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新しき地図 16 再会 ~ エピローグ

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16 再会
 
 ダイゴと私は、実は生きていた上原岳人が醸したと思われる、日本酒製造会社の酒蔵でおこなわれた、酒蔵コンサートに「サックスカルテット」として参加した。
 今回は、サチさんのピアノとダイゴのサックスで、静かにゆったりと聞かせるのでなく、サックスカルテットという形にした。もちろん私は、サックスは吹けないのでアシスタントだが。
 少しでも、目立ち、上原岳人の気を少しでもひかねばならない。上原岳人には、なんとしても、会場にでてきてもらわねばならない。派手にいこう。そう決めた。
 日本酒づくりは、11月くらいから3月までだ。日本酒づくりの技術責任者である杜氏の中には、この期間がおわると「地元」にもどってしまう人も少なくない。杜氏は、季節限定の「でかせぎ」の側面がある。残りの期間は、蔵元(社長)を中心とした、販売、販促が仕事になる。そのため。日本酒をつくるスペース(蔵)は、4月から10月まで、空き部屋となる。
そこを利用して、年に1回、販促を兼ねて、音楽コンサートを開いたりする蔵も中にはあるのだ。
 入口では、社長をはじめ、何人かの社員が日本酒をテーブルの上にならべ販売している。
 蔵の天井は高く、中は、昼でもうす暗く、少しひんやりしている。確かに、音楽のライブ会場と似ている。
 音楽は、ギターやピアノのひきかたり、二胡の演奏、グラスハープ演奏など様々だった。
 
 ダイゴがソプラノサックスを努める、そのサックスカルテットの4人は、まるで夜間の工事現場でよくみる作業員たちのような、出で立ちだった。
 しかし、彼らの作業着の服は、赤、黄、緑、青、黒とカラフルで、彼らは案内灯のかわりに、楽器をもち演奏していた。
 彼らは、作業着の上から肩から腰にかけてベストを着ていて、そのベストには、ライトが組みこまれていた。それらは演奏される音楽のリズムに呼応するのかしないのかもどかしいタイミングで昼間の光の中で点滅した。
 ソプラノ、アルト、テナー、バリトンサックスの4人。そこに、マーチングパーカッションもくわわった、彼らの奏でる音楽はジャズ。
 それもとびきりの。
 4人は、あるときは整列し、あるときは輪になり、またあるときはばらばらにとりかこむ人垣の間を自由に歩きながらもそのスウィングはけっして乱れることはなかった。
 4人をとりかこんだ人垣の間から、さらにとびいりのトロンボーンやトランペット奏者やアコーディオン奏者、あるいはパーカッショニストが即興演奏に加わる。
 ミュージシャンだけでなく、ジャグリング、クラウン、パントマイム、アクロバット。
 さらには、ウオーキングアクトやスタチュー。
 大道芸人たちも飛び入りだ。
 彼らの上をとぶドローンからは、紙吹雪が舞った。
 これは仕組まれたパフォーマンス「フラッシュモブ」かもしれない。
 だがいずれにせよ、その「すべて」が仕組まれたということはありえない。
 私は、といえば・・・舞台袖で、ステージ上でドローンをとばす操作をしていた。
 また今回、演奏に参加していない、アイちゃんとサチさんは、やはり舞台袖で、パソコンとにらめっこをしていた。
 逆探知でとらえた、上原岳人が携帯するiPhoneをGPS機能で、パソコン上で追っていたのだ。
 今のGPS機能は精度が高い。
 上原岳人が、酒蔵ライブの行われている会場にはいるのを確認した二人は、演奏中のダイゴに合図を送った。
 ダイゴは、上原岳人と、上原秋子、小林奈津子、そして野崎英一が再会して、涙を流して喜ぶ姿をステージ上から確認した。
 上原岳人にとって、上原秋子とは、親子の再会。そして、小林奈津子とは、異父兄弟の妹との再会だ。
 上原岳人に会えたら、そのことを、岳人にちゃんと話をする、とここに来る前、上原秋子は宣言していた。
 そして、上原秋子は、野崎英一を、岳人の、異母兄弟だという話もするだろう。上原春雄という共通の父をもつ。
 こちらは、本当は間違っている。野崎純子の話では、野崎英一の父親の上原春雄と、上原岳人の父親の上原春雄は、同一人物ではない、とのことだから。
 でも、そんなことはかまわない。訂正する必要もない。
 血縁でない、家族の物語は存在するのだから。
 
 
   エピローグ
 
  1
 
 私は、いつものように、夕方、ダイゴの外来が終わるころをみはからってクリニック2Fにある彼の院長室を訪ねた。
 秋風がふきはじめ、院長室の窓の外に広がるクリニックの建物の周囲の田んぼの稲の穂が既に色づき始めている。だが、今年、その一部は、稲は植えられずに、分譲住宅用地として流用されたのだった。何軒かは既に完成し、何軒かはまだ建築中だった。まだ、買い手がつかずに、宣伝ののぼりが風にはたむいているところもあった。
 裸になった、けやきの木がうすら寒そうにゆれている。クリニックの周囲に植えてあるサザンカの花がぽつりぽつり咲き始めていた。
 今日は、いつもと違って、ダイゴは診察を終えたあと、既に院長室に先にきていた。
「こんばんは。今日は、練習はなしなのかい?」
 ダイゴは、診察後、1Fの防音効果のあるレントゲン室の中で、ソプラノサックスの練習をするのが日課だった。
 そして、最近では、私が、彼が不在の間に、院長室の冷蔵庫やコンロで簡単なつまみを作っておき、彼が練習を終えて2Fにあがってくると、日本酒をあけながら「お楽しみ」の時間・・・実はぼくの探偵稼業上の事件の相談なのだが・・・を二人ですごすようになってきていた。
 今日、私が用意したのは、いわゆる「常夜鍋」。いわば、ホウレンソウと豚肉の水炊きだ。深まってきた秋から冬にかけてぴったりの「ひとりめし」メニューだ。
「ああ、夏のBBQが終わったんで、少し練習のモチベーションが下がっているんだ。今日は練習なし・・・実は、今日は、ぼくが用意した、特別のごちそうがあるんだ、クニイチ君」
 この夏の終わりに、クリニックの駐車場で、クリニックのスタッフをはじめとした身内でBBQがおこなわれ、そこでダイゴ院長たちの演奏が披露されたのだった。
(ライブハウスとかで、お金をもらって聞いてもらうような価値は、ぼくの演奏にはない。お金を払って、聞いていただくんだ、とダイゴは言っていた)
「ごちそうか。確かに」
 それは、上原岳人が杜氏をつとめる蔵の日本酒だった。
「この日本酒は今年の新酒かい?」
「そう新酒といわれている。でも、実際は、昨年秋に収穫した米をつかって冬に酒を完成させたあと、6カ月ほど寝かしておいておいたものだ。それが、日本酒の新酒さ。日本酒は不思議なもので、完成させたあと、栓をあける時期で味が違ってくるんだ。栓をあけたあとの時間によっても違うし、もちろん、冷やしたり温めたりしても違う。おまけに、器が違うと、同じものでも味が違ってくるんだ。平底のおちょこと、今飲んでる細身のワイングラス、それと、よくあるぐいのみ。比べてみるかい?」
 酒は、人を殺す、という。一方で、酒は、人の心の鬼も殺す、ともいう。毒をもって毒を制する、といったところか。
 そんなへりくつをつけて、医師であるにもかかわらず、ダイゴは日本酒を飲み続けている。
 患者さんにも、例えば小さな傷を外来で縫った後「今日はアルコールはだめですか?」と聞かれれば「少量ならばいいです」と答える。健康診断で、肝機能がアルコールで悪化していても、その程度が軽ければ「アルコールを減らしましょう」とは言うが「絶対にやめましょう」とは言わない。
 なにを隠そう、ダイゴの肝機能も正常範囲より悪化しているが、長年、悪いなりに横ばいの数値を保っているという理由をつけて、日本酒をやめることはない。
 
 私(クニイチ)とダイゴは、その日本酒の新酒を少しずつ味わった。お互い今日は無口だ。
 上原岳人が杜氏を努めていた酒蔵の「酒蔵コンサート」で、上原岳人は、母の上原秋子、小林奈津子(実は岳人と異父兄弟だった)、そして野崎英一(実は岳人と異母兄弟だった、と説明があったはずだ)と再会した。
 ダイゴの推理どおり、自分の死体を弟の海人と「いれかわって」上原岳人は、乗っていた車の交通事故のあと、生き延び、今は某日本酒の蔵で杜氏をつとめていたのだった。
 上原海人として。
 そこで、野崎英一と上原海人こと上原岳人ら、みんなが話し合ってだした結論は、この「いれかえ」のことは世間から隠しておく、というものだった。
「ということは、岳人君は海人君としてこれからずっと生きる?」
「一度死亡届けをした行方不明者が、みつかった、ということで成立するだろう。今、岳人君は、自分の父親が杜氏をつとめていた『野崎酒造』の日本酒においつき、さらにおいこそうと努力をしている。もし、真相を警察に行ったら、弟の死体遺棄やら、野崎淳の殺人やらで、懲役10年はくだるまい。彼は、自分の犯した罪だ、仕方がない、自首をすると言ったのだが、それをまわりのみんなが止めたんだ」
 そう、野崎英一はこう説明したのだった。
「岳人君に、自分の理想の日本酒づくりを続け、理想に近いものを是非つくってほしい、と話したんだ。もし、真実を公にしたいなら、理想の日本酒ができたときにすればいいじゃあないかと。それまでは海人としてがんばってくれ」
 自分の兄である野崎淳が岳人に殺されたのであるが、記憶喪失した野崎英一には、その実感や、恨みの気持がどうしてもわいてこなかった。
それに、上原岳人と自分は、母親こそ違えども、「上原春雄」という不世出の杜氏の息子だ。自分は、酒造りの能力はなさそうだが、腹違いといえども弟の岳人は、その才能をうけついでいる。それを応援していくことは、これからの自分にとって、大切なことなのだ。
 母親の上原秋子も小林奈津子も、岳人が海人としていきていくことに賛成、「共犯になる」と言ったのだ。小林奈津子は、こうも言った。
「わたし、ネット上で、義父を介護の現場で虐待した、といじめられた時があったけど、わたしはわたしがそうでなかったことをよく知っていたわ。でも、弱気になった。そんなとき、匿名の相手から援護されたとき、どれほど嬉しかったことか。そしてそれが岳人だったなんて、さらに嬉しいわ」
 かくして、この「いれかわり」は成立した。
 今の、記憶を失った野崎英一のいろいろな言動をみていると、そもそも、記憶喪失になる前の野崎英一は野崎守を殺すまでもなかったのではないか?と思ったりする。同じように、上原岳人は野崎淳を殺すまでもなかったのではないか?と思う。憎しみだけでなく、そこに「衝動」が加わり、運悪く「殺人」が成立しまったのではないだろうか?
 憎しみの連鎖はとめられない、というが、そうなのだろうか?愛よりも憎しみは強い、という通説は本当のことなのだろうか?
問題なのは「衝動」をコントロールすることの難しさではないか?
「ぼくが生きている間は、ぼくが、岳人君を守ります。腹違いでも、ぼくの弟ですから。それに、これ以上、ぼくは身内を失いたくない」
 上原岳人と野崎英一は、最良の選択をしたと思う。それは正しいことでないとしても。
 もちろん、医者にも探偵にも守秘義務がある。他言することはしない。
 
   2
 
「記憶喪失、って、怖そうだけど、悪いことばかりでもなさそうだな。ダイゴにも、記憶にない愛人や子供がいたりして」
「話としては面白いが、ぼくはごめんだな。やはり、そういうものは、思い出と共に、記憶として知っておきたい。たとえ、それが、楽しく幸せなものばかりでないとしても。
 現に、記憶を失った野崎英一氏は、幸せなどころか、深い悲哀を感じているじゃあないか」
 そう。教訓風にいえば、記憶がなくなれば、そこにある深い憎しみは消える。だが、同時に、それほど強い憎しみを産みだした愛情の痕跡も消える。
それらの強すぎる愛憎は、時に、現実を脅かす凶器にかわる、「統制」せねばならない対象だ。
 だから、そのような強すぎる、ゆがんだともいえる憎しみや愛情は、お話の中にしかないファンタジーの中にとどめるのが現実的には一番『賢い』方法だ。たとえ、そこから、人間味ある『ドラマ』が消えようとも。
だが、人間は、合理的な選択だけでは幸せを感じない、やっかいな生き物なのだ。
「ところで、クニイチは、いつのまにドローンの操縦を覚えたんだ?」
「興信所は、これからはドローンくらい使えないと、商売にならないさ。尾行の道具として使うだけでなく、乗り物のようにドローンを使ったり、犯人と戦うときの武器として使ったり。
 犯人側だって、自分や死体とか物をドローンで移動してアリバイづくりや逃走に使ったりするかもしれないしね。あるいは、遠隔操作して犯罪をおこなったり、監視カメラを物理的あるいはネット的に目隠しをしたり、犯行の凶器あるいは警察との戦いにつかったり。利用方法はいろいろある」
「ドローンは、2011年の東日本大震災のときは、活躍しなかったな。もう既にあったはずだが。なかなかお役所が、公的に使うのを、認可してなかったんだな。非常時だもの、特別に、使えばよかったのに。既に、ドローンがあったのに使わなかったことも、報じられない、『官』の罪かな」
「まあ、あの災害のおかげでドローンは急速に普及したと思うけど」
 少し酔いがまわってきた私とダイゴは、思いつくままに話をしていた。
「ダイゴ、医療刑務所をもうすぐ辞めるらしいが、なにか考えがあってのことかい?」
「いや、とくに」
「でも、クリニックの診療だけでは、物足りない気持は、ずっとあるんだろう?」
「まあね。でも、しかたがない。クリニックを開業する時は、片道切符、だからね」
「また手術をする外科にもどるのは、むずかしい、ということか」
「そうだね」
「なにか、ダイゴは、まだ外科に未練があるような気がしてならないんだけど。いったい、どうして外科医をやめたんだい?」
「勤務医はやめたけど、外科医はやめてないよ。それに、けっこう、ぼくの発想には、外科的な考え方が影響している」
「勤務医はなぜやめたの?」
「なかなか、うまくいえないが。そうそう、その理由のひとつに、同遼の外科医に『サイコパス』がいたこともあるかな」
「サイコパス?」
「通常の人間が有している正常な生理学的反応が、生得的に欠落している。人を殺しても、猛スピードで高速道路をとばしても、人を騙したり、人に暴力をふるっても、眉ひとつ動かさない」
「人の手術をするのに、体にメスをいれても?」
「よせやい。それは、ぼくらの仕事だよ。そのたびに、どきどきしていたら、仕事にならない」
「成功したサイコパス、という人たちもいるらしいじゃあないか?人好きのする魅力、冷たい判断力や感情性や、他者操作性など。彼らは、サイコパスとしての特徴を備えてはいるが、犯罪とは無縁の生活を送ることができる。その特性をそれぞれの専門分野で成功するのにつかっていると。ひょっとして、ダイゴもサイコパス?」
「いや、ちがうよ。犯罪者じゃないし、成功者でもない。でも、人が死ぬのをみても、心が強く動かされなくなってしまったことは自分でも認めるよ。職業柄、一般の人よりも、ずっと沢山の死をみてきたからだろうなあ」
「で、医療刑務所の後、どこか行くの?」
「答えは・・・自分自身の将来こそ、最大のミステリーであり、冒険である、と」
 私は、おもわずふきだしたが、ダイゴの言いたいことは、私にもわかる。
若い時期がすぎて、現実性のほうが可能性よりも断然に比率が高くなってきたことはいたしたかないとはいえ、可能性を0%にはしたくないという思いは私からも消えていない。
 そう。私にとって、ダイゴ医師と共に、ある事件に対して推理をめぐらせる時は、一時、現実から離れる貴重な楽しい時間なのだ。

                          了
 


1 へのリンク: 新しき地図 1 プロローグ|kojikoji (note.com)


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