新しき地図 12 再調査
その他の、こじこうじの作品へのリンクは
太陽の秘密 | こじ こうじ |本 | 通販 | Amazon
アベマリア | こじ こうじ |本 | 通販 | Amazon
アペリチッタの弟子たち | こじ こうじ |本 | 通販 | Amazon
Youtubeに紙芝居絵本「ものほしざお」があります
https://youtu.be/iGRwUov3O74?si=bH2ZszSCB6b6fquq
12 再調査
1
上原岳人が、まだ生きている、と仮定したとき、どうやって彼が「自分の死体」とすりかわったか?その死体は、誰のものか?それを知らなければならない。
私とダイゴは、まず、上原岳人の母親、上原秋子を訪ねた。
上原秋子は、杜氏である夫が働いていた、旧「野崎酒造」の蔵のある村に、あいかわらず住んでいた。
車を走らせ、街をはなれ、自然の中に民家のある里山にはいり、そこからさらに細い蛇行する道をくねくねまがって、山にはいっていった途中にその蔵はあった。
上原秋子は、ここ数年の間に、夫や子供をあいついでなくし、寂しい生活になった。
まず数年前に、首都圏を襲った大震災で、次男の海人をなくした。最近、交通事故で長男の岳人が死亡。そして、長い間連れ添った、夫で元杜氏の春雄も先日「のぞみ苑」で老衰でなくなった。
私たちが、家を訪れると、上原秋子とともに、そこに小林奈津子がいるのに、私とダイゴは少し驚いた。
「この娘が、いわれもない噂をたてられて、可哀そうで。そうでなくても、昔から遊んでいた、幼馴染の岳人が交通事故で死んでショックをうけているところに、よりによって、父親のようにかわいがってもらった上原春雄を虐待死させた、なんていうデマが流れるなんて」
「奈津子さんは、本当に、上原岳人君や海人君と、一緒に育ったんですね」
「ええ。この村、この家でね」
上原秋子は寂しげだった。
「上原秋子さん。ぼくらは、もしかして、岳人君が、まだ生きているかもしれない、と仮説をたてて、それを証明できるものがないか、とここにきたのです。なんでも、手がかかりになるようなことを知りませんか?」
「岳人が、まだ生きている?本当ですか?だったら、そんなに嬉しいことはないわよね、奈津子」
「ええ」
小林奈津子は、じっと、私とダイゴをみつめた。
「そんなことって・・・あったら、嬉しいけど」
だが、もしそんなことがあったとしたら、あの交通事故は、上原岳人による野崎淳の殺人事件の偽装ということになる。
だが、ダイゴは、そのような仮説には触れずに答えた。
「理屈や状況では、まだ生きている可能性があるんです。なので、二人の知っていることを、隠さずに教えていただけませんか。生きている証明は、彼を探しだす他にないのですから」
「どんな風でもいい。生きていてくれさえいれば、と思うのは母親として自然な思いですわ」
上原秋子は、意を決したように、話をはじめた。
野崎酒造は、戦前から続く立派な会社でした。
蔵元、つまり社長は、街の医療法人野崎病院の理事長の野崎守氏の弟にあたる野崎清氏でした。蔵元は結婚しておらず子供はいませんでした。一方、兄である理事長の野崎守さんには二人子供さんがいて、一人の息子さんは、野崎病院の事務長さんの野崎英一さんでした。もう一人は、野崎清の養子にはいった、野崎淳さんです。親御さん、つまり当時、医療法人の理事長だった野崎守さんは、4年ほどまえ自殺されたと聞いています。息子さん二人が、医者にならなかったので、後継者に困っているという噂を聞いたことがあります。
私の夫の上原春雄は、野崎酒造で、長い間杜氏をしておりました。蔵元の野崎清と、ときには経営や日本酒の質をめぐり、喧嘩もするが、野崎酒造のためを思ってのことで、野崎清社長と共に、ずっと野崎酒造を盛り立ててきたし、本人もそれを誇りにしておりました。
でも、2年ほど前、このあたりにおきた大地震で、蔵は倒壊。主人は、蔵の再建を望んでいたのですが、社長の野崎清氏と、養子にはいっていた野崎淳さんは、蔵の廃業を決めました。
主人も、そして子供たちも、とても残念がっていましたわ。
その後は、ご存じかもしれませんが、私の夫、杜氏だった上原春雄は、生きがいを失ったのがいけなかったのか?もともとかなりの高齢だったんですけど。認知症を発症。急速に進行して体も衰弱し、先日「のぞみ苑」という老人ホームでなくなりました。「のぞみ苑」は、奇しくも、蔵の廃業後、野崎清と野崎淳がたちあげたものです。
私は、夫の上原春雄と、30年前に結婚しました。私は結婚前には、蔵でお手伝いをしていて、それで知り合ったのです。そして、海人と岳人のふたりの息子をもうけました。しかし、海人は、4年前に起こった大震災で死亡。そして、2年ほど前、岳人も、交通事故でなくなりました。平和だった、昔の家庭はどこへいってしまったのでしょう?とても悲しく、寂しい毎日を送っています。
さて、今日は思い切って、ずっと他人に話したことのない秘密をうちあけましょう。
実は、30年前、上原春雄と結婚の際、世間様に知られないよう秘密にされたことがひとつあって、それをお二人にお話します。
実は、私は、上原春雄との結婚は初婚ではありませんでした。既にある男と結婚し、娘をひとりもうけましたが、夫はすぐに病死。
上原春雄は、当初、結婚後は、母子ともども、上原の籍にはいると話していました。しかし、蔵元の野崎清ほうから、世間体なのでしょうか?当時はそれは大事なものでしたし、野崎家は旧家のせいか、特に世間体を気にする家風だったように思います。結婚の条件として、娘を養子に出して、一人で嫁に来い、といわれ私はそれを了解したのです。
その娘が、この小林奈津子です。私の兄の姓が小林で、私の結婚と同時に、娘は兄の養子になりました。
前の夫との間にできた奈津子と、上原春雄との間にできた双子の兄弟の海人と岳人。3人は一緒に育ちました。もちろん、3人にはそういういきさつを話していないので、姓が違うから、幼馴染同士と思っていたでしょうが。
そして、今回、海人についで、岳人も死んで、わたしはそのことを奈津子にはじめてうちあけたのです。
小林奈津子は、ダイゴ医師も、「のぞみ苑」で顔なじみだった。施設長の野崎淳が「介護士のほうが看護師よりもやさしい」といったのは、この娘のことだったし、職員内で、施設長と「できている」という噂があるのは知っていたし、それをめぐり上原岳人と、言い争っている姿も目撃していた。
私、お母さんの打ちあけ話、びっくりしたんだけど、それを聞いてほっとしたこともあるんです。ダイゴ先生も、ひょっとして、私が、上原岳人と一緒に交通事故でなくなった、野崎淳施設長とつきあっているという噂、聞いたことあるでしょう?それは、本当です。年の差があるのに?お金が目当て?それもないとはいいません。でも、嫌いではなかった。
私、この村にずっといて、はじめて外にでて勤めたのが『のぞみ苑』だったのです。ずっとお世話になっていた、上原のおじさんが、入所した老人ホームなので、おじさんのお世話もできるかな?って。でも最初は、なれない介護の仕事がたいへんで。施設長とは、悩みを相談しているうちに、おつきあいを始めたという感じです。
この村で、お母さんがいうとおり、岳人、海人とは幼なじみで、ずっと、上原のおじさんとお母さんに子供のようにしてもらいました。小林の家は、中学校の終わりくらいから、ほとんど顔をだしてないと思います。
「私は、岳人、海人と、腹違いの兄弟だ」と、今回お母さんから初めて聞いて、むしろとても嬉しかった。本当に実の兄弟姉妹のように育ててもらっていたものですから。
亡くなった二人とも、私は大好きでした。海人に続き、岳人があんな風に亡くなってしまうなんて。私、これから、どうしたらいいんでしょう。
二人とも、私のことを好きだったと思います。自分たちが兄弟とはお互い知らなかったんだから、いいでしょう?私も二人とも好きだったけど、どちらかというと、海人のほうが好きだったかも。理由を話しますね。
あれは、海人が、2年前の大地震被害にまきこまれて行方不明になったときのことです。悲しみにくれている家族みんなに、岳人は、
「これから、海人を探しに行こう」
と言いだしました。あんな被害の中、津波でいろいろなものがめちゃくちゃになっている中で、どうやって捜すんだろう?と思っていると、岳人は言いました。
「海人のiPhoneのGPS機能がまだ働いている。電池切れになる前に探しに行こう」
岳人と、上原春雄おじさんは、親子で被災地にすぐのりこみました。そして、瓦礫と泥の中、海人をみつけたそうです。もう、息絶えていて、現地で埋葬した、と二人は悲しそうに私と母に言いました。
「海人のiPhoneのGPS機能がまだ働いている」って、どういうことだろう?と今でも思っています。ただ、私が村からでて「のぞみ苑」に勤め別々に暮らすようになったのに、岳人が、私の行動を良く知っているので、私、私のiPhoneのGPSの機能で、岳人に行動を知られているのではないか?と疑うようになったことがあるのです。それに、岳人は、大学の情報工学科というところをでていて、システムエンジニアとして働いています。彼なら、そんなことができるかもしれない。
実は、私が、施設長の野崎淳とつきあいはじめているのではないか?と最初に言いはじめたのは、岳人なんです。私の、iPhoneのGPS機能を利用していたんじゃあないか、って少し疑っています。
いくら兄弟といえども、お互いの生活や考え方は尊重しなくてはならないでしょう?
岳人は、少し嫉妬心が強すぎました。いや、それだけ私のことを好きだったのかもしれない。でも、彼は、
「あんな奴とつきあうなんて。死んだ海人が知ったら、どれだけ悲しむか」
と、自分の気持ちのせいとは決して認めなかったけども。
だから、私、強いて言えば岳人より海人のほうが好き。二人は双子で姿かたちはそっくりだったけれど、性格はけっこう違っていて。二人を見分けるのは、そう難しいことではなかったの。特に、年齢を重ねるにつれて。
岳人は粘着質でストーカー気質。でも、弟が死んだからそうなったのかもしれません。もちろん、岳人を嫌いなはずはないです。大好きです。
それに、その気質が、新たな日本酒造りへの情熱作りに、岳人を向かわせた気もしていました。その気質がいいほうに向かっているな、と。
ダイゴ先生、探偵のクニイチさん。お二人は、岳人はまだ生きているかもしれないって、おっしゃってくれた。いったい、どこにいるの?わたしになにかお手伝いできること、あります?
ダイゴ医師は、小林奈津子に、
「あなたのiPhoneを少し貸してほしい」
と頼んだ。
「あなたの位置情報に、最近アクセスしてきた者がないか?それはいつ?どこからか?専門家に解析してもらいたいのです」
小林奈津子は承諾した。
そして、さらに言った。
「実は、1年前、ネット上で、私が『のぞみ苑』で、上原のおじさんを虐待死させたというとんでもないデマが流れたこと、私、かなり早くに知りました。それを知ったのは、匿名の見知らぬ人からのメールからでした。そのメールには、私が、あるサイトで虐待犯の汚名を着せられていること、そして、そうでないことの証明をそのサイトで自分がしたから、まったく心配しないでいい、ということが書かれていました。そして、普段みることは決してなかったそのサイトをみてみると、そこにはとんでもないことが・・・。そのメール、見知らぬ人からで、気味が悪かったけど、不思議な気がして、それに私の味方をしてくれていたんで、まだ削除せずに保存してあります。今の話からすると、もしかしてそれは、岳人からのものだったのでしょうか?」
それは、私たちが欲しかった情報だった。
アクセスログからの逆探知に、われわれは成功した。
最後に、私とダイゴは、上原秋子と小林奈津子「母娘」に、蔵を案内してもらった。
上原岳人は、交通事故でなくなる直前まで、実家のそばにある旧野崎酒造の蔵の一部を使って、日本酒づくりの試作をしていたという。他人に販売しなければ、日本酒づくりの試作をすることは、決して違法ではない。これは、銃の試作品をつくるのとは違うのだ。
天井が高くて、窓が小さい、酒蔵の中にはいると、昼間でも少しうすぐらい。
歩いて広い蔵の中にはいっていくと、いくつかの大小の水槽のようなもの、古びた器械などが、あちらこちらにある。一番目立つのは、奥のほうにある、大きい、仕込み用タンクだ。タンクの上は中二階だ。そこにあがって、タンクの中の蒸した酒米の中に麹(こうじ)や酛(もと)を投入したり、タンク内の醪(もろみ)の品質管理をしたりするのだという。
さらに奥のほうの壁に小さな扉がある。扉をあけると、小さな部屋になっていて、ビリヤードができるくらいのテーブルや、木でつくったいくつもの細長い箱がつみかさねられている。麹や酛をつくる場所だという。
もう2年あまりつかってない、木造のその建物の内部のあちこちには、ほこりがたまり、蜘蛛の巣がはっていた。
その隅のスペースに、工場の中の事務所といった感じで、一部仕切られた部屋があって、私たちはその中に案内された。
中には、いくつかの机やテーブル、小さな機器や水槽や棚が所狭しと並べられていたが、大きなものはなくて、一番大きいものでもドラム缶くらいの大きさだった。
「ここが、死亡する前まで、岳人が、日本酒の試作をおこなっていた部屋です」
発酵条件も、最初と最後は感覚だが、できる限りデータ設定をみつけだしデータ管理する。
9月に収穫された酒米を、精米→洗米→浸漬→蒸米→麹(こうじ)造→酒母(もと)造→醪(もろみ)造→搾り→火入れ、という順で造る間、データだけでは対応できない工程はどこだろう?「醪造(主たる発酵)」だろうか?データでみると同じ酒なのに、味わってみると違う味の酒があることは間違いない。だが、例えば、同じ大きさ、質の容器を使い、同じように温度、時間管理がされた、米、水、酵母を使うのであれば、同じ酒はできるはずだ。
ちょっとした、容器の大きさや質、酵母や米、水の保管期間、場所が影響を与える。例えば、ひとたび、条件を設定したら、桶の大きさや様々なステップの温度や時間を変えないというのはどうだろう?
そして、大量生産のためには、桶を大きくせず、小さい桶を複数おくようにするのだ。そうすることで、工場のように作られるその日本酒の品質は均一化に近づくはずだ。
ダイゴは、以前、岳人が熱く日本酒づくりについて語った言葉を思い返していた。
この、小さい桶による少量の酒造りは、化学の実験方法と通じるところがあるかもしれない。ノーベル賞をとるような偉大な研究さえも、地道に、小さな、研究室の自作実験装置や細胞のインキュベーターというハンディーなものを使い考えながら実験をくりかえしておこなわれてきた。化学の分野では、最初から、発見することと、量産することは、別の(どちらも容易ではない)仕事だ、という前提があるのだ。
カリスマ性、手作り、長年のカン、センス、熟練に、どこまで「科学」がせまれるか?
すしづくりやパンづくりやビールづくり、あるいは、生化学実験のように、日本酒づくりも、旧来方法とは違うやり方でアプローチできるのであろうか?
2
次に私とダイゴが聞きとりを行ったのは、野崎英一の母親の野崎純子さんだった。
野崎病院の一番奥から、野崎家の私宅へとはいることができるが、今回は、表通りに面している玄関からの訪問だった。
通された、応接間は、おちついた雰囲気で、さすが古くから続く家だと思わせる威厳を感じさせた。
「突然の面談のお願い、受け入れていただきありがとうございます」
「いえいえ。野崎守の一件で、ダイゴ先生、クニイチ探偵の推理にはとても感銘をうけていますから」
「もう死後2年もたっているというのに、昔の過ぎた事件をわざわざほりおこして。しかも、息子さんがご主人を殺害したということで。さぞかし、心をお傷めになったことでしょう」
「しかたがありませんわ。現実は現実ですから。犯人の息子の英一が、記憶を失ったのは、神様からの罰かもしれませんわ」
「そちらもお気の毒なことです」
「でも、本人は、記憶がないことで罪の意識がそうないようで、そういう苦しみは少ないみたいです」
「そうですか。英一さんの出所まで、あと少しなんですよね」
「ええ。もう1年を切っていますわ。英一が父親を殺害するという罪を犯したとしても、息子は息子です。私の中では、もう赦しています。若いころから、医者になれ、医者になれなければ人間失格だ、とずっと彼を締め上げてきた、私たち親にも非はないわけではないのですから。それに、もう一人の息子の淳も交通事故で死亡し、私にとって頼れる身寄りは、英一ひとりだけですもの」
野崎純子は、大きなため息をついた、その目は、愁いにみちていた。息子が父親である夫を殺し、今は記憶喪失。別の息子が交通事故でなくなる。ここ数年で、不幸が重なってふりかかってきた。この晩年に。心情は察するに足る。
今回、ダイゴは、あえて「交通事故でなくなった息子さんは、単なる事故で死んだのではないかもしれない」などという仮定を伝えて、さらに野崎純子を混乱させまいと考えていた。今回、野崎純子と話をするときには、その件には触れないことに決めていた。
野崎純子に聞きたかったのは、別のことだった。
「実は、今日は、奥さまの義理の兄の亡くなった野崎清さんの『死体検案書』の件でうかがいたいことがあってまいったのですが」
「死んだ息子の野崎淳が『のぞみ苑』の施設長だったころ、夫は自然死なのに、DNA鑑定をたのんだという、例の件ですね」
しばらく沈黙したあと、野崎純子は話し始めた。
「いずれ、DNA鑑定の話はしないといけない時もあろうか?と思って覚悟はしていました。お話しましょう。お二人は、2年前の夫の死因が自殺とされていたものを他殺と見破った、すばらしい推理力をお持ちのかたですから」
40年ほど前におこった岡野静子殺害の真相。
殺害現場に残された血痕のDNA解析は、二人の犯人を示唆していた。血痕は、岡野静子の他に2種類あったのだ。
そして、今回、そのひとつが野崎清のものと一致した。
だが、もうひとつが?のため、結局、今だに警察は真相が究明できずにいるのだ。
だが、野崎純子は、その真相を知っていた。そして、40年間、警察にも語らなかったその秘密を私とダイゴに語ったのであった。これからも、秘密にしておいてほしい、という約束のもと。
「残る一つは、当時、岡野静子とつきあっていて、子供を産ませた、上原春雄のものだと思います。蔵元だった義兄(純子の夫である野崎守の兄)の野崎清は、思いをよせる岡野静子、そして岡野静子を奪った自分の蔵の杜氏である上原春雄の二人を殺したのです」
上原春雄は、40年前に、既に野崎清に殺害されている?
だが、上原春雄は、つい先日『のぞみ苑』でなくなったばかりではないか?
野崎純子の話では、先日なくなった上原春雄は、太平洋戦争で亡くなったと思われたが「ひょっこり」帰ってきた、上原春雄の兄だという。
その帰国のタイミングは、純子の義兄である野崎清が、恋の三角関係のもつれから、上原春雄と岡野静子を殺害したまさにその時だった。
とっさに、本物の上原春雄は、秘密の場所(それは、野崎清しか知らない場所で、野崎純子にも知らされていなかった)に埋葬され、そこて、兄弟間でのいれかわり、なりすましが行われ、新しい上原春雄が誕生したのだと言う。
野崎純子は、説明を続けた。
「このことを世の中で知っている者は、40年間、死んだ夫の野崎守と私、そして守の兄の野崎清の3人だけです。野崎守は、兄、清の犯した罪を隠すためと、優秀な杜氏を失った野崎酒造の将来を考え、この方法が一番よいと考え、戦争から帰還した上原春雄の兄を説得しました。幸い、上原春雄の兄は、まず野崎家を訪れたので、他の村人は、死んでいたものと思われていた彼が、生きて帰ってきたということを、誰一人知らずにいたのです」
一人の女性、岡野静子をめぐる、蔵元と杜氏の争いは、「日本酒づくり」という仕事そのものも壊してしまうような悲劇をひきおこしたという。
でもこの「新しい」杜氏のおかげで、その後も長い間、野崎酒蔵は続いていくことができたのだった。
だが、いくら兄弟とはいえ、顔が周囲にばれなかったのだろうか?
「杜氏は、長い間、蔵にこもって、ほとんど外にその姿をみせないものです。しばらくして、上原秋子と結婚して子供ができると、もう、周囲にばれる心配はすっかりなくなりましたわ。
これらは、夫、野崎守が、兄の野崎清の犯した殺人事件を覆い隠すためにすべて考え、実際に行われたことです。
野崎清が、生涯結婚しなかったのは、この40年前の、自分がおこした殺人事件の影響があったと思います。罪の意識を、死ぬまで持ち続けていたことでしょう。でも、しかただないことですわ」
私もダイゴも驚かなかったといえば嘘になる。
40年前の話で、もう時効とはいえ、これは立派な「隠ぺい罪」「共謀罪」だ。
こんな上品な高齢の女性の口から、そんな告白があるなんて。
そして野崎純子は、自分たちのしたことには、なんの罪がないかのように、その内容を堂々と話したのだった。
野崎家のためになることなのだから、悪も罪ではない、とでもいうかのように。
旧家のほこり?威厳?重み?
私たちは、それに圧倒された。
だが、真実は真実だ。大事だ。
どんな動機にせよ事情にせよ、殺人事件やそれを隠ぺいすることは、ゆるされないことだ。
一方で、これは、あえて公表しなくてもいいことだ、ということも納得した。
事件当時はともかく、40年たった今、公表しないことで、困る人は誰もいない。逆に公表すると、上原秋子親子が、また傷つく可能性がある。上原秋子の結婚相手は、上原春雄本人ではなく、その兄であった、と知れば、心が揺れないわけはなかろう。
得られるものがなく、失うものばかりであるなら、真実を公表する必要はないのではないか?
あと、もうひとつの問題は、40年前、野崎清が殺害したという「上原春雄」の遺体の埋葬場所を野崎純子は知らない、ということだった。物的証拠がないのに、野崎純子の言うことを、そのまま真実としていいのだろうか?
私たちの心はゆれた。
私は、以前、ダイゴがいっていた言葉を思い出した。
「最高の医療はないが、最良の医療は提供できる」
この野崎純子の「告白」によって、野崎清が死亡したとき、そのDNA鑑定を申し出た、野崎淳の行動は、ようやく納得できるものになった。
野崎守、野崎純子夫妻は子宝にめぐまれなかった。そのため、岡野静子の遺した、二人の子供、淳と英一を自分の養子としてひきとった。これは、戸籍の記録をみれば誰でも確認できることである。
そして、野崎淳は、さらに、再養子として、野崎守の兄の野崎清にひきとられることになる。
かくして、野崎淳は、生涯結婚しなかった野崎清の養子として、代々つづく、「野崎酒造」の財産を、引き継ぐことになった。だが、「京浜大震災」で「野崎酒造」は倒壊、蔵は廃業となり、その結果、野崎淳は蔵元になるかわりに「のぞみ苑」の施設長となったのだった。
だが、要するに、「岡野」淳は、自分の両親を殺害した犯人である人物「野崎清」の養子になったことになる。
「岡野」淳(そして、記憶を失ってしまった「岡野」英一も?)は、戸籍を確認して、自分の母親が岡野静子であることは、わかっていた。だが、いったい、父親は誰なんだろう?そんな疑問がわいても不思議ではない。
実は、岡野静子と上原春雄が、野崎清に殺害された時点で、上原春雄と岡野静子は、まだ入籍していなかった。そのため、戸籍には、「岡野」兄弟の父親の名前の記載がされていないのである。
おそらく、「岡野」淳(そして、記憶を失ってしまった「岡野」英一も?)は、何かの時、この秘密を知る3人、養父母である野崎守、純子夫妻あるいは野崎清から直接聞いて?それとも独自の調査や想像で?野崎清が、自分の母親「岡野静子」と父親「上原春雄」を、殺害したという40年前の事件の真実を知ったのだ。
だからこそ、「岡野」淳こと野崎淳は、野崎清が死亡したとき、そのDNA鑑定を申し出たのだ。
ところで、これら一連のことは、失われた野崎英一の記憶の中にも、書きこまれていたのであろうか?
だが、今となっては、それは知る由もない。
野崎英一は、今も生きているが、その記憶は、記憶の喪失とともに、消えてなくなってしまったからだ。
1 へのリンク: 新しき地図 1 プロローグ|kojikoji (note.com)
次章 13 へのリンク: https://note.com/kojikoji3744/n/n1cc6a5309e2f?sub_rt=share_pb
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?