施した。社会人選手権間近の北電さんには感謝を伝えたい。
富山まで来てくれてありがとうございました。
この試合は一般公開はせずに、選手たちがお世話になっている雇用企業の方達、サポートしてくれているスポンサー企業、そして選手の家族が招待される形での開催になった。
ハンドボール選手にとっての価値
ここで質問。
「会場が自分達の応援で満杯になったアリーナで試合をしたことがあるか」
僕は人生で2度だけ。
1度目は2019年、茨城国体の決勝戦。地元の国体決勝、会場全体が自分達を応援してくれる中での試合。2度目は2020年、デンマークでもカップ戦、トップリーガのチームを招いて戦った試合。それまでデンマークでお世話になった家族、先生、友人がみてくれる中での試合。
どちらも心の底から力が湧き出る試合だった。
今回の試合、ハンドボールを初めて観にくる方が大半だった中で、過去に経験した2試合の感覚に似たものを感じた。たとえ声を上げていなくても、たとえ会場が大きくなくても、応援されている。観られている。という感覚が確実に僕たちに力をくれた。
スポーツならほとんどが当てはまる、これからどんなプレーを見せてくれるのだろう、そんな眼差しが注がれる中でプレーする経験は確実に選手を「プロフェッショナル」にしていくと思う。し、スポーツをやっている身からすればこれこそ競技スポーツをやっている価値のひとつだ。
たとえ100年後、富山ドリームスの選手が全く新しい選手たちの顔ぶれになっても、富山ドリームスじゃなくたって全国のチーム、将来の選手たちにはそんな場面、状況でプレーして欲しい。だから、今僕たちがやれることをする。
ここまでは僕たち、ハンドボールをプレーする側の価値について。
観にくる人たちにとっての価値
観に来る人たち、どういう条件なら観に来てくれる?
もちろん僕はハンドボールの潜在的な面白さを知っている。でも、それをアピールしても、彼女から興味のないドラマをおすすめされるような感覚に近いのではないだろうか。
面白いんだろうな、とは思うがそこで終わり。実際に身体を起こして会場に向かうまでのエネルギーには程遠い。そこまでの価値を感じてもらうためには、それ相応の利点が必要。
ワンパンマンの「連続普通のパンチ」じゃないけど
試合が見れる+知り合いに会える (サポーター同士)+美味しいものも食べれる+酔える=楽しい😇と思える、人生生きてて良かったあ、と思ってくれる。
こんな場面を生み出したい。
ハンドボールの競技の枠を飛び越えた活動もしていきたいと思っている。
僕たちがバレーボールを習いに行ったり、書道教室に行って習字をしてみたり、それこそプログラミング教室をまた開催したり。
子どもの頃は特に、自分が生活している世界にどれだけ多くの大人がいるかでその先の将来の幅が決まってくるように思う。
それは同じ競技をずっとやってきた人も同じだと感じていて、自然と考えがその競技特有の固定観念に支配されてしまう。
関わる人に「非日常」な体験を提供する、そのためにはハンドボールも使うが、ハンドボールじゃなくたって、私自身、生身の人間として価値を提供できるようになれば、それこそ最強のデュアルキャリアなんじゃないかって思っている。
終わりに
本当はもう一つ、支える人たちにとっての価値を考えたんだけど長くなりそうなので、今日はこの辺で。また書くと思うので。
一昨日の試合、多くのメディアに取り上げてもらいました。
全部ではないのですが、下に貼り付けておきます。是非見てくださいな。
富山を中心とする北陸のメディアにも取り上げてもらっていることで、チームへの期待感をものすごく感じます。
北日本新聞さん↓
北日本放送さん↓
富山ドリームス#22 森永 浩壽(もりなが こうじゅ)