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新しき地図 10 浅くない傷

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10 浅くない傷 

 

    1

 「のぞみ苑」で野崎清が老衰で亡くなって以来、様々なことがおこった。多くのことが、明らかになったが、さらに多くの謎も生まれた。
 ここで、もう一度、ふりかえろう。
 まず、鈴木宏の本名は野崎英一といい、2年前理事長の野崎守が自殺した当時、彼は野崎病院事務長をしていた。
 そして、彼は、自殺した野崎守の息子だった。
 野崎守の自殺当日におこった震災で、野崎英一は、頭に損傷を負い「逆向性記憶喪失」になった。そして彼は、当時の「野崎病院」の院長で現在は理事長になった阿部保の紹介で、老人施設「のぞみ苑」に入所となる。この「のぞみ苑」は、やはり野崎守の息子で野崎英一の兄にあたる、野崎淳が「野崎酒造」を廃業し、新たに経営をはじめた老人施設だ。しかし、どういうわけか、阿部保も、野崎淳も、記憶を失った野崎英一に対して、彼の本名や素状を隠していた。
 その素性を野崎英一に教えたのは、「野崎病院」に出入りしていたダイゴ医師だった。
 一方、野崎淳は、養父(本来は叔父。「野崎酒造」の社長)で、さらに「のぞみ苑」入所中だった野崎清(自殺した野崎守の兄)が老衰で自然死すると、ダイゴ医師に死亡診断書でなく、死体検案書を書くように頼んだ。
 その結果、死亡した野崎清が40年前、岡野静子という女性の殺人事件に関わっていることがわかった。
 その後、施設長の野崎淳は、上原岳人が運転していた車の交通事故で上原岳人と共に死亡してしまう。
 上原岳人は、この「のぞみ苑」が建てられると共に廃業になった野崎清(野崎淳の養父)が経営していた日本酒の蔵の杜氏で、やはり「のぞみ苑」入所中だった上原春雄の息子である。
 施設長の野崎淳の死後、「のぞみ苑」の経営は傾きはじめる。
 その半年後、かつて野崎淳が社長だった「野崎酒造」で杜氏をしていた上原春雄も「のぞみ苑」で自然死する。老衰であった。
 それには、事件性はなかったものの、何者かによる「虐待死」だったという、フェイクニュースがネット上に流れた。
 この影響も後押しとなって、今や「のぞみ苑」は倒産の危機にあった。

    2

  そんな中、野崎英一は、ダイゴ医師のいわれたとおりに、腹部CT写真をとり、今日、ダイゴ医師のクリニックにその結果と、2年前の、野崎病院元理事長の野崎守の「自殺」についての真相を聞きに来たのであった。
 面談時間は夕方のクリニックの外来が終わった7時。医療スタッフは既に帰宅し、クリニックの玄関と待合室の電灯は消された。
 晩秋。既に、外は真っ暗だ。
 外来には、ダイゴ医師、野崎英一、そしてダイゴの友人で私立探偵の私(クニイチ)の3人だけだ。
 ダイゴ医師は、野崎英一に診察ベッドに寝るように言った。野崎英一は、横になり、お腹をだした。腹部には、2年前の胃がん手術の傷跡が臍から上のほうに10cmほど伸びている。ダイゴの話では、胃の腹腔鏡手術が始まる前は、こんな小さな傷では胃切除ができす、剣上突起(みぞおち)から臍下までの30cmくらいの大きな傷跡が残っていた、という。
 診察が終わると、ダイゴ医師は、別の病院で撮影してきたCT写真をみせてもらえるか?と野崎英一に言った。
 最近では、CT写真をはじめ患者の検査写真は、「焼かれ」た写真ではなく、電子媒体で届く。
 ダイゴ医師は、野崎英一のもってきたCD―ROMを、机の上のパソコンに挿入して、画像をみた。
 「あの・・・胃がんの再発でもあるのでしょうか?」
 野崎英一は、ダイゴ医師が、探偵の素質があることを良く知らない。そんな質問がでても不思議なことはない。自分の素上が鈴木宏でなく野崎英一であることを教えてくれた親切なお医者さんが、自分の胃がんの手術後を心配してくれて、CT写真をとるようにいったのだ、と考えても致し方がなかった。
 とはいうものの、「手術後の事務長のCT写真をみたら、野崎守は自殺したのでなく、殺されたという、殺人事件の真相がわかる」というダイゴの話を聞いた時、正直なところ、私も、本気で、ダイゴの頭がおかしくなったんじゃないかと思ったのであるが。
 患者のCT写真をパソコン上で確認すると、ダイゴ医師は、私と野崎英一に、殺人事件に関する推理を語り始めた。
 そもそも、施設に私服でくるダイゴの白衣姿も、英一には驚きだったが、その話の内容はもっと驚くべきものだった。
 医者らしからぬ内容、という意味で。 

 ダイゴ医師は、しゃべり始めた。
「これから、野崎病院でおこった昔のあの事件がどうおこったかについての私の推理をみなさんにお聞かせしようと思います。その前に、私の推理についての唯一の直接的な証拠をお見せしようと思います。このCT写真をみてください」
 ダイゴ医師は、パソコンをクリックしたりスクロールしたりして、CT写真をみせた。
「これは、約2年前、野崎病院の理事長だった野崎守氏が殺されたときに手術室で手術を受けていた当時の事務長だった野崎英一さんの手術後2年後のCT写真です」
「殺されたって?自殺ではなかったのでは?そう聞いているが」
と言った野崎英一にダイゴは言った。
「警察の出した結論は『自殺』です。そして世間でも自殺とされています。でも、私はそうでない、ことを示したい」
「では、何の目的で、私の体のCT写真をとったのです?何かおかしなものがうつっているんです?胃がんの再発の疑いでも?」
「ええ。おかしなものが写っています。切除されたはずの、あなたの胃が写っているのです」
 私と野崎英一は、沈黙した。
 それが、何を意味するのか、とっさにはわからなかった。だが、何かが予感された。
「事件のあったその日の午前中、私は、手術があって病棟が手薄になるという理由で、アルバイトとして呼ばれていたのです」
 そして、ダイゴ医師は語り始めた。 

 事務長の野崎英一さん(あなたです)の胃の手術をしていた、というのは偽りだった。
 事務長は手術室にはいると、院長の手によって体にメスをいれられた。しかし、そのメスは体の奥深く、腹筋という壁をあけてお腹の箱の内部に到達はせず、お腹の箱の外、皮膚を切開するだけのものだった。
 傷の大きさは、腹腔鏡の手術と同じ位置で同じ長さ。
 小さい傷なので、局所麻酔を使って、そのような傷をつくることは優秀な外科医である院長にとって朝飯前のことだった。
 それが済むと、事務長は半裸の状態で理事長室に向かった。
 手には、理事長とその妻とその息子である事務長だけがもつ部屋の鍵と、包丁をもって。
 彼は、鍵をあけて父親の頚動脈を切って殺害したあと、凶器の包丁を床におき、理事長室からナースステーションに無言電話をかけた。
 そして、人が来る前に、部屋から外へ出て、また手術室の中に戻った。
 理事長室から手術室の間は、遠くから人が来ない限りは誰も見られない位置にあった。
 そして殺害のときに浴びた血は、手術室内の更衣室のシャワーで洗い流し、そのまままた裸で手術台に横になった。
 あとは、時間がすぎてから手術室から病棟へでるだけだ。
 表面の体の傷をみれば、事情のしらない看護師や医療スタッフはまちがいなく胃の手術を事務長は受けたと疑わない。
 事情の知っている、手術に立ち会っていたもの。
 それは今回の共犯者で固めた。
 院長、そして秘密を守ることができ秘密を守ることで得る報酬に興味のある少数の「味方」で。
 おそらく、動機は事務長の父親である理事長への積年の恨み。例えば、医者になぜならないのかという無能力者扱いされたことへの腹いせ。
 あるいは、経営の実権を理事長から奪おうと、事務長と院長が共謀したか。
 術後の事務長のCTで胃が残っていることさえ知られなければ、まず思いつかないシナリオだ。
 だが、胃の手術がされてないということがこのCT写真で明らかになった。真相は今話したようなところだと思う。
「でもダイゴ先生は、午前中おこなわれていたその手術の映像を、病棟にあるモニターでリアルタイムに見ていたと言っていたじゃあないか」
と私はダイゴに聞いた。
「いやあ、それはリアルタイムの映像でなくて、過去にここの病院でおこなわれた別の症例の録画だったんだ。なんとなく、ぼくはその手術風景を見ながら違和感を覚えていた。午前中、回診やら他の仕事の合間に、ちらちらと映像を見ていただけなので、そのときは違和感が何なのか、よくわからなかった。それでそれは何なのか知るためにもう一度映像を見直してみた。
 まず思ったのは、今見直している映像が録画ということは、午前中みていた映像も録画ということだってありかも、ということだった。なぜなら、午前中にぼくが覚えた違和感の原因がはっきりしてきたからだった。
 ひとつには、腹腔内の脂肪の量が、あのメタボ体型の事務長にしてはあきらかに少ないこと。もうひとつ、画像には臓器や道具だけで人間が写っていないのだが、その道具の動きや手術の手順がぼくの知っている院長のものとは微妙に違っていたこと。ぼくは、昔、ここの病院でこの手術を院長とやったことがあるんだが、そのときの彼の癖の記憶と違っていたんだ。もちろん、時間がたって院長の手術手技も変わっていった可能性もある。
 でも、よく見続けていてわかったよ。
 あれは、昔、ぼくがここの病院で執刀した手術の画像だ。映像に映らない術者は、ぼく自身だ。
 そう確信したとき、ぼくが、あの手術はされたことになっているが実は行われなかったのではないかと考えるのは自然なことだった。
 そしてそれを実証する方法は簡単だった。
 術後の事務長の体に、切除されたはずの胃が残っているかどうかCTで確かめればよい。
 あとは、行っていない手術を、行ったかのようにみせたのはなぜか?と考えていけば、事件の真相には容易にいきつく」

 ここで、ダイゴは一息した。
 私は思った。
(犯罪を起こすのは、いかにも世間の常識から外れたようにみえる人よりも、名士風の、世俗的な成功と快楽しか信じられない輩であることが多いのだ。
そして、実際おこったことを想像することの方が、実際におこらなかったことを想像するより、はるかに難しいことが多いのだ)
 ダイゴの話を聞いて、野崎英一は、頭を抱えていた。
「わたしは・・・当時の記憶がまったくない。自分の父親を殺すなんて。そんな、恐ろしいことを私はしてしまっていたのか」

        3

  2年前自殺として扱われた、野崎守の殺人事件は、警察によって再捜査され、検察によって起訴されて裁判にかけられた。
 当時の野崎病院院長、現理事長の阿部保らは、すべてのことは、野崎英一が主導したもので、自分たちは、半強制的にその共犯にさせられた、と証言した。もちろん、野崎英一には、それについて反論する記憶はなかった。
 被害者である野崎守の妻の純子は、二人の息子のうち一人が交通事故で最近死亡し(野崎淳)、もうひとり(野崎英一)が自分の父親殺しで裁かれるというこの事態に、途方にくれ、有罪ではなく、むしろ情状酌量を裁判で訴えた。
 一方、加害者である野崎英一にとっては、たとえ自分が起こした父親を殺すという凶悪事件とはいえ、記憶が全く残っていない事件について罪を問われるのは、まるで、他人の罪を無罪の自分がすべて被っているような気持ちだった。
 それに、自分だけでなく、手術室にいた人間なら誰でも、たとえば阿部保でも、野崎守を殺害することができるはずだ。特に、外科医である阿部保なら、「殺害のための急所」も容易にわかるに違いない。
 この点に関して、裁判の経過中、野崎英一は、ダイゴ医師にも問いただした。
「自分が、殺したとはかぎらない」
 それについて、ダイゴは「そのとおりだ」と認めた。
「後は、裁判での様々な証言で決まる」
 そして、阿部保だけでなく、他の手術スタッフはみな、
「野崎守殺しを実行したのは野崎英一だ。雇用をめぐる事柄をちらつかせ、われわれに秘密を守るよう、野崎英一は強要した」
と証言したのである。
 彼らは、今、裁判でそう証言するよう、阿部保に強要されている可能性はないのか?
 そうダイゴに食い下がると、答えはこうだった。
「誰もが、どんなものにも真実があると考え、それを何よりも優先しなければ、と口にする。しかし、真実だけ求めればいいとは限らない。特に、医療のような領域がそのいい例だ。医学的に正しいからといって、食事がとれない高齢者に、胃ろうや高カロリー輸液をすることは、必ずしも良いこととは限らない」
「じゃあ、今回の事件で、ぼくが罪を負うことが、一番良いことだというのか?」
 野崎英一は、「ダイゴ医師も、阿部保らと同類だ」とあきれかえるしかなかた。 

 刑は懲役2年だった。
 犯人である野崎英一に、犯した事件の記憶がまったくないということは、裁判官にとって難しい判断となる要素だったに違いない。
 自分の起こした事件の記憶がないものが、どうやって、受ける罰を通して、起こした事件について反省できるというのだろう?
 野崎英一は、刑に服すかわりに、自分の命を自ら断つことも考えた。
 だが、自分の死とはなんなのだろう?
 死ぬ経験をしてみなければ、自分の死、はわからない。わかるのは、他人の死だけだ。
 問題は、残された者が、どう思うかということだ。
 だが、自分の父は(自分が殺害して?)死亡しているし、兄も交通事故で死亡している。自分は結婚もしていないし、(どうやら)恋人もいない。親しい者の中でいえば、唯一、自分の母親の野崎純子は、自分が死んだあとも生き残る。悲しく思うだろうか?
 実は、過去の記憶が失われた野崎英一には、残されて悲しむ母をうまく想像することができなかった。そう。父も兄も死んだ、とは言っても、本当の意味で、親しい者が死んだという悲しみの気持ちはわいていなかった。「言葉」だけの父や兄なのだ。
 それよりも、野崎英一には、まだ短期間にすぎないが新しく記憶に残っている、平松美紀や小林奈津子、上原秋子の顔が浮かんでいた。また、交通事故でなくなった、上原岳人の顔も浮かんだ。彼は、インターネットに関する、いろいろなことを教えてくれたし、自分の過去についての調査に、一生縣命協力してくれた。
 野崎英一が、自殺を思いとどまったのは、なにもかも、自分が中途半端な今のままでは、死んでいけない、と思ったからだった。
 刑を終えて、その後に、納得のいくだけの記憶をもてたとき、また自殺について考えればいい。
 記憶ができはじめてまだ始まったばかりなのだ。まだ、やりのこした事のほうが多すぎる。



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