今まで積み上げてきたことを組み合わせて他の人の役に立つこと。それと自分のための学びの時間。
noteはアカウントだけ作っておいて殆どアクセスすらしない(FBやTwitterでシェアされていて気になった記事を読む程度)だった。
ただ昨夜は仕事でヘトヘトになっていたので、夕飯を食べて爆睡したら早起きしてしまった。そしてiPhoneをベッドの中でいじっていたらnoteのアイコンがあったのでログインして今に至ってる。
さて、私の古巣(大学院を出て最初に入った会社)のリクルートが「 #いま私にできること 」というハッシュタグで投稿を促してくれてたんで、せっかくなので、それからスタートしてみようと思った。そして「今自分にできること、あるいはコロナ禍になってやってきたことって何だろう?」って振り返ってみた。
結論からいうとタイトルの通り。(1)今まで積み上げてきたことを組み合わせて人の役に立つこと。そして(2)自分のための学びの時間の担保だ。
僕は今年数え年で49歳になる。来年はとうとう知命を迎えることになる。ついこの間まで「不惑を迎えてしまった。まだまだ惑うことばかりなのに、どうしよう?」なんて思ってたと思ったらもつ天命を知る年に手が届くところまで来てしまった。
惑いはゼロとは言わないが、やはり今までの積み重ね、そして後輩たちの頑張りを見ていて、吹っ切れるものがあって、42,3を迎えた頃には殆どなくなった。
それも今まで積み上げてきたことが有機的に組み合わさって、小さいながらも自分なりなものを創り上げられているように感じているからだ。
僕は学生時代、Web以前のGopherにハマり、そこからWeb黎明期には当時いたつくばの生活情報を作っていた主婦の方のサークルと手を組んで英語で(一部は当時出立てのUnicodeでマルチリンガルに)提供するサイトTsukuba City Guide WWW Issueを立ち上げた。つくばという土地柄、そして当時のWeb利用者層であれば、英語での生活情報提供は奏功し、つくば市内の外国人、日本人研究者のみならず、つくばにこれから来る予定の外国人留学生や研究者の人たちにも重宝がられた。
大学では電子図書館のことを研究していて、アルバイトでは米系外資半導体メーカのR&Dでイントラネットの立ち上げ、コンテンツ登録、メンテナンスをしていたのだが、情報流通の川下(利用者提供)に近い図書館よりも、情報を発信する楽しみを知ってしまい、味をしめたこともあり、情報の川上(情報を集めて売る商売)に興味が出てリクルートに入社した。そして6年間情報誌を作ったり、SEとして情報サービスの設計開発保守と一通りのことを学ばせてもらった。ただ最後に自分が今後発展させていきたい、と思っていた事業で撤退を進める仕事に関わり、パニック障害となり、退職することにした。
そして、当時米国から輸入したてだった「キャリアカウンセリング」というものがリクルート社内で資格を取れることを知り(最初の2年半は求人情報に関わっていたのもあり、関心も元々あったので)、タダで資格を取らせてもらってから退社した。(酷いなあ、自分。)
さて、退職した後どう稼ごうと考えた時、自分は内勤ばかりだったので、まずは営業の勉強をしよう!と自分の母校に飛び込みで行った。そしたらさっそく仕事をもらえたので、それで大学生向けのキャリアカウンセラーに。その後他の大学も受託したりして、経営が安定してきたと思ったら、何とリーマンショック。こっちはあまり影響なく何とか乗り越えたんだけど、追い討ちをかけたのが東日本大震災。この後、まさかの僕みたいな少額マーケットに大手も進出してきて、自分の持っていたクライアントを全て取られてしまった。その中の一つは自分の古巣。まさかこんな少額にまで触手を伸ばすとは。。。まあ、自分の受託者単価の1/3で出されたらそりゃ中身関係なく負けますわ。一体どれだけ雇ったカウンセラーのギャラを絞ったんだか。
ということで、大手がキャリアカウンセリングの相場を下げてしまったので、この市場は考え当面見込めない。転職市場や社員向けプログラム、採用コンサルだったらまだ食えるんだろうけど、自分がやりたいとは思えなかったので翌年度で廃業することを決めた。それから1年。人からキャリアカウンセラーの仕事をもらいながら営業をして次の仕事探し。ほんとしんどかった。真面目に自死しようかとも思ったこともあった。でもそんな中実家に一人だった母が怪我をして入院する自体が発生。たまたま浪人状態だったので、翌年実家に戻ることを決めた。そして実家近くで仕事を探すことにしたら、偶然だが、地元の私立短大で自分の原点となる図書館司書課程の教員の公募が出た。それに応募。さすが人の就職支援をしていただけありました。履歴書や職歴書、面接対策は徹底して法人や短大、所属予定学科の状況、所属教員の業績等を徹底的に調べて、求める像と自分の売れる部分との仮想マッチング。それで臨んで内定。今に至ります。
そして働き始めて、1年間はカマトトをしてました。職場の内情や周囲との関係性をどう取るのが得策か、見るために。なので1年目は司書課程と学生の進路支援、そして人との関係構築に力を割いてました。そして2年目。ここから自分の今まで積んできた知識、経験を活かしてGo! 更にそれらを掛け合わせてちょい工夫した新しいことを仕掛けたり。そんな日常になりました。学生を引き受けてくれる企業さんとの繋がりとかも昔とった杵柄かなあ、と。お陰で昨年度は司書課程履修者の8割が司書になりました。もちろん彼ら自身の頑張りの結果なんだけど。(見込みない学生には「司書になったら、迷惑かけることになるからなるのはやめてくれ!」とまで本人目の前に言うことありますからね。でも卒業後なっちゃった人もいますが。採った側、大丈夫だったかなあ?)
そうやってはや7年。そんな中コロナ禍がやってきました。いやあ、この1年はほんと走り回りました。元々対外的な渉外業務が結構あったのですが、それに加えて学内のオンライン授業のスキーム作りから運用フォローアップ、公開講座のオンライン講座開講まで走り回りました。いや今でも走り回ってます。いや走り回されてます、かな?まあどっちだかわかりませんがしんどくとも楽しく過ごせているのは事実です。
また、4年くらい前からですが、やっと研究テーマとして「地元茨城の民話資料のデジタルアーカイブ化」なんてことができるようになって、まだ研究者論文レベルにはなっていませんが、かなり知識と資料は手に入って一昨年度は県の仕事を受託できるまでになりました。
Webのこと。情報を生み出して発信すること。キャリア支援のこと。図書館のこと。情報システムのこと。今まで積み上げてきたことがコロナ禍となって、新たなイノベーションにつながっています。そんなにすごいことじゃないけれど。学生がオンライン授業になり、今まで来学してもらって開催していた公開講座がオンライン公開講座にシフトしています。うちのような零細短大では情報サービスの専任職員もいない状況。結局できる人間が今までの業務そのままにアドオンで乗っかってくる始末です。自分の仕事の優先順位を落として人のための仕事を先にする。そして自分の仕事は深夜。正直身体はしんどいです。でも成果は出ている。それを感じているのは事実です。まあ、本音言えばインセンティブは欲しいですけどね。いくら仕事が増えてもサラリーが増えないのだけは嬉しくない。プロレタリアートに成り下がってしまっている自分が悲しいですが、そこは一度はブルジョワジーも経験している人間。這い上がってやるぞ!という意気込みだけは棄ててません!
そして、そんな中でも少し時間を割いて「民話のアーカイブ化」に向けた学びは止めていません。正直子どもの頃は国語嫌いで殆ど昔話なんか聞いたこともなかったのですが、なにが引き合わさたんでしょうか、縁あって地元民話の研究に携われています。とはいえ新参者。まだまだ学びが足らないことやら痛感する日々です。読んだ本≪読みたい本の差がどんどん大きくなる現実。でも読みたい本の存在を知れたこと自体が知識ですから、損はしていないと思ってます。そして何かと繋がったとき、優先順位を一気に上げて読まれる本も沢山あります。先日も数年ぶり積ん読状態だった本が他の調査をしていたら、参照文献に上がっていて、その晩夜なべして一気に読んでしまったり。ほんと知識の充電時間は必要です。充電が多い分繋がる機会が増えますから。
ってことで、僕はいまだからこそ自分の知識の充電時間をこんな中でも担保しています。
なんだか全くまとまらない話になってきたぞ。本当だったら推敲して書き直すべきなんだろうけど、ベッドの中で1時間ちょいかけて書いたものなんでご愛嬌ってことで。
このまま継続してnoteを書けるといいな。今まではFBにほぼ毎日、その前はmixiにほぼ毎日長文書いてたけど、noteに徐々にシフトできるかな?
てなことで少し休んだら、今日の活動始めます!またね。