2024年7月29日 久しぶりのダッカ
ビーマン・バングラデシュ航空377便は、ほぼ定刻通りの午後3時半過ぎに、ダッカにあるハズラット・シャージャラール国際空港に到着した。2024年7月29日のことだ。バングラデシュでは、全土に広がった学生デモを抑制するために、7月19日より外出禁止令が発令されていた。同日の夜からは、インターネットも全土で遮断されており、治安部隊と学生デモの衝突のもと、数多くの若者の命が失われたことも報道されていた。このようなタイミングでバングラデシュに渡航する人は少ないだろうと推測していたものの、機内の搭乗率は50%程度で、さすがに日本人訪問者の数は少なかったが、意外にも多くの乗客が搭乗していた。
空港もいたって普段と変わりはなく、入国手続きを終えて税関のゲートを超えた後には、タクシーカウンターが用意されていた。携帯によるインターネットも復活したばかりであるため、Uberは捕まえにくいと聞いていたが、空港タクシーはきちんと機能していた様子だ。迎えにきていたドライバーに話を聞くと、街はだいぶ落ちついていて、ダッカ名物の渋滞も復活してきているとのことだった。空港から街に出るまでの景色は、今までのダッカと変わることのない、いつもの混沌とした風景のままだった。
ダッカに滞在していた同僚の話だと、国内で一体何が起きているのか、現地で即座に把握するのは非常に難しかったようだ。週末に予告も無しにインターネットが遮断されたため、周囲の人たちとは携帯のショートメッセージで安否を確認しあったりしていたとのこと。インターネットもないのでネットから情報を収集することもできない。時折、聞こえてくるデモ隊のざわめきや、上空を飛び交うヘリコプターの騒音で、何か大変なことが起きていることは感じ取ることはできた。屋上からの眺めで、街の一部で黒い煙が巻き上がっていることも確認できたらしい。
僕がラカイン州で働いていたとき、武装したロヒンギャグループによる、治安施設の襲撃がラカイン州北部で発生した。その後、70万人規模の人々がバングラデシュに逃れる難民危機へと発展していったわけだけれど、情報統制が厳しく敷かれていたこともあり、同じラカイン州にいた僕たちでも、北部で何が起きているのか、即座に把握することは全く容易くなかった。危機的状況が発生すると、その渦中にいる人にとって、自分の周りで何が起きているかを把握するのは案外難しいものなんだなってことを今回も改めて確認することになった。
7月30日の時点では、外出禁止の時間も短縮されつつあり、事態はだいぶ落ち着いてきてはいるようだ。インターネットもだいぶ復活はしてきたものの、FacebookやInstagramといったSNSへのアクセスはいまだに遮断されたままだ。先の見えない状況が現在も続いているが、平和かつ民主的な形で事態が収束していく事を心から願っている。
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