ファム・ファタールの言い分 ジェームズ・M・ケイン『カクテル・ウェイトレス』
ジェームズ・M・ケインの『カクテル・ウェイトレス』について。
ジェームズ・M・ケインは、1892年生まれの“ハードボイルド”文学を代表するアメリカ人作家の一人です。
“ハードボイルド”は、“固いゆで卵”を意味する言葉だそうですが、文学においては、暴力的・反道徳的な内容を、無駄のない冷徹な文体で客観的に記すことを、“ハードボイルド”な表現と言うそうです。
今回紹介する『カクテル・ウェイトレス』は、1975年ごろに書かれたケインの未完の遺作なのですが、出版されることなく眠っていた草稿を、版権を買い取った出版社が編集し、書かれた約30年後の2012年に出版されています。
交通事故で夫を亡くした女性が、幼い一人息子との生活のために、カクテルウェイトレスとして働き始めます。夫の殺人容疑をかけられたり、息子の親権を奪われそうになったりと、様々な苦難が彼女を襲います。そんな中、大富豪の老人と、貧しいイケメンの青年から言い寄られます。“お金”、“愛”、どちらを選択するべきなのか!というのが、大体のあらすじです。
この作品、主人公の魅力に取りつかれた男性は全員、不幸な結末を迎えることからも分かるのですが、所謂“悪女”(ファム・ファタール)小説です。
一般的に、このような作品は、男性目線で語られることがほとんどなのですが、この小説、なんとファム・ファタール本人(主人公)の一人称(録音というかたち)で書かれています。彼女の独白を聞いている限り、自分が“悪女”という自覚がありません。また、彼女の周りで起こる殺人には関わっていないようで、自分の周りで人がよく死ぬことを、本当に不思議そうに語ります。
始めのうちは、主人公の独白を完全に信用しながら読み進めることが出来るのですが、どこからか違和感を覚え始めます。しかしここには、彼女の聞かせたがっていることしか語られていないため、読者は、彼女を信用するしかないのです。他の視点からこの物語を語ると、きっと全く違うものになるのでしょう。
このような“信用できない語り手”によって語られた物語は、語る視点の数だけ“真実”もある。ということを思い出させてくれます。
ところで、子供が誕生してから、息子の目の高さからの見える景色はどんなだろう?と思い、しゃがんで物事を見る機会が増えました。同じものを見ても、見え方が全然違って見えて、知らぬ間に自分が大人になったんだなーと痛感します。
2017年に制作したピアノと映像のための〈 I.ネズミのように素早く動くための練習曲 "Move Quickly (like amouse)" 〉という作品では、子供の目線よりも更に低いネズミの視点からの映像と、ネズミが素早く動き回っているかのような音楽がマッチした作品になっています。
※実際には、住んでいた部屋にネズミが出現したことはありません!!
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