アベマリア 第5章 ケアンズ
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第5章 ケアンズ
1
(思い切って言ってみるものだな)
私はあらためて、オーストラリア・ケアンズ行きの飛行機の中で思った。
となりには、ダイゴ医師とサチさんが座っている。そして、肝心なのは、その横にアイちゃんもいることだ。
私が、思い切って彼女を旅行に誘ったとき、彼女は意外にもすぐにOKをした。
ただし彼女から条件がでた。
「二人きりじゃあなくて、ダイゴ先生とその奥さんと4人だったらいいわよ。一度、先生に会ってみたいの」
そしてダイゴに、旅行のことをもちかけると、彼も予想に反しすんなりとOKをだした。
「行くなら、クリニックが休みの5月のゴールデン・ウイークかな。あと、ぼくの方は、奥さんでなくて、最近一緒に音楽の演奏をしているサチさんを連れていきたいんだけど。いいかい?」
「もちろん、いいさ」
「まだ、子供二人をおいて家を何日もあけるのは難しいけどな」
私は、その口調や顔からダイゴの考えを少しでも読もうかと思ったが、うまくいかなかった。
ダイゴ医師には、奥さんと中学生と高校生になる二人の子供がいるということは知っていた。夫婦仲は悪くはないと思っていた。
だが、最近そうでないということをダイゴの口から聞いた。話によれば、夫婦関係について家庭裁判所で調停もおこなわれているという話だった。
もちろん細かい詮索は野暮というものだ。
実は、アイちゃんとサチさんはもう顔なじみだ。既に、2人で食べに行ったり飲みに行ったりはしたことがある。だが、4人一緒に旅行するのははじめてだった。
それだけで、今回の旅行は行く前から半分成功のような気がした。
それどころか、私にとってもダイゴにとっても大きな転機となる旅行になる予感がした。
2
5月のオーストラリアは、冬のはずだが、緯度の低いケアンズは十分暖かかった。クーラーは必要ないが、十分に暖かく、湿度はむせかえるようだった。
私たち4人は、やしの木に囲まれた小さな飛行場から、タクシーでケアンズの街に向かった。
タクシーの運転手は、さすが白色人種と思うくらい背が高くてがっしりしていて、はいている半ズボンが体とアンバランスなのがおかしな感じだった。
英語が一番うまいのは、ダイゴだったが、アイちゃんもけっこうよくわかるのに驚いた。
彼女は、私とサチさんに、しゃべるダイゴたちの話の通訳をしてくれた。
「この運転手さん、1995年くらいに東京で働いていたことがあるんですって。日本も日本人も好きですって」
「何して働いていたのかしら?英語の先生?」
「聞いてみようか?」
アイちゃんは、英語でダイゴと運転手の会話のなかにはいっていった。
「どうやらそうじゃあないみたいよ。なにかのビジネス。輸出関係みたいよ」
ケアンズのヒルトンで、私たちは二部屋に分かれた。
私とダイゴが一部屋、そしてアイちゃんとサチさんが別の部屋に一緒で泊まるのだ。
「なんか、修学旅行みたいでとても楽しいわ。誘ってくれてありがとうね、クニイチ」
街にむかって4人で歩く途中、アイちゃんが私に言った。
「サチさんも来てくれたなんて。よかったわ。でも、あの二人、やっぱり、できてるのかしら?気になるわ」
「われわれだって、むこうからそう思われているさ」
私は、いろいろ知っていることはあえてアイちゃんには言わずに、とぼけて答えた。
ダイゴとサチさんは並んで前を歩いている。
見えないだろうから、アイちゃんの手をにぎろうと思ったが、ぐずぐずしているうちに、アイちゃんが前の二人の方にでてしまった。
彼女は私の方を振り返って言った。
「今日の夕食の場所決まったわよ。クニイチは、好き嫌いはないよね」
「ああ。おいしいワインさえ飲めればどこでもいいよ」
「私はOGビーフと海産物、両方とも味わえるところがいいな」
次の日の朝、私たち4人は、大型遊覧船に乗りこんだ。
グレートバリアリーフのサンゴ礁を観にいくクルーズツアーに参加したのだ。
女性2人は、乗船前から服の下に水着を着込み、やる気満々だった。
彼女たちは、グレートバリアリーフのポントゥーンという人工島でのシュノーケリングで、サンゴ礁を自分の目でみる予定をたてていた。
私とダイゴといえば、二人とも、水の中にはいる気はさらさらなく、ポントゥーンの上のテーブルの上でワインとおいしいポテトフライとチーズと決め込んでいた。
「じゃあ、行ってくるわね」
映画の中にでてくる女優さんとまでは行かなかったが、私たちのテーブルの前に現れた、ビキニを着たアイちゃんとサチさんは、二人とも十分魅力的だった。
テーブルから離れていくふたりの後ろ姿を目でおいかけながら、ダイゴが言った。
「サチさんは若いから水着が似合うのはわかるけど、クニイチの連れの彼女、決して若くはないんだろうけど、いいスタイルしてるね」
「どうだろう?子供を生んでないせいかな?」
「それだけじゃあないだろう。きっと普段から努力してるんだろう。ぼくはいかん。もう典型的な中年で、お腹もでてるし、とても人前で水着にはなれん」
「それは、ぼくも一緒さ」
自己管理できないのに他人に管理されることも好きではない二人の男たちは、そう言いあいながら乾杯をした。
「でも勇気ある男もいるぜ」
そういって、ダイゴは私たちのとなりのカップルに目配せした。
それは初老にかかった、皮膚がたるみお腹のでた水着姿の男性と、その男性に腕をからめている若い女性のカップルだった。
男性の両手首には立派な宝石が飾られた腕輪がはめらてれていて、女性は腕と腕をからめながら、ときどきその宝石を手で撫でていた。
しばらくして、立ち上がってひとり歩き出した男性に、その女性が独り言のようにつぶやいた(以下の内容を私に訳して教えてくれたのは、もちろんダイゴだ)。
「あの人は、自分の権威やお金が通じない場所にいると居心地が悪くなるのよ。例えば、きれいな海とか、若い女性とかのそばだとね」
3
ポントゥーンでの滞在時間は3時間近くだった。
「ダイビングしなくても、もう目の前にサンゴがあって、すばらしかったわ」
「そうそう。泳いでいる足でサンゴをけらないか心配で泳ぎ疲れちゃった」
「素敵だったわ。ありがとう、クニイチ」
アイちゃんはすっかりリラックスしたようで、人目もはばからず私の腕にぶらさがり、私は少し気恥ずかしい気分だった。
ダイゴのカップルの方も、いい雰囲気だった。
遊覧船が、人工島を離れる前、船の中の人数確認をはじめたとき異常が知らされた。
乗客が全員そろっていないというのだ。
船内は、「しばらく出発は延期しますので、お待ちください」というアナウンスに、ざわめいていた。
しばらくすると、やはりアナウンスがはいった。
「お客さまの中に、お医者様はおみえになりますか?おみえになればお手伝いいただきたいことがあるので、クルーのところまできていただけますか?」
「なにがおこったのだろう?」
席をたったダイゴ医師に私もついていくことにした。
ダイゴと私は、クルーにつれられて船からでてまたその人工島にもどった。
その、大きな船ほどの大きさの人工島の、船つき場からの目がとどかないところに、数人が集まっていた。
その中で、ひときわ大きい声で泣き叫んでいる若い女性が目に付いた。
「あの女性は、さっきわれわれの隣にいた女性じゃあないかい?」
「そうだな」
私は、近くにいる一番みなりのいい男性に事情を聞いた。
といっても、英語ができない私は、ダイゴの通訳を通じてそう知ったのであるが。
彼が、この船の船長ということだった。
船長の話では、この女性のつれの男性が、人工島に滞在中に一人海のほうにいったまま時間になってもまだ戻っていないと女性が言った。
今しがた、クルーが手分けをして人工島の周囲の海をさがしたところ、やや離れたところに、その男性のものと思われる遺体を発見し、その遺体がしばらくしたらここに運ばれてくるということだった。
万が一、遺体に息があるようなら、すぐに手当てできるようにと乗客の中に医者がいないかどうか探したのだという。
話しているうちに、その遺体が目の前に運ばれてきた。
私がみても、それはまさに遺体で、なにかできるというような状態ではなかった。
その女性は、押さえつけられていた腕をふりはらって、その遺体にとりつき泣いた。
彼女のさらに大きくなった泣き声がポントゥーンに響いた。
遺体にはめだった傷がなく、ただ両腕がサメに一部くいちぎられていた。とくに、指先にいくにつれて損傷は激しかった。
死んだ男は、泣いている彼女に比べるとずいぶん年がいっている印象だった。
ふたりの関係は、夫婦で、長い間時を一緒にすごしてきたというよりも、男が若い女性の魅力にひかれ、一方の女性の方は男の経験と財産にひかれ、最近一緒に過ごし始めたというもののようだった。
「それなら、あの芝居がかった女性の嘆き様も理解できる」
と、私は思った。
楽しい雰囲気が、がらっとかわってしまった。
サンゴ礁の美しさについて語るかわりに、すぐ近くを泳いでいたかもしれない見えざるサメの恐怖についてみな語り合った。
アイちゃんやサチさんにしても同じことだった。
4
「ぼくは、なにか事件に会うと、いろいろ想像力をはたらかせてお話をつくるのが好きでね」
と、ダイゴが話し出したのは、その夕方ケアンズでのレストランだった。
人食いサメの出現というショッキングなできごとで沈みがちな二人の女性が言葉少なげなので、ダイゴはなんとかしたいと思ったのかもしれない。
「でも、ぼくの悪い癖は、なんでもかんでも犯罪に結び付けてしまうことなんだ」
「じゃあ、得意なジャンルは探偵小説というわけだね」
「そうそう。目の前に本物の探偵もいるしね」
「よせやい。ぼくは単なるしがない興信所をやっているだけだ」
「でも、最近、警察の方からも、わざわざクニイチ探偵を呼び出して事件の解決に役立てようとしたりすることもあるらしいじゃあないか」
私は、少し嫌味がダイゴの言葉に含まれているような気がしてムッときたが、それは私の勘違いでダイゴにはそんな気持ちがまったくないことは知っていた。
「ヒーローものが現実と違うのは、ヒーローの持つ超人的な力と、もうひとつ。次々と都合よく悪党が現れてくるところにある。まるで、悪党がいるからヒーローが必要とされるのでなく、ヒーローがいるから悪党が次々と現れるみたいな。でも、クニイチのまわりに最近事件が多いのは、世の中に犯罪者が増えたとかクニイチのまわりに犯罪が起こりやすくなったとかでなく、クニイチのところに事件の解決を依頼してくるケースが増えたからだな」
「独り言はもういいから、ダイゴが考えたことをいってみろよ。昼間の事件に関することでなにか考えたんだろう?」
「さすが、クニイチはわかっているね」
「あたりまえさ。付き合い長いし」
「じゃあ、ぼくの推理を言おう。ただ、今回はあまりにも実証がないので、単なる空想のお話でおわるからかもしれないけどね」
ダイゴの推理は以下のようなものだった。
男が海を泳いでいるうちに人食いサメに殺されたというのは少し考えにくい。
いきなり、人食いサメが今日現れるというのは不自然だし、正直、サメによって死体につけられた傷は「急所」をはずれている。それが「致命傷」と思われるような傷はなかったんだ。
ということは、こう考えるのが自然だ。
男の腕につけられた血の匂いをかいで、普通のサメがやってきた。
その血の匂いをたしかめるべく、サメは男の腕に少しかみついたかもしれない。しかし、サメが男の殺人者ではない。
「じゃあ、だれか人間が?連れの女性は力が弱すぎて男を殺す力はないだろうし」
「クニイチ探偵は、すぐに殺人の匂いをかぎつけるサメみたいな嗅覚をもっているようだね」
「またおちょくる」
「悪い、悪い。いずれにせよ、これから警察が男の死体を検死して死因がはっきりするまではすべて空想でしかないものなんだがね」
サメが殺人者でなく、彼を殺したものもいないとすれば、彼は病死したということになる。それは、検死ではっきりすることだが、ここではそう仮定したお話をしよう。
一緒に泳いでいた連れの男が急に動かなくなって、その若い女性は動転した。
人を呼ぼうと思った瞬間、彼女の目に留まったのは、彼が両手首につけていたいくつもの宝石が飾られている腕輪だった。
男が完全に死んでいるとわかった彼女は、咄嗟に男の両腕から高価な腕輪をはずした。
そのときに、腕に傷がついたのだろう。
そして、その男が「海でおぼれた」ということにするため、男の体を沖の方へと押しだし、自分はそこから離れた。
彼女は、まさか、その腕の血の匂いをかぎつけてサメがやってくるとは思わなかった。
しかし、結果として、それは彼女にとって好都合だった。
なぜなら、死体から「腕輪」がなくなっているということを、そのサメが隠してくれたのだから。
後に、日本に帰ってから、インターネットを通じて、私はこのケアンズの「人食いザメ」の事件の顛末を調べた。
男の死因は、サメの襲撃によるものでなく、心筋梗塞による突然死だった。警察は、ダイゴのいうように、男の腕輪がなくなっているということに不審をいだき、男の連れの女性にいろいろなことを聞いた。
しかし、彼女は、男が自分から離れてから遺体として再び目の前に現れる前のことはまったく知らないと主張した。
「ウソ発見器」でも、彼女の話にウソがあることは検出できなかった。
私は、最後の「ウソ発見器」のくだりの記事をみて、思わずひとり笑ってしまった。
「ウソ発見器」
まだ、そんなものを現代は捜査に使っているんだ。
それを信じるのは、ある女性と話しているときに、その女性の顔が赤くなったら、その女性は自分のことを愛しているんだと勘違いする男くらいのものだ。
そう。
私は、アイちゃんのウソには騙されていないつもりでいるんだ。
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第1章 へのリンク: アベマリア 第1章 同業者の匂い|kojikoji (note.com)