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「リクルートで評価された人間だった」プライドが完璧に打ち砕かれ、裸一貫で勝負することになったスタートアップCOOの生々しい挫折とカオスの日々

株式会社Nateeの代表をしてます小島です。

本日、弊社はシリーズBラウンドとして4.2億円の資金調達を発表致しました。

こちらに我々の思いも込めた特設サイトも公開したのですが、経営陣の生の声もきちんと届けたいと思って、Nateeの共同創業者であり、現取締役COOであり、僕の大学時代からの友人である朝戸のインタビューをお届けします。

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本当は彼の書いた記事を公開する予定だったのですが、あんまり出来がよろしくなく(笑)、僕がインタビューする形式でお届けできればと思ってます。

「仕事は頑張っちゃいるけどなんかモヤモヤする」「もっと熱量の高い仲間と挑戦したい」「自分も殻を破ってもっと本気で仕事に打ち込みたい」そんなことを考えている方にとってはめちゃくちゃいい記事と自負してます。

傍からどう見えていても、スタートアップの熱狂の渦の中はドロドロしているのが常であるという、カオスの片鱗がお届けできればと思ってます。なんと1万字ありますが、気づけば最後まで読んじゃうはずです!

なぜNateeに入ることにしたんですか?

新卒でリクルートキャリアに入って、1年目2年目は高い成果も出せずに苦労もしましたし、悶々とする日々も過ごしました。でも3年目に一皮むけることができて、たとえばクライアントがやったことのない海外インターンシップを作って学生さんが修羅場を経験する機会を提供できたりとか、過去2年では味わうことができない広さで仕事ができた期間でした。

会社の中の組織においても、自分の業績や仕事への姿勢だったり、自分の発信が、当時70人いた自部署にポジティブな影響力を渡せている実感があったんですよね。毎日70人に向けてメッセージを送って、今日もこういう仕事がんばっていきましょうとか、毎日鼓舞してそれに後輩が乗っかってくれて、その姿を見て古参の先輩たちも営業頑張るとか。グループじゃなくて、関西の部単位で事業と組織の渦の真ん中にいる実感がありました。

自分を育ててくれた部署に恩返しして、この部署の雰囲気と視座を上げるのが自分の仕事だと思って、その使命感で働けていた時期が3年目でした。その結果として部内表彰の常連になったりとか、全国の表彰もノミネートされたりとかしながら、「同期の中でもかなり注目される存在になっているよね」という社内評価をもらって、間違いなく良いスパイラルに入っていた状態だったんです。

2018年の10月〜2019年の3月までが上記の通り自分が一番ノッていた時期で、そんな中で大学時代からの友人である小島から「一緒にスタートアップをやらないか?」って誘いが来たんです。2019年の2月だったかな。その連絡をもらったときは転職するつもりは、ぶっちゃけなかったです。

とは言え、そもそも実力不足から目の前の仕事ができなくて苦しんだ2年間から、客観的に見ても飛躍したと言える3年目を過ごしていた中で、このままマネージャーに早めに上がるのか、新しいチャレンジをするのかっていうキャリアに対しての葛藤が生まれ始めていた時期ではあったんです。

そんな悩みの中で孫さんの本を読んだ時に、300年の視座で会社経営をしている姿に基準の違いをまず感じ、その孫さんが憧れているという坂本龍馬の本も手に取るようになり、年末年始をずっと徹夜するくらい『竜馬がゆく』を読みふけりました。26歳で脱藩して日本を変えようとした坂本龍馬の人生を見て、当時25歳だった自分も「人生における決断経験を積みたい!」とそんなことを考えて年を越したのを今でもよく覚えています。

まずは視野を広げようと思って月に1回海外に行くと決めて動いていた時に、小島から「Nateeとしても方向性をガッチリと固めた上で、わずか15分のテレカンで調達が決まった」という知らせを受けました。2019年、リクルートで全社表彰されるくらいの基準を持って昇進を目指すのか、自分で起業するのか、小島と一緒にやるのかという3つの選択肢を具体的に考えるようになったんです。

2019年の3月くらいまでは関西の営業部を立て直したいという気持ちが一番強かった。恩師が在籍しているうちに「この人を男にしたい」と思って、部の成績も全国トップクラスにまでなって、それで4年目の4月を迎えたんです。前述した通り、グローバルに事業展開をしているオーナーから、「新卒の初期配属をインドにするくらいの思い切ったグローバル採用をして、血の入れ替えをしながら会社の次の成長を作りたいんだ」って話をもらって、この仕事に本気でコミットしたらクライアントにもすごいインパクトを与えられるし、自分としてもグローバル規模の案件になるし、っていうのでめちゃくちゃワクワクしながらやっていた仕事があったんですね。

「修羅場経験を積みたい人が本当にインドに行きたがるのかを自分の目で視察させてほしい」ということを提案して、そのオーナーとも会社とも交渉して、GWにインド出張の切符をゲットしたんです。当時、このグローバル採用プロジェクトと、若手たちの成長を形作るところまではリクルートでやりたい気持ちが自分の中では強かった。

だけどやっぱり「そのレベルでいいんだっけ?」という自分に対する違和感がずっとあったんです。リクルートの中でそれをやっても100%満足はできなかったし、表彰されることももちろん嬉しいけど、幸せってほどでもないなとか、キャリアに対する違和感はなぜか残っていたんです。

一方でNateeが掲げている「人類をタレントに!」っていうミッションに対しては心から共感はあって、あーいうのいいよなとか、自分にはビジネスを構築する能力はないなって自覚はあったから、自分で起業しても個人事業主の延長みたいになっちゃうなとか、いろんな選択肢がぐるぐる頭の中を巡り巡っていました。

それでインドに行く飛行機の中でたまたま『グレイテスト・ショーマン』っていうサーカスの創始者を描いた映画を観て、もう衝撃を受けて、バカみたいな話なんですけど、それでNateeへの入社を決めたんです。主人公であるバーナムは、世間で蔑まれていた「ひげ女」や「小男」などをショーの舞台に出して、彼らを大スターにした人。その姿や『This Is Me』という劇中歌を聞く中で、「俺は個性と才能が爆発する様を創りたいんだ」って、本気でそう思えた瞬間でした。

また、インドについた後のこの出来事自体が自分の転職を裏づけたわけじゃないけど、よくわからんマイルドヤンキーみたいな学生インターンの運転するバイクの後ろに乗せてもらって、「俺はインド10億人の中で大学を出てる。俺には10億のリソースを使う権利がある」みたいなことを口にしていて、リクルートでちょっと世の中影響力の高い仕事をして、自分で意味づけするのってただの一つの見方でしかないんだなって。世界は広いんだなって、そう思いました。

あと、別のスラム街に行った時に、貧困層の子供がTikTokのTシャツを着てたんです。リクルートの人材メディアの担当として自己満足にひたっても、世の中の大きいトレンドに対しては影響力が少ない。一方でインドのスラム街の子供がTIkTokのTシャツを着てたのには、影響力の差を非常に感じた瞬間でした。

要するに、大企業の意味付け的な呪縛から解き放たれたんですね。同期の中でどうこうとか、しょぼいなって。同期のグレードを聞いちゃったり、そういうの。そんな感じでNateeに入ることを決意して帰国して、GW明け初日にマネージャーに辞めるって伝えました。その後は現実、日常が待っていたけれど、2日後に執行役員、その2日後に部長、また別の部長っていう感じで毎週面談してもらってました。

「リクルートでマネージャーまでやるかどうかで見える景色が全然違う」「本当にやりきったって言えるのか。最後まで実現することと描いて終わることは違うぞ」とか「今は副業も当たり前なんだから、まずは副業からでもいいだろう?」とか「個が生きる世の中を作りたいのはわかるけど、お前らしい登り方としてTikTokが正しいのか?」って散々諭されて。極めつけは部長から「グローバル採用プロジェクトだけにしていいから、残って一緒にやらないか」って言われました。

毎回話す度に「自分はやっぱりリクルートで挑戦したほうが良いんじゃないか」とか「この1年頑張れば、ロールも代わって経営に近いことがやれないのか」って思うこともありました。あとは「これだけお世話になった人たちに背を向けて、泣かせてまで行くのか俺は」っていう恩義ブロックがすごくて、ぶっちゃけ揺れに揺れました。

小島とはそのあたりについても率直に話をしていたところ、「経営という領域に挑戦するなら、正解が何かわからない中で、決めるというのが仕事なんだ。自分の人生なんだから、それくらい自分で決めろよ」とちゃんと説教されたんです。

インドから帰ってくる時は決めさえすれば進むと思っていたけれど、日本に戻ってきたら、以前した約束を破らざるをえなくなった人もいたし、このタイミングなのかって泣かれることもあったし。今思えば、「決断」という二文字の中で、決めることはできたけど、断つことができてなかった。

それで改めてどっちが良いんだっけ?って思った時に、世の中が変わることと、自分がやりたい世界観が見えたことと、それができる環境がNateeにはあるって思えるのに、(挑戦してダメだったらそれで良いけど、)そもそも挑戦しないのはありえないなって。

もう一度腹が決まって、退職交渉をしてくれた方たちに、「やっぱり無理です。めちゃくちゃ嬉しいんですけど、今船を降ります。」って伝えました。そこからは、正直早かったですね。最後は自分を新卒の頃から面倒見てくれてた役員が、休日に東京から大阪に会いに来てくれて面談をしました。「半年前はお前こういう仕事していきたいって言ってたじゃん」と言われたものの「それでも僕決めたんで」と伝え、1時間の面談が40分足らずで終わって、退職が決まりました。

今でもケンカ別れのような形で、顔向けできない役員の方もいます。正直思い出すと心が苦しい時もありますが、決断というのはそういうことだと今は納得しています。決めて、断つこと。全部の仁義は通せない。自分の人生を歩むというのは、その義理も不義理もすべて受け入れていくってことなんだと最近はよく思います。

晴れてNateeでやるぞということで、小島と株式比率を決めようとなって、半々というよりはいろんな事例を見たり、その時投資を決めてくれていたEast Venturesの金子さんにも相談したりして、二人の持ち分にはちゃんと差をつけた状態で始まりました。その時は出資をするお金がまったくなかったので、電話で最終合意をしたその足でアイフルで100万円借りて、そのまま会社に振り込んだんですよね。退路を断つってこんな感じなんだなぁって心境でした。あとはやるだけという。

入った後は実際どうでした?

リクルートを辞めるまでの間は、月火水は大阪でリクルート、木金土日は東京でNateeの仕事、というダブルワークでしばらく生活をしていました。東京に来た時は小島の家に泊まったり、スーパー銭湯に泊まったりして、日曜日の終電か月曜日の始発で大阪に戻ってリクルートの仕事をしてっていう、もうかなり限界でした。

これは笑い話ですが、その期間どっちにも味方がいなかったんですよね(笑)。リクルートでは半分冗談交じりに「お前まだいたんだ」と言われ、Nateeでは「いつから入るの?」と言われ。居場所がなかった数ヶ月間でした。

まずは事業をどう進めていくかをいろんな人と話そうと思って、東京にいる自分の知り合いとか名刺とかFacebookを眺めてアポを取って、この事業がお金になるために何をやったらいいかを一旦インプットしようという時間を持っていました。広告ドメインだったので、大学時代の同期の中で電通に行った友人たちに会いに行ったりしてましたね。今もご支援いただいているもりちさん(森本千賀子さん)など役職者とのアポを取ったりもしてました。

「自分はリクルートで評価された人間だった」っていうプライドが正直ありました。想像していたベンチャーの経営者、BizDevの人はなんでも屋として働ける印象がすごかった。自分もそうなれるはずだから、なんでもやろうって思ったけど、実際は市場も温まってない中でもらえる案件なんてほとんどなかったんです。当時事務所業をしていた時のタレントマネージャーと1on1をしてたら「いつ仕事来るんですか?」って毎回言われて、「お前もとってこいよ」と思いつつそれも言えず、とりあえず働く量だけ担保しようって。

2期目になって人を増やした時に、初めて自分も配下にメンバーを持つようになりました。その時、みんな自分の言う通りにやればいい、自分がやってきた道が正しいってマネジメントのスタイルで大失敗したんです。

実際リクルートでやってたことは、敷かれたレールをどう走るかでした。ナレッジもいっぱいあるし、頼れるネットワークも与えられていて、それらを使って前の年より120%クリアしてねってゲームをやっていたわけで。ルールがすべて違うのに、世の中一般ベンチャーの人より優秀なはずだ、できるはずだって思うことが多かったんです。

実際自分にできるのは会いに行って営業することしかなかったのに、自分の実力を見誤って、組織全体が疲弊する結果を招き、全てプライドだったんだなぁって。一方でそういう自分をさらけ出すのも嫌で、「なんでも屋とは程遠い、実は何もできない自分」が会社のトップにいると仲間はついてこないのでは、採用もできないのではって思っていたところもあります。自分がキャップになっているにも関わらず自分を大きく見せようとしていた。案の定やっぱり成果は出ない。

Nateeに入ってくれたメンバーとの溝はどんどん大きくなっていく一方でした。自分がそうやって頑固に自分流でやって、みんながついてこれない、成果も上がらないっていう現実があった時に、足りなさを認めて一緒に解決するということもできず、また同じことをやったらどうしようと距離を置いて、他の人に事業の運営は任せて自分は会社を食わせるという営業に集中するという意思決定をして、メンバーと会うわけでもなく、とにかく仕事を作り続けるところだけをやっていた苦しい時期でした。

結果的に期末に大きい組織のトラブルが起こり、朝戸太將という人間に対する組織からの信頼もなく、自分が目を背けてきた分が全て露わになって、メンバーと自分との間に大きい溝が明らかになり、結構、「これもう修復できるんだっけ?」ってことも考えたし、修復するというよりは会社をゼロからやり直すくらいの現実を突きつけられたのが2期目の終わりでした。

Nateeに創業1年目から出資してくださっていたアカツキ Heart Driven Fundの熊谷さんに2つ言われて明確に覚えていることがあります。一つは「起業家ファーストで、味方でいるよ」と言ってくれたことで、かなり自分自身救われたし、あくまで経営者が今後の舵取りをすべきなんだろうって改めて思わされたこと。

そして二つ目は「この規模の組織で大きい問題が起こるって、根本的に対話が足りなかったんじゃない?」ということを指摘されて、一緒に働く仲間との対話の数が不足して、自分のことを話す機会も不足していたことを実感。もう一回会社を立て直す、ゼロから作る上で大事な気づきをもらったきっかけになりました。

そっからどう伸ばしたんですか?

3期目は、権限移譲と対話と採用で組織が蘇るのを実感できた一年でした。小島と一緒に「会社をもう一回立て直すくらいの気持ちでいる。それでも残りたい人は残ってくれ」ということを全社員と2on1をして。残ってくれたメンバーに対しては、今までのやり方が間違っていたことを謝罪し、自分のやり方を変えることを約束しました。また、当時23-25歳くらいのメンバーたちをマネージャーにして、自分は得意のトップアポだったり強みを生かしたことに時間を使うようにやり方を変えました。

方法を変えたらどんどん事業と組織が一枚岩になっていくのを感じたんです。2期までの自分は、みんなと向き合うことに時間は使わなかったが、3期は「迷ったら話す」を合言葉にとにかく意識的に話すようにしていました。全員のバックグラウンドや考えていることを共有しあう時間をチームビルディングとして持って、過去どんな人生を歩んでてどんな人生を送りたいのかを分かち合って、得意なことで勝負しあえるようにって。そんな日々を繰り返してお互いを徐々にわかってきて、信頼した上で強みを活かし合う体制ができてきたんです。

ポジティブな芽が出始めたタイミングで、全体最適を考えて経営の意図を汲み取りながらメンバーとコミュニケーションを進めてくれる新しいメンバーが入ってきて、そのおかげで組織も良くなって、関係性もよくなった結果、以前よりは安定成長できるようになりました。それで深くお付き合いできるお客さんも生まれ、「TikTok売れ」という大きい転換点を迎えることもできて、結果的に会社としても立て直す一年になったのかなぁと。

とは言えそれは結果論で、変化する過程においては大変なことがいっぱいありました。改めてあったのは、一つはマネージャーと話をする中で、事業全体を動かす難しさは感じました。2期目までは行動も営業で、事業を見ているというよりは仕事を取れるかどうかだけでしたが、3期も営業はたくさんしていたけれど、事業を見る時に十数人をどうまとめていくか、を考えた時に、自分が戦略が得意ではなかったので、「結局全部やれってことですか?」とマネージャーにフィードバックされることもありましたね。

何を取って何を捨てるかという、自分以外の人も関わる決断を迫られることが多くなったんです。組織としてどうやって事業伸ばすんだろうは正直まったくわからなくて、まったくわからないからみんなと一緒に考えるしかないけど、最後はわからないなりに決断するしかない、みたいな。事業家になるという部分でめちゃくちゃ大きい壁がありました。

あとは自分の特性として、人に深く興味を持って対話してっていうのは自然にできるタイプではなかったから、結構ぶつかったんです。強みが全く違う人との間でぶつかって、お互いの得意不得意、やり方を対話して、理解し合うっていう人間関係の難しさをたくさん感じていました。ジュニアメンバーも多かったから、どこまで要求したらいいんだろうとか、「全部巻き取ります!」と言ってくれたマネージャーが働きすぎて倒れてしまったりとか、自分のマネジメント能力が低くてチームに迷惑をかけてしまいました。

そんな状況でも目を背けるわけにはいかないから、等身大に受け止めて、次はどうしたらいいかを考えさせられる一年でもありました。「不器用だなー、俺」というのは毎日、本当に毎日思ってたんです。悔しい。悔しいし、そこを乗り越えないと会社をよくできないなっていうのはずっとありました。

あとはめちゃくちゃ悶々としてました。業績上げるのはこんなに難しいんだってずっと思ってました。「人類をタレントに」と掲げて、世を変えるくらいのインパクトを残したいのに、こんなにも事業を伸ばすことが難しいし、遅いし、でも一人じゃ何もできないからみんなとどうやったらいいんだろうって、ありたい目指す姿とのギャップに対しては常に悶々としてます。

でも、ちゃんと自分たちの事業がソリューションになっているというのを掴んだのはこの時期で、クリエイターの力がブランドの事業成長に繋がるし、それがクリエイターに対しての価値に繋がっているっていうのを実感できたタイミングでもありました。自分の力不足は感じつつも、黒字で終えられてよかったよねとか、4期の上期までは事業計画に対してはオントレンドだったし、及第点というか、間違った方向には行ってないっていう気持ちでした。

逆に4期の下期は、「このやり方でいいのか」と悶々としていたことが露見して、事業オーナーの通信簿がP/Lにあらわれてしまった。事実としては権限移譲の遅れなんですけど、もうちょっと根本的には「遠慮」。会社全体を動かす決断をしてこなかったし、遠慮していたんです。

二期目にいろいろあってマネジメントに失敗したから、全員を生かしたい、全員のモチベーションを担保していたいという思いがあって、3期目がそのやり方で業績自体はついてきていたから気づかなかったけれど、本来だったら目指す成長率を達成するために、一人ひとりへの要望する基準とか、時に誰を褒めて誰を叱るといった、一日一日のコミットメントを全員に求めて動くべきだったのに、苦しい部分は最後自分が背負えばいいとか、要望をしない、遠慮をする、二期目のような失敗をしたくないっていう、大きな意思決定ができなかったというのはめちゃくちゃ反省があります。

人材としては優秀な人が入ってきても生かしきれなかったし、成果よりもコンディションとかモチベーションとかに引っ張られてしまったから、成果を出すために必要なオペレーションとかサービス化とかが遅れて、事業が思ったように伸び切らず、でもみんな限界まで頑張っている、みたいな悪いスパイラルが始まったんです。現実をちゃんと理解するのにも、自分も最後なんとかしようと、現場にも視野が狭く入っちゃってた。起こっていることの現実に向き合うのにも時間がかかって、手痛い半年間を過ごしてしまいました。

2期目にハードに要求してマネジメントをめちゃくちゃミスったことの裏返しとして、優しくなりすぎた。成果よりも顔色を伺い始めると全てが硬直化する。事業が伸びないという事実を突きつけられて、苦しい気持ちを味わうことによって初めて正しい自己否定ができたように思います。

今回の資金調達と発表に際して思うことは?

通常資金調達をした時って、事業の成長性に強い自信があり、多くの人をアトラクトするためにイケてる言葉を並べるPRが必要になるかと思うんです。ただ、率直に僕の心の内を話すと、そういうお祭りのようなテンションにはなれない自分がいる。

市場も伸びていて、社内にも優秀な仲間が集っている自負はあるのに、自社には閉塞感が漂う。これを打開したい。打開するためには、会社が大きくなってきたとか、会社らしくなってきたとか、業務内容が定常化してきたとか、そういった考えをすべて捨てて、全社の成果を長く最大にするために必要な打ち手を講じ、インパクトを出せるように仲間とのブレイクスルーが必要な時であると認識しています。

単純に人を増やそうとは思っていないし、ミッションに向けて会社をブレイクスルーさせることに本気で共に向き合える仲間と、ゼロからスタートアップをやる覚悟です。資金調達があったなかったに関わらず、この会社がミッションを実現するために一番大事なことは、本気で挑戦する仲間を集めることだと思っています。

現在の事業の中では適切な戦略設計、組織の構築、仕組みがまったく整っていないからこそ、会社を自分ごと化して、一緒に打破できる人を募りたいし、社内の仲間たちも全社の成果のため、ミッション実現のために要望しあっていくために変革をしている真っ最中でいる。この成長の踊り場であるという状況をワクワクして心血を注げる人と一緒に働きたいし、大企業の人とかからするとなかなか新鮮だと思う。過去にマネジメントがしたことあったりとか、事業を伸ばした自負があるとしても、非常に新鮮な環境だと思います。

改めて権限を移譲し、成果を要望し、Great Companyを一緒に創るということをやりたいんです。人生をかけてキャリアの革命を起こしたい人はぜひ一緒にやりませんか。

4年前の自分に一言ありますか?

4年前の自分に伝えたいことは、「4年後の太將は想像していたよりはイケてないし、不器用で転んでばかり。でも自分の人生を決断し、ハンドルを握る毎日は、最高に楽しく幸せ。まだ正解にできたとは言えないけど、決断をしたことを後悔した日は一日もない。」ってことですかねー。

編集後記

小島パートに戻ります。僕も最近「Natee、すごい順調みたいだね」と言われることが増えてきたのですが、会社が掲げている目標から比べると亀のようにしか前進できておらず、社内を見ても課題だらけで、会社を急成長させる、はたまたGreat Companyを創るなんて夢のまた夢なんじゃないかというくらいに距離を感じるんですよね。

それでも覚悟を持ってここまでやってきたし、やればやるほどこの覚悟は強くなっていくので、どんだけうまくいかなくても、どんだけ悶々としても、どんだけ葛藤の日々を過ごしても、踏みとどまって自分の足で歩いていくしかないんですよね。

不器用な朝戸ですが、誰よりもコミットする男の生き様を僕も隣で見ながら、一緒に創業できてよかったなと思いますし、これからも一緒に泥臭く、青臭くやっていきたいですね。

スタートアップ、最高におもしろいです。

ぜひ、少しでも心に何か刺さるものがあったら、僕らのWebinarや感謝祭に足を運んでくださると嬉しいです。

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