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新しき地図 4 新しき地図(1~3)

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    https://youtu.be/iGRwUov3O74?si=bH2ZszSCB6b6fquq 


4 新しき地図 (1~3)
 
   1
   
(もう私はだまされない)
と、あてがわれた、「のぞみ苑」の自分の居室に備え付けてある、鏡の前に映った、初老で髪がうすくなってきた自分の姿をながめながら、鈴木は思った。
 自分の姿だが、それすら見覚えはない。
 鈴木は、自分の薄くなってきた頭をぴしゃりとたたいて、歯磨きを終えた。
 記憶喪失の人間は、周りから親切にされるはず、と思いこんでいた自分が甘かった。そりゃそうだ。普通、記憶喪失の人間をうまく利用して、ひともうけでもしようか、と考える人の方が多数だ。中には、殺人の罪をおしつけようとする人だっているのだ。
 私の名前は鈴木宏と教えられ、そして記憶を失っていた私の以前の職業は「私立探偵」と聞かせられていた。
 そして、「いなくなった私の妻を探しだしてくれ、と、ある男から「私立探偵」の仕事を頼まれた。
 彼の名前は阿部保といった。
 鈴木宏が病院のベッドで記憶をとりもどした時から、鈴木の目の前にいた男だ。その病院の院長先生という話だった。
もちろん、記憶を失った鈴木は、その阿部のことを知らなかった。だが、その男は、鈴木のことは良く知っているといった。
 「その男の妻をさがす」といっても、その男は「その男の妻の住所」も同時に渡してきたものだから、これはてっきり「探す」のではなく、彼女を説得して「家に呼びもどしてくれ」とか、他の男と会っていないか調査してほしいとか、の意味かな?などと考えながら、鈴木はその場所に行った。
 ところが、会ってみるとその「彼の妻」は、実は「わたしの妻」だった、と言うのだ。
 記憶喪失の弱みにつけこんだ、意地悪としか思えない。
(わたしは「あなたの妻」)
 そう言ったのは、その「彼の妻」。
 鈴木は、思い出せなかったけれども、彼女はそう言ったのだ。
 彼女も、同じ鈴木という苗字で、それが、鈴木という苗字のその女が、私の妻であるという動かぬ証拠だと言った。
 その鈴木という女は、私の顔を見るなり私に言った。
「あなた、ずいぶん探したのよ。あえて、嬉しいわ。わたしが、この学校にはいったことをどうやって、調べたの?あなたにわからないように、自分の息子にしかしゃべっていなかったのに。ああ、そうか。息子がしゃべってしまったのね。仕方がない息子ね」
 もちろん、鈴木も、言われたことをそのまますぐに信じるようなことはないよう、警戒する知恵がついてきていた。
 しかし、女鈴木の言うことが違う、という証拠もなかった。
 なので、真実を確かめるため、鈴木もこの「学校」にしばらく通い、女鈴木の言うことが本当のことなのか、観察することに決めた。
 「学校の教科」は、そんなに難しい中味ではない。
 今日の授業は「瀬戸の花嫁」を、大きな声で、生徒みんなで歌うことだ。
 そんなことは、朝飯前の話だ。
 
 鈴木はすぐに気づいていた。
 記憶はなくなっても、判断力はおちてはいなかったからだ。
 鈴木が今いるところは、女鈴木のいう「学校」ではなく、「老人施設」なのだ。
 女鈴木はおそらく、たまたま苗字が鈴木と一緒なだけで、鈴木の妻ではない。女鈴木は、認知症で、この施設が「学校」と思いこんでいる。職員は学校の先生で、入居者は同じ学校の生徒だ。もちろん「瀬戸の花嫁」を歌うのは、授業でもなんでもなく、施設でおこなう入居者のためのレクレーションなのだ。
 私の記憶前の職業は「私立探偵」と言って、私に仕事を依頼した阿部は、いったい誰だろう?(女鈴木の言葉みたいだが)それこそ、私の息子?記憶喪失になった年老いた自分の父親を、首尾よくここの「老人施設」に送りこむために、ウソをいった?
 阿部は、私の記憶はなくなっても、判断力はおちてはいないということに気づいているのだろうか?
 なにか勘違いをして、自分を老人施設におくりこんだのではないか?
 私は、だんじて認知症ではない。
 単なる記憶喪失だ。
 自分の名前、鈴木宏、だって本当かどうか怪しいものだ。
でも、私は、彼の「ウソ」にあえて乗って、この「老人施設」にしばらく、いることにしたのだった。
 確かに、自分自身が誰かわからない、ということを除けば、鈴木宏は今すぐにでもひとりで暮らしていけるかのようでもあった。
 だが、鈴木は、鏡の前で、何者かわからないその自分の顔を、覚えることから、物事をはじめなければならなかった。
 また、外出したとしても、車にひかれないように注意して歩くことや、おそらく車を運転することも、できるだろうが、街の道路や地名がさっぱりわからない。
 あとからふりかえると、「のぞみ苑」で少しずつ、自分を、記憶喪失の状態の環境にならしていくことは、次のステップに進む前に必要な時間だった。
 思い出せない失われた地図のことは、考えまい。新しい地図を作っていくことを考えよう。
 今、一番苦痛なのは「のぞみ苑」の外に出かけられないことだった。
「運転免許証」も「貯金通帳」も「クレジットカード」もない。街の地図もわからない。
 鈴木は、施設の玄関から外の庭にでてみたことはあったが、結局、どこから手をつけていのか?どこへどういっていいか?わからずに、施設のシンボルツリーのイチイの木の根元に腰かけて途方にくれるしかなかった。
 鈴木は「のぞみ苑」に閉じ込められたようなものだった。
 
   2
 
 鈴木宏は過去の記憶を失った。
しかし、これからの新しい情報やできごとは覚えることはできるし、記憶として保持できる。発症以前の出来事や体験の関する記憶が障害されているだけだ。
 これを、「逆向性健忘」という。
 また、鈴木宏はまだ60歳をこえたばかりで、自分自身で歩くことをはじめ、自分の身の回りのことは、問題なくひとりでできる。判断力もある。
一方、老人、とくに、認知症の老人の記憶障害の多くは、様々な程度であるが「逆向性健忘」と「前向性健忘」が混在している。判断力がおち、幻視、幻聴がでてくる。体も弱って、一人で歩けず、歩行器や車いすを必要とし、なかには寝たきりの者も少なくない。要するに、介護者がいないと、生活が送れない者たちが、ここの「のぞみ苑」という老人ホームに入居しているのだ。
 そんな中、鈴木宏の存在は、特異なものだった。
 
 施設長の野崎淳は鈴木に親切だった。
 野崎病院の院長の阿部からは、事情はよくうかがっています、と彼は丁寧にいった。
 おやおや、事情を聞かされていないのは、私だけのようだ。
 野崎によれば、2年ほど前に「京浜大震災」があって、おそらく、そこで鈴木は記憶を失った。多くの人が津波にのみこまれ1万人以上がなくなり、沿岸部の街は津波で破壊され、沿岸部の原子力発電所も壊れ、放射能が外にもれて、住民が今もそこにもどれないという、2011年の東日本大震災に比べれば、小さい震災だったが、それでも、あちこちで、木造建物が倒壊し、鉄筋の建物にもひびわれがはいった。死者56人。重軽症者数は1000人を超えた。
 それらの情報を、鈴木は、食堂のテーブルに毎朝置いてある新聞を読みながら、その断片から少しずつ得ていった。TVやラジオも有用だった。
 しばらくすると、鈴木の判断力が正常ということがわかってくると、施設職員でケアマネージャーをしているという平松美紀という女性が、地図やら、いろいろな本をもちこんでくれた。本も利用して自分から消えた過去の知識を少しずつ思い出していった。
 面白いことに、中学高校までに学校で習った知識の記憶は残っていた。有名人や、地理の教科書や、大きなニュース、歴史上のできごとや人名は覚えていた。
 また、ごはんの食べ方、マナー、囲碁や将棋のルール、車や自転車の運転やなども、基本的にわかる。
 また新しい記憶はできる。
 いろいろな判断もできる。
 ただ、その「京浜大震災」前の、自分の個人的に関わる人の名前、地名、あったできごとを覚えてないのだ。
 
 この「のぞみ苑」は、その震災で倒壊した「野崎酒造」の社長の野崎清とその息子の野崎淳が、「京浜大震災」復興の補助金でつくった老人施設だった。実は、現在、野崎清は、要介護者として、自分が立ち上げた「のぞみ苑」に入所しており、その息子の野崎淳が「のぞみ苑」の施設長だ。
 だが、このような事実からも、鈴木は、自分の過去や自分の周囲がどうだったのか?という情報にたどりつくことはできなかった。
 鈴木は、施設ケアマネージャーの平松美紀に頼んで、代理人として、野崎淳の戸籍抄本を役所からこっそり入手してもらった。だが、そこにも「鈴木宏」とつながる手掛かりはなかった。
 平松美紀は、鈴木のことを気の毒に思ったのか、特に親切だった。とは言っても、阿部保の戸籍抄本もとってきてもらおうと頼んだときには、関係が薄いので難しいと言われた。野崎淳の場合は、自分は彼の経営する施設の職員で、施設長が戸籍抄本をとりにいく時間がないので、かわりにとりにきた、といえば、納得してもらえたのだが、ということだった。
 だが、おそらく、阿部保の戸籍抄本を調べてもおそらく無駄なことだろう。
 鈴木は、「鈴木宏」と阿部保と野崎淳に教えてもらった名前がおそらく「偽名」なのだろうと推察した。
 しかし、なぜ、彼らは私にそんな偽名をつけたのだろう?
 彼らは、私の過去を知っているような印象だ。だが、その「私の忘れてしまった過去」について私が尋ねても、「さあ?」ととぼけるばかりで、話すことは決してない。
 私が思い出してはよくないことが彼らにはあるのだろうか?
 そして、なぜ彼らは、私をこの老人施設に閉じ込めたのだろうか?
 老人施設にこもっている限り、私が昔のことを思い出すきっかけがないからなのではないか?
 
 とはいえ、この施設に入居する老人たちは、私のことどころか、自分の過去の記憶、さらには新しく経験する日々の記憶さえも、あいまいで、判断力もおぼつかない者がほとんどだった。
 だが、自分とは違って、ここに入所するまでには各々の入所者が、各々の経過、ドラマをもっている。
 たとえば、全部は紹介できないが、いくつか例をあげれば以下のようだ。これらは、鈴木宏が、施設にあった入居者情報のファイルをこっそり読んだものからの抜粋である。
 
     *
         
野崎清 82歳  性別 男        
 202X年10月、入所。
 子供はおらず、養子(本人の甥)が近くに住んで、ひとりくらしをしていた。
 入所前は、週3回、XXというデイサービスにいっていた。膝の痛みで、歩行器を使うが、しゃがめない。
 養子は、お世話をしようとこころみていたがが、うまくいかなかった。結局、野崎清は不規則な食生活、不十分な家の清掃等、ひとり暮らしが困難ということで、入所となる。
(養子は、他でもない、「のぞみ苑」の施設長の野崎淳だ)
 認知症は軽度、生活もかなり自立。
「医療情報」
心房細動による心臓血栓生成→脳血栓、腹部大動脈瑠あり→破裂、の予防のために、抗凝固薬のバイアスピリン長期使用。
(202X年3月24日。施設内、夜間トイレでの転倒にて、脳出血が拡大した、ひとつの理由)
 膝痛にトラムセット(カロナール+トラマドール)を使っている。
 
上原春雄 83歳  性別 男
 子供二人。
 二男は、先の京浜大震災にて被災、行方不明。1年後、家族によって死亡届が出される。
 長男は、X町にて、老夫婦のめんどうをみていた(未婚)。が、鬱になる(介護も影響?)。本人、母親の介護はできるが、父親の介護は、私情でできない?
 202X年10月ごろに、入所がきまる。
「医療情報」
 入所直前、インフルエンザ感染にて、一時、X病院入院。入所が遅れる。入院時に意識喪失発作あり。原因不明。不整脈にて心臓に血栓ができ、それが、脳へ飛んだ?そのためワーファリンがだされており、継続中。入院中、   夜間、病棟内での徘徊もあった。
 入所時、環境の変化のためか、家にもどりたいためか、不隠が強く、一時リスパダールつかっているが、徐々に減量(現在はオフへ)。
パーキンソン病様の手のふるえがあり、ビシフロールによって、ふるえがとまり、フォークを口にもっていけるようになる。
 左の腕があがらないのは、本人、五十肩、と。
 
鈴木良子(女鈴木) 79歳  性別 女       
 本人は、繊維工場?の経営者だった。夫の死後に女社長となる。
 代がかわり、息子が、仕事を継ぐ。経営の仕事上、息子の嫁の存在が大きい?
 息子夫婦と同居していたが、息子夫婦が、同居が困難とかんじ、202X年11月、本人は入所したくないにもかかわらず、入所となる。
 認知症は、高度。短期記憶障害等、あり。
 入所後、12月から翌年1月くらいまで、帰宅願望が強く、毎日15分おきに「なんで私はここにいなくてはいけないの?家にかえりたい」と施設スタッフに訴え、対応が難しかった(一日累計50回超の訴え)。また、息子夫婦が本人と連絡を絶つ・担当者会議にでてこない、等の問題もあり、施設側の対応はたいへんだった。
(施設の他の仕事がまわらなくなったため、鎮静目的でリスパダールを使用しないと、いけないほど)
 現在は、一時に比べれば、落ち着いたが「おうちにかえりたい」という本人の気持ちはかわっていない。
 本人vs 息子夫婦、の争いの中で、当初、本人の味方と思われた、本人の姉妹が、本人の財産の横領(本人もちの現金を勝手に使いこんだり、本人に付き添って外出し、銀行で本人名義の預金ひきだしたり)をしていることがわかった。今では、息子夫婦 vs 本人の姉妹、という図式に、変わっている。
(入居者さんは、息子側についている。だが、息子側の反対で家には帰れない)。
「医療情報」
 睡眠薬2種は、昼間のこりにくく、習慣性も比較的少ないマイスリー(あとは、ルネスタ、ベルソムラの計3種が推奨)。
 
M.Y. 75歳 性別 女
 202X年1月、老夫婦二人暮らしをしていた大阪府Y市を訪れた息子が、家のそうじ、せんたく、家事がされてないことに気づく。
 202X年3月。老夫婦の夫を東京の長男が、妻(入所者 M.Y.さん)を、X市の次男がひきとることになる。親子の相性等、の問題からそうなる。
 次男がひきとったX市では、202X年3月に一時、特養Xへ入所する。 お風呂が怖くて?はいれなかった。当施設は当初、短期体験予定だったが、  入所2日目に風呂にはいれたため?ここ「のぞみ苑」に転居入所がきまった。
 本人は、山口県出身。若いころから、大阪へ。結婚してからは専業主婦(夫、X銀行勤務。転勤多かった)。カラオケ好き?
4人兄弟。下の弟はなくなっている。年のはなれた、あと二人の兄弟は、東京と山口に住む。
 本人、山口をなつかしんでいる。
 夫が、東京の長男のもとへいき、大阪の住居がなくなっていることには、まだ知らされてない。
(これらの話は、次男の妻より面接時に聞く。次男の妻とは、一緒に暮らしたことはない。X市に数度、過去に遊びにきたことはあるのみ)
「医療情報」
 大阪府Y市の病院に通院できたころは、高血圧のくすりのみ。
 来院時の諸検査で異常みられず。
 Y市からX市にきた当初、次男の嫁の判断で、X内科初診。グラマリール(抗うつ薬)、ウインタミン(鎮静剤)が処方。今後は、訪問診療で、処方予定。
 認知症について。時計描画はできない。掃除器や風呂がこわい?手順がわからない?
 
S.I.89歳  性別 女
 202X年6月 自宅で転倒、腸骨骨折にてX病院入院中(手術せず、保存的治療)、下血にてX市民病院転院、大腸憩室炎であった(大腸癌ではない)。退院とともに当施設へ。
 6月以前は、長女夫婦(二人の娘、長女、次女ともX市在住。夫は平成X年に死亡。6人兄弟で80歳過ぎの元気な弟のみ生存)の、同じ敷地で独居。食事、清掃は娘がおこなう。ひとりで外出は困難。歩行は可能だった。
当時、Xクリニックで、認知症の薬、パーキンソン病の薬投与が開始されていた。
 認知症、幻視、パーキンソニズム(転倒しやすい)、夜に大声、調子の変動が激しい→レビー小体型認知症と思われる。
 腸骨骨折が、整復されてないためか、立ち上がるのがやっと。
 時計描画認知症テストにて、数字は描ける、が10時10分は描けず。
 貧血は軽度(市民病院の入院時の最低値もHb:9台まで)。
 結婚後は専業主婦。60-80歳、大正琴をされていた。
 入居前、長女の、介護の心的負担は、かなり強かったよう。
 
S.T. 91歳  性別 女
 香川県Y市にずっと住んでいた。
 202X年、 夫死亡後、一人暮らし。
 202X年11月。香川県Y市の老人施設「Y」入所。その少し前から両膝(?)痛み悪化し、歩行時にシルバーカーを使うように(それまでは独歩)。
 その後、次男夫婦(嫁がキーパーソン)は、当X市からその施設のある香川県まで、十数回往復。
 今回、次男夫婦の自宅のあるX市にて、施設をさがした。
(注意:本人の遺産相続権をめぐり、子供間でのトラブル有り)
「家族等」
 夫は、市職員(農業試験所?作物や家畜の試験飼育を妻S,Tも手伝う)
 子供は、長女(高松)、長男(神奈川)、次男(愛知)。
 兄弟は、本人、長女、次女75歳で死亡、三女48歳で死亡。
 趣味は、和裁、手芸
「既往歴、現病歴等」
 202X年 脳梗塞も、後遺症なし。
 予防で、抗凝固剤プラザキサ→入所時から、出血の合併症の少ないエリキュースに変更
 高血圧、高脂血症のくすり(なくてもよい?)
 難聴高度
 外来では、筆談でコミニケーション。難しい漢字は読め、上記のほとんどの情報は、本人から筆談で得た。
 
Y.H. 93歳 女性
 202X年3月7日、義理の息子=長女の夫、X氏、と面接。
 本人3人兄弟。上、二人はなくなっている。
 本人にはふたり娘がいる。次女は京都?
 長女夫婦と、X市で同居していた。
 本人、ふたりの娘が小学校のとき、離婚。女手ひとつで、子供二人を育ててきた(仕事は保険外交員。80歳すぎても、仕事をしていた、と長女=妻から聞いている、とX氏の話)。
 そのころからの積み重ねのためか、同居はしていたものの、母娘の関係わるく、娘(長女)は母親と話すだけで体調をこわすとのこと。
(娘に母が原因の心的外傷あり?母親の離婚後、60年後に、母親の前の夫=長女の実の父親、が亡くなったときには、長女は父親をみとったとのこと)
 なので、本人と長女の間に、長女の夫のX氏がはいっている。
(そのため、今回の面接や、入居の引っ越し作業も、義理の息子であるX氏が行う)
「医療情報」
 202X年12月6日、左大腿骨頸部骨折に対し、X市民病院にて手術(右側も、H10に手術してる)。
 202X年1月、X病院に転院しリハビリ。
 X病院退院と同時にこちらへ。
 自信はないようだが、杖、あるいは杖なしでも歩ける。
 認知症は、ない。
         
 そして、鈴木宏のファイルは、こうだった。
 
鈴木宏 年齢 ?  性別 男
 「医療情報」
 逆向性記憶障害
 
 鈴木宏に関する、そのファイルの中の入居者情報は、これだけだった。
「チェッ」
 鈴木は、舌打ちしたが、しかたがなかった。
 
         *
    
 老人施設にはいるということは、今、備忘録のように断片的に示したような「ドラマ」の「終わり」ともいえた。
 
 だが、このように「既に終わった」家族背景や社会背景は各人様々であるが、老人施設入所者共通の、過去の「ドラマ」もある。
 それはたとえば、パンツから紙パンツ、そして紙オムツへかわっていく時の本人の抵抗は大なり小なり誰にもあり、超えていかねばならなかったところだったに違いない。
 電話魔になるとか、人を泥棒よばわりするとか、人の悪口をいうとか、ところかまわず鍵をかけたり、電気製品のコンセントを片端からぬいたり、など、本人のバランスの欠いた思いこみ、あるいは幻覚によるおかしなところも、どの入居者の過去にも、大なり小なりあったことだろう。
 徘徊も、あったかもしれない。目的をもって出かけたものの、道に迷っているうちに、自分が何をしに出かけたのか忘れてしまった、という例を含め、その経由はいろいろだったであろうが。
 しかし、ここ老人ホームに入所する時点では、この種の、個人の身体的精神的「ドラマ」もまた、多くは、もう終了した後のことだ。あるいは、家族の目の前から消えるという意味で、幕引きにはいったということだ。
 この「のぞみ苑」に入所した時点では、既に最初から紙オムツになっているし、部屋に電話や鍵やコンセントはもうないし、一人で施設の外にでる体力は残っていない。
 見方をかえれば、ここの施設でおきる事件といえば、おむつから便や尿がもれた、とか、老人が隠した食事や家人のもちこんだ食物が腐って異臭をはなったとか、トイレットペーパーを便器に大量にいれ詰まらせたとか、妄想とかで大声をあげるとか。
 おおむねここの施設内の世界は、「起承転結のない」「平和な」世界といえた。
 それは、暮らしていて、この「平和な」世界がいつまでも続くように、と、鈴木が時に思うことさえあるほどだった。
 
     3
 
 施設長の野崎や介護職員は、毎日、そういう者たちのお世話に追われていた。ちゃんとしようとすればきりがないし、手をぬこうとすればいくらでもぬける。そう言う意味で。この仕事はやはり家事に似ているのかな?と鈴木は思った。
 鈴木が、「ちゃんと話がわかる」相手だと知ると、施設職員の鈴木への態度もそれなりになっていった。
 鈴木の方も、施設職員ともすすんで、話をするよう努めた。
施設職員と話をすることは、記憶を失った自分とつきあう、いい練習場だったからだ。
 皆、親切だった。
 だが、鈴木が「私は、誰か?」ということに、触れると、職員はみな口をつぐんだ。とはいえ、もしかしたら、野崎以外の職員は、鈴木宏の過去を本当に知らないだけなのかもしれないが。
 鈴木が、特によく話すのは、戸籍抄本の取りよせも頼んだことのある、施設ケアマネージャーの平松美紀。30歳半ばか?経験や知識が豊富の上、女性にしては感情の起伏が少なく、自分をコントロールする方法を身につけている。頼りになる存在である。施設長の野崎からの信頼も厚いようだ。結婚はしていないとのこと。
 他には二人の、まだ20歳台前半の介護士の若者。
 田中健一は、最近結婚したばかりで、子供ができたばかり。はりきっている。小中学校、外国によくいっていたせいだと本人は言っているが、漢字が読めない、字が書けない。もしかしたら、書き言葉がよく理解できない「失読症(ディスレキシア)」なのかもしれない。美容師の免許もあるが、研修についていけなかったという。
 小林奈津子は、施設のあるところよりもずっと田舎の山奥の生まれで、この施設で働くのではじめて村からでたという。素朴な感じの娘だった。鈴木に対してだけではなく、どの入居者に対しても優しかったが、特に、同じ村の出身で、小さい頃からお世話になっていたという、入居者の上原春雄に対しては、親子のように接していた。
 この上原春雄は、こちらも施設入居中である、施設長の野崎淳の養父、野崎清が蔵元を努めていた「野崎酒造」の杜氏を長く勤めていたという。
蔵は、介護士・小林奈津子の出身地でもある、その山奥の村にあった。だが、今は、その酒蔵は閉じられ、かつての蔵元・野崎清、かつての杜氏・上原春雄、二人ともが老い、二人とも、ここ「のぞみ苑」に入居しているのだった。
 一般に、介護士は、看護師よりも優しい気がする。車いすに座って自由に動けない老人たちの、背中をばんばんはたきながら、大きな声で話しかけるのが看護師。一方、車いすの前に座って、入居者の正面から下からの目線で穏やかに話しかけるのが介護士。そういうイメージがある。
 野崎淳も、大事な秘密こそ決して口にすることはないが、鈴木宏に対して親切だった。
「あなたは、入居する人というより、ここで働ける人だ」
と、野崎は鈴木を持ちあげた。
それはどうだろう?
 いずれにせよ、野崎は、施設の経営についての悩みも鈴木にうちあけるようになっていった。
 入居者や職員に優しく、合理的に接している野崎ではあるが、経営の問題は、開設1年たっても、頭が痛い問題だった
それどころか、年々、悩みが大きくなる。
 経営の一番の問題は、施設を立ち上げたときの初期費用のための借入の返済額が大きいことだった。だが、それは、計画に織り込み済みだったはずだ。
 問題は大きく二つあった。
 ひとつは、収入が、計画よりも、下回っていることだった。その原因のひとつは、利用者の平均介護認定度が想定より低いことだった。そのため、国(税金)から得る「介護報酬」が当初の予定より低いのである。
国が設定している介護報酬はもともと異常に低い。
 訪問介護は、1時間の介護報酬が2700円でしかない。
 たとえば、介護士が1時間働いたとする。
 介護報酬は、2700円事業所に入る。一方、人件費は、仮に遠方へ往復の交通時間等で1時間のサービス提供のために、+1.5時間かかったとすれば、(時給1000円)x2.5時間=2500円。
 介護報酬は人件費で消えてしまう。
 施設への訪問介護は、交通時間が0時間なので有利といわれている。(細かいことをいえば、施設の訪問介護費は、交通時間がかからないので、ご丁寧にも、10%減算と定められている!つまり、1時間の介護報酬は、2700円x0.9=2160円だ)。
 だが、施設開所から2年間、人件費が介護報酬を常に上回っているのが、現状なのだ。
 訪問介護サービスの「時間割」はずいぶん、現場スタッフによって工夫がされてきた。にもかかわらず、この数字だ。これが、国で設定された介護報酬が低すぎる、という意味である。
 そもそも、人間活動を数字に換算して考えよう、という出発点がおかしい、といえないこともない。
 訪問介護は、1時間の介護報酬が2700円。同じことを看護師がおこなうと看護報酬は倍の5400円(そして、しばしば、介護士のほうが看護師よりも優しいのだ)。医師の訪問診療は1時間1万円だ(多くは、処方箋を発行するだけ、つまり薬を出すだけで、その薬は介護への貢献はほんのわずかだ)。
 もし「人間活動を数字に換算する」ということを、長所短所もふくめて、もし認めるなら、設定された介護報酬が異常に低い、ということになる。
 もうひとつの問題は、介護職の人の慢性的な人手不足だ。
これは、介護の仕事が、汚くて暗くきつい、というだけでは
ない。介護士は一般的に労働が下手である。お目付け役、兼、なだめ役が不可欠である。「1カ月でやめて次の職場を探すのがめずらしいことではない」という職場の状況は、あきらかに他の職種にくらべて「めずらしい」。
 野崎淳は、老人施設の経営改善のセミナーをいろいろうけたが、ひとつの疑問を感じていた。
 介護経営のためにコンサルタントがすすめることは、すべて介護士の犠牲と利用者への犠牲、つまり介護の質をおとすことにつながることばかりなのである。それを自慢げに話し、「どんどんおちこんでいく日本経済の中で、唯一といえるほどの成長市場は高齢者をターゲットにした医療・介護の分野です」と言える感覚は、現場を直視していないか、もしくは、異常な感じであった。
 例えば、介護のコンサルタントが、判で押したようにすすめることは、食事を介護士が調達すること、デイサービス併設、訪問看護・訪問リハ・ケアマネの、自社経営である。
 よく考えれば、いずれも、介護の質の低下につながっていかないか?そういう、想像力をもつ、介護コンサルタントに、残念ながら野崎はまだ会っていなかった。話としては、おかしくないかもしれないが、介護に関わる人材の、決定的な人材不足がある以上、それらは机上の空論なのある。
 いずれにせよ、介護でもうけるということは考えにくいということを、野崎は、介護事業所の経営を始めた後に、ようやくわかったのであった。介護で売るのはサービスであり、ベッド数は限られる。ものを生産する企業とは性質が異なる。右肩あがりの増収は見込めないだろう。
 だが、介護のしくみについて、「わかって理解した」と思ったとしても、社会体制について悪態をついたとしても、経営が苦しいことにはかわりはない。
 施設長の野崎は、ずっと施設の経営が、まるで、いつもお金のなかった、学生時代の一人暮らしの時のような自転車操業状態にあることを、いつも鈴木にぼやいていた。
「施設はずっと赤字続き。こんなはずじゃあなかった。これでは、終わりのない道しるべ、状態だよ。半年後には、目標到達、黒字化達成だ!と思いがんばっても、半年後には、入居者が亡くなったり入院したりして減って。またまた、目標は先だ。これはないよね。『10km先、目的地』と書かれた看板にしたがって道をいき、たどりついたら、『目的地、さらに10km先』という看板にまたおめにかかるようなものだ。借金を増やすために仕事をするっていうのは、まさにこのことだ。
これなら、いっそ、地震で倒壊した『野崎酒造』の蔵を再建したほうがましだったかも。
 日本酒というものづくりなら、たとえ、日本酒の消費量が落ちこんでいるとはいえ、老人介護のようなサービス提供よりも、未来があるかもしれない。
 すぐうまくいって、おおもうけはできないにせよ安定していくだろうと考えていた、介護サービスは、完全に予想と違ってしまった。でも、もう後悔先にたたずだが」
 職員の噂では、施設長の野崎淳と介護士の小林奈津子がいい仲になっているということだった。野崎淳は結婚していないので不倫ではないが、45歳の野崎が、年の離れた、20歳少しで田舎からでてきたばかりといった清純な雰囲気さえもつ小林奈津子とつきあっているという噂には、鈴木も少しおどろいた。
 だが、野崎淳の側からしてみれば、苦しい経営が続く最中に現れた小林奈津子は、天使のようなものなのかもしれなかった。それを、単純に、不埒なことだと非難できるであろうか?
 
 

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