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N高等学校を馬鹿にしたら大学生になって自分が馬鹿にされた話

自分が馬鹿にしていることや、嘲笑って一蹴していることは、ひょっとしたら未来を大きく変える力を持っているのではないでしょうか。

自分はある一つの経験から馬鹿にされていること、常識外れとされていること、固定観念を逸脱している物ほど、新しい価値が潜んでいると感じるようになりました。

馬鹿にされる=常識外れ=新しい価値を生み出す

ということです。



例えば、N高等学校という高校があります。

この学校は通信制の大学で、書類審査で入れてしまう学校です(2017年当時)。つまり、入学に学力は関係ないのです。

中3の当時、N高等学校に進学を決めた友人がいました。

しかし、その話を聞いて、自分はその人を鼻で笑い、馬鹿にしました。

何故なら、自分は当時、

「そんな試験なしで入れるような学力が低い集団の集まりに入って、ろくな人生にならないに違いない」

とか、

「遠足がドラクエって舐めてんのかよww学校だぞww」

と、学校というものの固定観念に無意識に縛られており、

「こんなの学校じゃない」「成長できない」「N高等学校に進む人は彼も含めて全員堕落するに違いない」

と感じていました。

しかし、今となってはどうでしょう。

確かに堕落している人もいると思います。

しかし、N高等学校では紀平梨花さん、みちょぱさん、キメラゴンさんなど、様々な分野で活躍する有名人を輩出しています。東大の合格者が出たことでも話題になっています。

また、実際のHPを見てみると多くの在校生が自分の好きなことに打ち込めているように見えます。真実はともあれ、昭和、平成と続いてきた普通の学校ではこのような環境は作るのが難しいように思えます。

ネットの高校、よくよく考えればどこもおかしくはありません。

直接人と話ができなくても、ネットでチャットを交わすことができれば会話に大きな支障はありません。直接学校へ行って大勢の人と一緒の閉鎖空間で一緒に授業を受けるよりも、家で授業を受けられたほうが時間の節約にもなります。

それはそれで「直接会わないと友人関係が作りにくい」だったり、「直接の会話と違ってネットの文章での会話は文に細かく気を使う必要がある」といった新しい問題が浮上してきますが、重要な部分はそこではなく、「ネット上でも学校はやっていける」ことではないでしょうか。

これからの時代、「好きなことを仕事にできる時代」と言われています。

自分は中学当時、ゲームは好きでしたが「ゲームなんて将来役立つはずがない」と考えていました。

コロナで大学の対面授業の必要性が議論されている中、寧ろこのN高等学校のやり方は時代の1歩先を行くものだったのです。

遠足がドラクエ、そう聞いた瞬間当時中学生の自分は笑い飛ばしました。

何故なら自分の中に「遠足はみんなで直接集まって足を動かしてやるもの」という固定観念が植え付けられていたから。

大学生になり、N高等学校の注目を知った自分は、まるで自分が馬鹿にされているように感じました。

あれほど自分が「ろくな大人にならない」と考えていたN高等学校は、今自分が最も身を置きたい、「自分のやりたいことに熱中できる環境が用意されている場所」だったのです。

自分は中学の頃から「ちゃんと勉強しないと立派な大人になれず将来詰む」「今までのやり方でやってこれたんだからこれからも同じようにやるのが最善」と考えてきました。どうやら学校教育によってそう考えるように洗脳されていたようです。

固定観念って、恐ろしい。


私はそれ以来、何か変なことを世の中で見つけたとしたら、それを興味を持って観察するようにしています。

そこには自分の知らない世界が広がっており、とても勉強になります。

皆さんも、

もし、自分が馬鹿にして嘲笑っているものがあるとしたら、

一度立ち止まって、それをじっくり観察してみることをお勧めします。


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小次郎
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