性被害者の周りの人らの記憶は永久アーカイブ
性被害は当事者にとってトラウマになることが殆どと言われているものだけど、人によっては時間を経て薄らいだものになったり、自らのショック療法で克服をしたり…、様々な自己防衛を時間をかけてしていると思う。時にその古傷を自分の傷のように感じて涙するひともいる。その人が許容範囲を超えた憤りと悲しみで他人に吐き出す事もある。
言えば言うほど、その記憶は血の気を帯びて命を吹き返して、まるで今それが行われているかのような出来事になってしまう。
私はその事を陰鬱な過去として人に語ったことがない。言われてみれば私もれっきとした性被害者だ。
せっかくなので、あるだけの記憶を書いてみようと思う。そこまで辛くなる話ではないから大丈夫。
教室
幼い頃は、なにかと習い事に通わされていて、親が送迎してくれることもあれば、ひとりで向かう時もあった。学校と違い習い事教室の先生は、「甘やかしてくれる味方」という存在だった。
その優しい大人達は、私をよく授業の最後まで残した。ひとりの先生は、皆が帰った後の教室で私を膝に乗せて、お楽しみ会など特別な事でしか配られないお菓子を「二人で食べよう」と言って私を誘った。先生の手は私の服の上から股の部分を触っていた。私は何かいけないような気がして何度もその手を退けていた。それから「トイレに行こう」と言われて、何の疑問も持たずについていった。このメンツの連れションとかまずないという常識もわからない子どもだったから。仕方ない。
「おしっこしていいよ」と言われて、丁度尿意があったのでしてしまった。その頃は世の中の大半が和式のトイレだったので、後ろから股を覗ける丁度よいシステム。この後どうやって家に帰ったかの記憶がない。
などなど。その後の記憶がない出来事はいくつかあった。
駐輪場
別の時には、同じマンションに住む男子校生の家に遊びに来ていた友達と、駐輪場でよくはちあわせた。言葉を交わしたことはない。ある日、自転車を止めた後、人影に気づいて振り向くと、彼は下半身を出して立っていた。この、「ただち〇こを出しているだけ」のことが、強烈に「恐ろしい」という記憶として残っているはなぜなのか。
ある日、同じ学校に通う女の子たちが、露出癖のある男に出くわしたという話をしていた。彼女たちは気持ち悪がりながらも笑っていた。私はその時、「なぜ言えるのか」と疑問に感じていた。かなりの頻度で遭遇していた私は口が裂けても言えなかった。勿論、笑えない。
だいぶ長いこと、マンションの駐輪場に一人で入れなくなり、通学路の路肩に停まる車を避けるために遠回りをして家に帰った。心臓が嫌な動きをする危険区域だらけの通学路。ものすごく面倒な生活をしていた。
例の習い事の先生が車で通るのを見かけると、私は手をふっていた。少なくとも彼は私を傷つけてはいない。私が「恐ろしい」の学習をした相手は、先生と駐輪場の彼の間に会った誰か。
一体誰のものなのか。私に恐怖を植え付けたち〇こは。それだけは未だミステリー。
容姿はどうでもいい。「穴から出して」
しっかりと脳に刻まれた恐怖の対象は、いずれ、不可欠の「性癖」として変換される。
私が大人のセフレたちにもれなく「ヘンタイだな」といわれる所以はそこにある。
烙印
快楽、トラウマ、残るパターンはその他もあるかもしれない。いずれにしても当事者にとってそれは不滅の出来事。事実は当事者のもの。たとえ傷つけた相手を殺したとしても、誰にどんな言葉をかけてもらったとしても、無意識の中に色褪せず残るもの。
こんな目にあっても尚生きているのはなんで、って思ってるひとのなんと多いこと。その事実を忌まわしいものとして扱われる度に罪悪感は増幅する。
なぜ罪の意識をもつ必要があるのかわけがわからないよ。勝手に悲しまれて責任を押し付けられているだけ、と思っていいのでは。
かつて理不尽に弱者としてはけ口にされた私は現在、男を性処理道具扱いしている。勿論そうすることが正解ではない。誰かより強いわけでも弱いわけでもない。
むかしの知り合いに小児愛の男性がいた。何度か捕まった経験がある様子。どうにもできない生理欲求を頭ごなしに憎悪したい欲求もこちらにはある。しかし、更生だとか懺悔とかしたってムダらしい。脳の回路がそのような作りになってることを知った。倫理的な問題もあるが、なにがしかの処方で性欲求を失わない限り無限ループの性犯罪。そういう意味で、男に生まれなくてよかったと思う時もある。
私には何もどうすることもできない。でも女であることを後悔したくない。
おわり