【酒造】イトナミ神楽 白酒と黒酒
今回はR3BYイトナミ神楽のご紹介です。
神楽(かぐら)とは
まずはwikiと観光サイトから。
このように神話を題材に踊る伝統芸能を神楽といいます。西日本では盛んにおこなわれ、古典的神楽からエンタメ要素を入れた神楽まで人気となっています。
今回のイトナミ神楽の話は、現代の神楽よりも以前の話。
なぜ神楽が行われるかに焦点を当て、そこから生まれた発想をもとに酒造りを行いました。
日本酒と神楽
なぜ人は酒を造り、なぜ人は酒を飲むのかをテーマに行う私の酒造り。その過程はイトナミコラムで紹介してきました。その中で神楽は生者から死者への贈与という重要な役割を果たし、その贈与は五穀豊穣と子孫繁栄のために行われていることを紹介しました。
イトナミコラム1 日本酒ってなあに?では、日本酒とは日本と日本人の営みを表現するものであると考えました。
具体的には、神(自然+祖先)からもらった米を酒にし、それを神に返還すことでまた米をもらおうとしたという事です。また、酒はその過程で神の代理である御神酒となり、それをみんなで飲むことで神を現実的に共有し、同じ神という概念を持つ強固な群れになったという話でした。
イトナミコラム4 いわゆるひとつのメークドラマではさらに細分化し、人は神への贈与によって神との縁を意図的に起こして時代を進めてきたと推測しました。
今回のイトナミ神楽はこの縁起儀礼4・5にスポット(イトナミコラム4盆踊り編)を当てた酒となっています。
おさらい
土と水にはその土地で営みを続けた先人や多くの生命体の記憶が有機物として蓄積されています。そこに太陽エネルギーが贈与されることで作物は実ります。そのため作物は神からの贈与物とされています(最初の贈与)。
人は、神から贈与された作物に対して、贈与をお返しして別の形に変換します。そして神にそれを贈与します。
人は米に命を贈与して酒に変換しました(縁起儀礼1 巫女の口噛酒)。命を贈与できるのは子供を産める女性です。米に命を贈与した女性(口噛みした女性)は巫女になります。
巫女が穀物を噛めば糖化されて野生酵母で発酵します。酵母も発酵経験のある土器の破片から優良酵母がとれますし、沖縄の藍染のように木の下に土器壺を置くことで酵母を誘致することもできます。
巫女はできた酒(米+命)を神と先祖の眠る墓(太陽・火・磐座・聖地・神社)に贈与します(縁起儀礼2 祭り)。
神に贈与した酒は御神酒となり、巫女は御神酒をその土地の人々に飲ませ、神人供食によって神と民を一体化させます。酒を飲むことは神を飲むことと同じでです。(縁起儀礼3 直会)
民は神に対して酒・食・歌・踊りの贈与を行います。(縁起儀礼4・饗宴・神楽)
ここが今回のイトナミ神楽のテーマです。
神楽は神と人が一体化した酔った状態で、歌や踊りを神に贈与するために行われます。そして民から神楽を贈与された神は、民に五穀豊穣と子孫繁栄を贈与します。(縁起儀礼5 呼合・歌垣)
言い換えると民は生者、神は死者である祖先ですね。
神楽はいま生きている者から死者である先祖への贈り物です。
生者から死者への歌や踊りの贈与は、日本や農耕民族にかかわらず、アフリカ原始時代から行われています。部族が仮面や刺青をして死者を装い、生者は酒を回し飲みしながら火を囲んで踊りますよね。酒はミードや猿酒、イモや穀物の酒で、先祖の眠っている土地で収穫したものならなんでも大丈夫。
大人は踊りで儀礼をおこない、若い男女はその環境で神の力を得ます。祭りの日はなぜだかワクワクしましたね。男女は興奮状態で互いに呼び合い、暗闇に消えてマグワイ、子供をもらいます。
そこでは生きているもの、死んでいるもの、これから生まれるものも、神も精霊も先祖も全てが一体となって永遠の群れの繁栄を表現します。
神と同化して神話を踊る。それはその土地の伝説の再現であり、このようにして私たちの群れをつくり守って下さったんですねと確認するものでもあります。
神は神楽の贈与を受けて、人々に五穀豊穣と子孫繁栄させるという約束をします。「お遊戯会がうまくいったらお菓子を買ってね」とおねだりする子供と親の構図と同じですね。
神楽を表現する酒
五穀の使用
神楽は五穀豊穣と子孫繁栄を願うために行われるので、イトナミ神楽の原料には五穀を使いました。五穀をそのまま蒸して混ぜたただけでは味が出ないので、米こうじで糖化して天粥にしてから醪に投入しました。
生酛造り 酵母無添加
また子孫繁栄という事で、自然醸造の生酛造りで酵母無添加で乳酸発酵、酵母発酵を行い、ゼロから命を生み出す製法を採用しました。
低精白でドライな山陰燗酒テイスト
神楽は酒を飲みながら行われます。酒にはその土地の神と先祖が溶けていますから酒を飲むことは神と同化することですね。
神楽は夜通し行われるものなので、夜通し酒を飲み続けなければなりません。ずっと飲み続けられる酒という事でグルコース(糖分)比率が低いドライな酒を狙います。
掛米を85%にして発酵優先のもろみを造り、日本酒度を+12まで切らせました。山陰の燗酒ではよくみられる普通酒の製法で、天穏では吟醸造りのイメージを造るために意図的に封印していた製造方法です。この製法は酵母の死滅率が上がり飲みにくいのですが、そこは五穀四段と吟醸造りの効果で技術的に解決し、綺麗さや柔らかさも出ているドライな酒になりました。
イトナミ神楽のデザイン
白酒と黒酒
イトナミ神楽はにごり酒である白酒(しろき)と澄酒である黒酒(くろき)の2種類を造っています。にごりが白酒というのは見た目通り。そして澄み酒を黒酒という理由はいろいろな説があります。
黒米を使用していた、灰をいれていた、夜に透明な水は黒色にみえるため昔は水=黒色をであると考えられていたなど諸説あり。
なぜ、そもそも白酒と黒酒の2種の酒が必要なのか。これも確定情報はありません。現代の神事での白酒・黒酒はおそらく陰陽の考えの影響でしょう。
さらに古層を見るイトナミ目線で考えると白酒と黒酒という異なる2つの酒を備えるという事は自然界の対称性の原理から影響されていると思います。陰陽も対称性の原理をさらに細分化したものでしょう。
男と女、人と自然、万物にはかならず対象が存在し、その2つの縁起の連鎖によって物事が想像されて時間が発生してる
そもそも祭りは、人と神、生者と死者、自分の部族と他の部族の血といった異なる2つの概念の間に縁を意図的に起こすため行われ、それは互いに贈与させることで関係性をつくっていく縁起儀礼です(→イトナミコラム4いわゆるひとつのメークドラマ)。
白酒と黒酒の本質は白は子種で、黒は水だと思うと狩猟採取民と農耕民の縁起合体のようでワクワクしますね。現代の神楽も基本は、官vs鬼の構図で、それは農耕国家の官軍と農耕を拒否して山で暮らすサンカの戦いのようです。
縁起を司るトーテム 縁の蛇「nag(ナグ)」デザイン
異なる2つの存在が互いに贈与することで縁が起きる。古代人はこの縁起の法則を見出して、自然や神に対して祭りや儀礼といった形式で贈与を行ってきました。それはホモサピエンスやネアンデルタールが現れた頃から続く、古いヒト科の習性です。
2つの存在をつなぐ赤い糸のような縁の道は視覚では認知できません。そのため古代の人は目に見えない縁の道をヘビの形に見立てました。へビは自在に形状を変え、脱皮によって再生し、絡み合うように交尾をし、毒によって他者の生死を選択するなんとも恐ろしい存在です。
ヘビは神や自然のように畏怖と嫌悪を兼ね備えた縁を司る存在であり、神の使いとして信仰の対象となりました。そのため神の名前にはヘビの名前が隠れていたり、ヘビ(神・縁)を操る者は巫女(シャーマン)と呼ばれ、祭り、酒造り、占い、マグワイによって神と民の間に立って世をコントロールしました。
酒を造る杜氏の私も、昔で言えばシャーマンで蛇巫ですね。現代においても、米と人の間に立って時代に合うように造り分けをしています。そのためイトナミ神楽では男女のヘビをトーテム(象徴)に採用しています。
ヘビはもともと大陸ではナガ、ナギと呼ばれ、さらに日本ではカカ、ツツ、ツチと変化して呼ばれていました。ナガ(虹)・ナミ(波)・ウナギ・アナゴ・サナギ・ツナギ・長い・互い・ツガイのように長い、クネクネ、中庸的、両義的なものにはn/a/g(ナガ・ンガ・ング)の音が隠れています。植物や神の名前にも多いです。(→イトナミコラム5世界はヘビで満ちている)。
そのためこの縁を司るヘビのような道をnag(ナグ)と呼ぶことにしました。
アナロジーの強い乙女心をもった人の中にはへびが苦手な方もいらっしゃいすね。日本の重要な女神であるイザナギ、竜宮の乙姫、クシナガヒメ(イナダヒメ)、豊玉姫はみんな蛇体だから本来、女性は属性的にヘビと同体で仲良しのはず。しかし時代は変わり、いまではヘビは嫌悪の対象になってしまいましたね。でもnagは天と地をつなぐ虹のような縁の道であって、実態の蛇ではありません。
nagは古代で縁と生命のまぐわいを支配し、穀物農耕以降は水神となりました。それ以降は人の神や稲荷に置き換わり、人々のいる表層からは消えていきました。
神話や神楽の悪役はヘビや鬼や蜘蛛が多いですね。2500年前から社会が農耕国家に変わりはじめたため、神話や神楽の内容はシャーマニズム(ヘビ信仰)から国家への転換を強く意識した内容となっています。
イザナミ(巫女)から誘って子供が生まれたら失敗した、イザナギ(国家・男)から誘ったら良い子が生まれた。そしてイザナミは死の国へというのは、女系から男系への転換を求めたということでしょう。
このように現代的には見えなくなったnagですが、わたしはこの表層的には見えないけれど、本質を見る野生の思考の目で見ていくと目の前に現れてくるnagの姿に大きな魅力を感じています。
何かと表層的な現代の中でnagを見つけることは優れた審美眼をもつことと同じように感じられます。それは私が日本酒を造る職人で、イトナミを見たT字型の思想家だからでしょうか。
このnagは表現文化や思想、芸術の表現文化に応用が利く話なので、物事の本質を見て意味のあるものづくりをしたり表現したりする人にはとてもおすすめです。伝統とは何か、文化とは何か、人間とは何か、すべての生命に共通するものはなにか。そのヒントはnagに隠されている。
現に脳内神経細胞ネットワークやDNA、量子力学の極大極小の世界には、離れた存在をつなぐnagのようなネットワークが存在し、情報交換と縁起の連鎖を起こして行動や物質に変換されていることがわかってきたと言います。
縁の思想は、人体の中にも宇宙にも現実に適応されていることがわかってきているらしい。目に見えない縁の世界は脳内や極大極小の世界に現実に物質的に存在していた。物事を構造的に見た古代人はそのことをわかって万物にnagの道を見たのでしょう。
頭にnagを巻く
古代人が生み出した蛇巫メドゥーサのように、「頭にヘビを飼っても噛まれない=神に許された存在=巫女=神と人をつなぐ存在」のような発想はとても面白くてしびれます。仕事として安定的なものを造りつつ、表現者としてはこういう意味のあるものを造っていきたいですね。
頭に巻くとnagを飼った巫女になれる。脳内に縁起の連鎖を起こして新しいイノベーションを創造できるnag手ぬぐいも同時につくりました。私がデザインした天穏Tシャツと合わせて着て制作活動してみてください。
古代人のように、アナロジーを人に伝わる形として具現化することが出来れば、それは過去にも未来にも通じる本質的な価値を持ったものを造ることができたという事で、それは伝統文化を踏襲したものであるということに繋がると思います。
現在、2023年の時点でnagの思想を形にしたこのイトナミ神楽は現代的にミスマッチを起こしたとしても、やがて時を超えてその価値を高める可能性を持っています。イトナミ神楽が過去と未来をツナグことのできる酒になったらとてもうれしく思います。
杜氏になって御神酒を造ると宣言してから8年。御神酒は米だけの日本酒から五穀を使った日本の酒となり、nagのトーテムを獲得しました。
御神酒は人と神の縁起儀礼に使用され、神人合同で縁起の連鎖を起こして永遠に続くイトナミをつくっていくものです。新たなイトナミの形を体感できる酒としてお楽しみ下さい。
イトナミ神楽がだれかの脳内に入力されて縁を起こし、その人の手から新たなものが生まれたなら幸いです。
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