㉑「シン・開業医心得」 第2章の2より 医療報酬あるいは介護報酬の点数(単位)制度 その3
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「シン・開業医心得」 目次
プロローグ
第1章 シン・開業医心得
1 世間で時々聞く「医者に殺されないように」という文句に殺されないように
2 開業医での経験
第2章 開業してようやくわかる医療制度の問題点
1 たまに話題になるが、よく知られていないことがらについて
2 医療、介護制度の盲点
エピローグ 提言
第2章の2より
医療報酬あるいは介護報酬の点数(単位)制度 その3
人間の労働を時給で表現することは、もうわれわれにとって当たり前になっている。
(昔は、人間に対する冒とくだ、という反対意見もあったようだが、今は、人の活動の「見える化」として、逆に「もちあげる」論調のほうが多い気がする)
そして、医療制度や介護制度においては、人の労働という一般的な活動を「時間」で表すだけでなく、「労働」よりさらに具体的なひとつひとつの行為についてさえも、一歩踏み込んで、数値化していることに注目したい。
「ひとつひとつの行為」によってその数字は異なる。だが、同じ行為であれば、人の能力やキャリアによって数字は変わることはない。
介護士の処遇改善加算というものがある。ここでは、次のような形式的な前提が動かせないものとしてある。それは、「経験年数が長い人、資格のある人は、より優秀で高い給与にふさわしい」というものだ。
だが、実は、これはだめな前提である。むしろ、「逆」なのである。特に、経験に反比例して仕事ができなくなる傾向は、介護士という職業にて顕著である、というのがぼくの経験である。
一方、医療制度においてはこれとは違って、おおむね経験者のほうが、よく仕事ができる(患者対応、はおいといて)。結果。能力によらず同じ行為に対して同じ数字が与えられる。例えば、同じ手術をする限り、1年目の外科医だろうが、キャリア20年目のベテラン外科医だろうが、その報酬は同じなのである。これはこれで、能力の高い医師のモチベーションをさげてしまう、という側面が問題になる。
今までのべてきたことを、もしかしたら、人間の医療行為や看護・介護行為、あるいは高齢者の要介護度を「数値化」できたという成功例として評価する見方もあるかもしれない。
どんなものも、客観的な指標というものは、必要なことだ。
たとえ、少しゆがみがあっても、すべての人が納得する制度をつくることは無理なのだから、比較すればこれが最善である。
そう役人とか偉い人はいうかもしれない。
だが、良い悪いは、いうのが難しい。ぼくも、どちらかと、言い切る自信はない。
ただ、もし、これが成功例だとしても、無条件で成功したのではないことは確かだ。
それは、それらに対して、人間が適応していけたから、成功したのだ。今の社会にいる人間が、その「数値化」に、「社会性を発揮して」自分の「行動や考え方をあわせた」から、成功したかのようにみえているだけだ。自分が、あるいは自分の行うことが、社会によって数値化されることに、人間は慣れることができる、適応できるのだ。
(そして、個々人をみれば、なかには、適応できない人だっている!)
だが、適応できることが、すなわち、人間の行動を数値化することが正しい、というわけではない。
むしろ、適応できることが、社会制度のもつ問題点を覆い隠してしまっていないか?
人間は、社会に適応し、戦争で殺人をおこすこともできるくらい適応能力が高いのだ。
だから、やろうとすればできることが、正しいこととは限らないのだ。
これは、AIは間違えない、というようなものだ。
AIは間違える。でも、「AIの間違いを間違えていないとする」間違いを、人間が犯すので、「AIは間違えないかのようにされる」だけだ。
これからおこりうる「間違い」の可能性の例をひとつあげよう。
それは、AIに対して、人間が何を「学習」させたか?ということに関連する、「人間の犯す間違い」である。
例えば、新しく介護AIに、今の「標準的」とよばれる、約8割は「まちがった」介護に対する考えを学習させたとき。
その介護AIは、人間を粗雑に扱う悪いAIになる。
そして、今、介護AIをつくろうとしている人達は、そんなことは考えもしないのだ。
了
①へのリンク: ①「シン・開業医心得」 プロローグ|kojikoji (note.com)