見出し画像

素人から書く仕事へ①|わたしはコピーライターなのでしょうか…

不詳小島、2021年をもって書く仕事を始めて30年になりました。ふり返ると、コピーライター/編集ディレクターになりたかったというより、書く仕事を続けていたらこの肩書に落ち着いたというのが正直なところ。今回は自己紹介を兼ねて、素人だったわたしがどのような道筋で書く仕事を続けてきたのかをたどってみます。何だか偉そうで申し訳ありませんが、ご興味あればおつき合いください。

1991年、高卒、額面16万5000円

 文章を書く世界に入ったのは1991年、25歳のときです。海外で遊んだり芝居をやったりとフラフラ遊んでいましたが、何をやってもうだつが上がらない。「だったら、これまでずっと好きで、自分を裏切らなかったことを仕事にしてみよう」と思ったのがきっかけです。求人誌でたまたま見つけた編集プロダクション(編プロ)に入社しました。

 90年にできた会社で、わたしは3人めの社員。「給料いくらほしい?」と聞かれて、「お任せします」と答えたら額面16万5000円でした。200時間で割れば時給換算で825円ですか。バブルの余韻が残る当時「安っ…」と思ったので、いまでもよーく覚えています。こっちはまったくの素人で学歴は高卒。仕方ありません。

 社長が日本経済新聞の出身ということもあり、仕事は日経関係がほとんどでした。月刊誌の特集制作、広告営業ツールの作成、日経が主催するイベントの告知・レポート記事など。テーマとしては、科学技術と金融が多かった。その理由は「競合他社が少なくて単価が比較的高いから」(社長)。会社として何でも断らずに受注していたら、たまたまそれが残っていったというのが正直な話のようでした。

 取材して書く、これが基本というか取材しないと書けません。だって科学技術と金融という専門性が高い分野ですもん。しかも素人。いま考えると恐ろしい。電子顕微鏡の特集で、2週間毎日2~3件、取材に回ったことがありました。最初は当然ちんぷんかんぷん、それでも後半になると基本的な事実と直近のトレンド、ニーズのようなものが見えてくるんですね。

 思い返すと、月刊誌の一特集で2週間も取材するなんて、のんきな時代でした。わたしたちが書くのが遅かったのもありますが。取材アポの電話でこちらの社名だけ出すと相手は怪しそうな対応をするのに、日経関連のメディア名を出すとコロッと変わる。メディアの力と零細企業の現実を知りました…。

書く仕事の基礎2つ。それ以上に大事なこと

 わたしに文章の書き方の基本を教えてくれたのは当時の社長です。社内で書いた原稿はすべて彼がチェックしていました。タイトル、見出し、キャプション、写真・図表、一言一句すべてです。プリントアウトした原稿に朱筆を入れてこちらに戻してくれるのですが、その朱筆がとても勉強になりました。

 勉強になったことはたくさんあります。書き方の基礎中の基礎という点で印象に残っているのは大きく2つあります。

 ひとつは「書く前に骨子を紙に書き出すこと」。骨子(こっし)、骨組みですね。取材ノートをもとに書きたいことや流れを箇条書き風に書き出して、原稿のねらいとゴールを明確にするということでしょうか。取材時に録音はしますが聞きません。音源は基本的に固有名詞や数字などの確認のため。すべて聞いていたら執筆に時間がかかり過ぎます。

 もうひとつは、「漢字を使いすぎない」ということです。当時はパソコン(ワープロソフト)が浸透し始め、やたらと漢字に変換したり、難しい漢字を使いたがる人が多かったのです。何となく頭がよい感じがするからでしょうか、漢字だけに。

 とにかく、必要以上に漢字を使うと読みにくくなるので、思ったより漢字を少なく、何を開いて(ひらがなにする)、何を閉じる(漢字する)のかを意識して書きなさいということです。

 もっと大事で具体的なこともあったはずですが、素人のわたしには骨子と漢字の使い方がわかりやすかったのです。社長ごめんなさい。

 書き方というノウハウよりも大事なことがあったのを思い出しました。それは「取材する」、つまりひとに会って聞いたことを基本に文章にまとめるということです。おそらく著名な小説家もエッセイストも雑誌ライターもコピーライターも同じでしょう。会って聞いた話が核になり、そのネタをどっちの方向に伸ばすかで仕事が分かれていくだけ。書き手の知名度の違いもありますが。

 取材して書く。それはいまでも変わりありません。実際にこの仕事を始めてみて、業務時間の1/3から半分くらいは取材関連に費やされています。取材準備に時間がかかったとしても、きちんと取材できればそのあとの仕事がラクにしっかりできます。

 自分ひとりがもっている知見なんて、たいていは多くの人が見聞き・体験したものなんですよね。いまはネットで簡単にほとんどの情報を入手できます。でも、その情報はすでに周知のもので価値は低く、一方の価値の高い固有の情報は著作権などに引っかかる可能性があります。

 周知の情報を編集整理して、付加価値を上手に高めていくのも書き手の仕事なのかもしれません。それだったら人に会って聞いた方がラクだし、なんといっても面白いのです。だから取材が大事。

引き継いだ仕事が広告賞受賞

 ここまで読んできて、「あなたはコピーライターではなく、単なる編プロ社員では?」と思った皆さん、正解です。入社3年めくらいまでは、まさに編プロの社員として、種々雑多な書く仕事をしていました。コピーライターという仕事を意識したきっかけは、偶然だったと思います。

 編プロで科学専門誌の仕事を定期的にしていくなかで、版元から広告をつくってくれないか、という依頼がきたのです。ある広告出稿主が自社ソフトウエアのユーザー訪問コンテンツを連載広告にしたいと。その制作社として白羽の矢が立ったのが当時の勤務先でした。

 なぜ当社だったのか。定期的に外注している編プロがうちだけだったからです。当時は5~6人の小さな会社でしたから、小回りが効くと思われたのかもしれません。最初は社員1号の先輩(わたしは3号)が担当し、より大きな仕事が入ったので2年めくらいにわたしへ。零細企業あるあるの担当替えですね。

 その連載企画が、なんと広告賞を取っちゃったんです。びっくりしました。取れるなんて想像もしていませんでしたし、そもそも受賞対象になっていることも知りませんでした。ユーザー訪問の連載企画だったのが当該メディアのなかで新鮮だったというのが受賞理由です。

 受賞告知で「コピーライター:小島淳」と紹介されたときは何だか不思議な感じがしました。お恥ずかしい話、コピーライターというと「1行○○○万円」というイメージをわたしももっており、制作時には広告をつくっている意識はほとんどありませんでした。いつものように取材して書いているだけ。もちろん広告主や取材先のチェックはありましたが。

 その感覚はなんといっていいのか。「これもコピーライターの仕事なのか」という感じ。文字数の多い少ないや載せるメディア・場所を問わず、企業から頼まれて書く仕事はみんなコピーライティングなんだと。正しい理解とは違うかもしれませんが、わたしはそう感じました。

 それに、仕事が楽しかった部分もあります。企業のねらいとその背景などを考えながら、広告主や代理店、デザイナー、カメラマンなどがチームとなって一緒につくり上げていくプロセス。同じ商材・テーマを掘り下げていくことで増える知識。考えてみると、広告以外でも同じような面白さを感じることができますが、私の場合たまたまそれが広告の仕事だったようです。

 かくして、新米コピーライターのでき上がりとなりました。

それでも書かなければならない原稿がある

 実は入社時に社長から「黙って3年間働けますか? 働けたら3年後には何とか一人前になると思うよ」といわれました。いまならブラックの極みですね。果たして、初めて広告賞を受賞したのが3年後。受賞が一人前の証なのかはさておき、もし受賞しなかったら書く仕事を続けていたかどうかわかりません。

 たとえば、わたしのミスや失敗はたくさんありました。デザイナーに誌面デザインをしてもらうために必要なラフ。ここにこの写真、ここにはこの原稿というように指定依頼をする紙(データ)で、文字数や使う写真のクオリティなど思ったより緻密な計算が求められます。その計算が雑で、原稿の文字数がまったく足りず、デザイン入稿後に原稿を2倍近く書き足したことがあります。もちろん寝ないで…

 取材時の作法(?)では、ずいぶん周囲に迷惑をかけました。識者や大学の先生はまさに「先生」で、ふだんは下にも置かない扱いなわけです。わたしもそう対応しているつもりでしたが、それが伝わりづらかったようです。「あの若造はなんだ!」と先生がお怒りになって、既知の編集者を担当にしろと版元に電話をかけてきたことも。担当の部長さんが謝罪に赴き、始末書を書いたそうです。

 ある大物映画監督へインタビューしに事務所へうかがったところ、彼は昼間なのにすでに酔っていました。もちろん事前アポはとってあります。すごすごと取材を始めたところ、急に怒り出して「今日はもう止め!」と事務所から放り出されました。わけがわかりません。本当かどうかはわかりませんが、あとで聞いたらあの監督は担当が女性じゃないと機嫌が悪くなるとかならないとか。先に知りたかった!

 当時は取材作法はもちろん、自分の人間性が失敗の原因になっているのではと悩みました。でも、取材に失敗しようがドタキャンされようが自分の人間性に問題があろうが、そこには書かなければならない原稿があり、その原稿には締め切りがあるわけです。別日にするのか別の人を立てるのか、取材なしで書くのか。次の手を考えるのが先で、悩むのは仕事がすべて済んでから。ドタキャンした相手を「今日ウ○コ踏めばいいのに」と恨みながら。

 …なんかダラダラ長いですね。とりあえず今回はここまでにします。2回めは、出版社で書籍づくりしたり、金融機関とつき合って学んだことなどを紹介します。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?