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新しき地図 7 出会い

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7  出会い
 
    1
 
 鈴木宏は、施設職員や施設入居者だけでなく、その世界の外とつながる人の観察を熱心にするようになっていた。
 施設から外にでて生活することのできない今の状況では、自分が何者かという手がかりは、この施設の外の人間と施設内で接することからしか得られないと考えたからだ。
    
 鈴木は、入居者に会いに来る、その家族にも努めてあいさつをして話しかけるようにしはじめた。
 その中で、一番親しくなったのは、上原春雄という入居者に会いにくる、その妻の上原秋子と息子の上原岳人であった。  
 最近亡くなった野崎清と、上原春雄は、今はもうない「野崎酒造」という蔵で蔵元(社長)と杜氏の関係で長年、一緒に働いていたという。
「のぞみ苑」で働いている介護士の小林奈津子は、その蔵のあった村出身で、上原春雄と秋子夫婦に小さいころからかわいがられていた。それもあって、小林奈津子は、上原岳人と幼馴染ということだった。小さな村の日本酒の蔵には、地元の多くの人間が出入りして顔なじみになっていたに違いない。
「のぞみ苑」に入居していた、かつて共に働いていた、その蔵元と杜氏の二人は、言葉や記憶を失っていてお互いしゃべらなかった。年月がたち、人が老いるということの、現実だった。
 野崎清が亡くなったことを知らせても、同じく入居中の上原春雄は、反応がなく、よくわからない様子だった。しかし、その妻の上原秋子と息子の上原岳人は感慨ぶかげだった。
「野崎清さんが亡くなったということは、お父さんの最後も近いということだわね。しかたがないことだけれども」
と、妻の上原秋子は言った。
 息子の上原岳人によれば、杜氏だった父親の上原春雄は、2年前の大震災で倒壊した「野崎酒造」の再建を強くのぞんでいたという。だが、蔵元の野崎清、そしてその息子の野崎淳は、蔵の再建はおこなわず、蔵は廃業、そしてかわりにこの「のぞみ苑」をたちあげたのだった。野崎淳は、野崎清の息子といっても実は養子で、野崎清の兄、野崎守の子供。つまり本来は、野崎清の甥にあたる、ということも、岳人は知っていた。
「もし、野崎酒造で日本酒つくりが続いていたら、うちの親父も、まだ生き生きしていたかもしれない。蔵がなくなって、生きがいがなくなったのか、急に老けこんで弱くなっていったからな」
 上原岳人自身も、父親の後を継いで、杜氏になる気が満々だったという。地震という自然災害や、蔵元の家庭状況など、やむをえなかったとはいえ、今でもずいぶん口惜しい思いをしているらしかった。
 上原岳人は、30歳くらいの、やせて小柄の、やや神経質そうな青年だった。上原海人という一卵性の双子の弟がいたが、2年前の大地震で被災し、亡くなっているという。
 上原岳人は、大学の情報工学学科というところを出ていて、現在システムエンジニアとして働いているらしい。
 話しを重ねて行くうちに、上原岳人は、「タブレット端末」を鈴木にプレゼントした。
「この施設には、無線LANがはいっていて、入居者の各部屋の監視カメラの情報を、無線LANで収集しているようだから、施設に言って無線LANのパスワードをもらえば、インターネットにすぐつながるはずだよ」
実際、彼のいうとおりで、パスワードを施設に教えてもらい、使い方を岳人や施設職員から教えてもらうと、まもなく鈴木宏は、インターネットで自由に検索できるようになった。
 インターネットからの情報収集は、今まで、新聞や本やTVだけだった、鈴木の情報量を一気に拡大した。たとえば、匿名でネットに書き込みされている、この老人施設に対するあることないことの悪口の書き込みにも鈴木は目を通した。
 だが、そこで、自分の名前「鈴木宏」と、たとえば、「阿部保」とか「医療法人野崎病院」とか野崎病院やこの施設のある「住所」で検索しても、やはり自分の過去にあてはまりそうな情報はでてこなかった。
 「インターネットの質問箱に、顔写真と『私はだれか知っている人、連絡をください』という投稿でもしてみたらどうか?」と、岳人から鈴木はすすめられたが、鈴木はしなかった。
 
 「のぞみ苑」は、鉄筋の4階建。
1つの階のフロアに20人の老人が入居していて、それを8人から10人の介護士が、日勤夜勤などローテーションを組んでお世話をする。これが1ユニットだ。
 これが、2から4階、計3ユニット、ある。
 1階には、全体を管轄する施設長を中心とする総務部があって4人ほど職員がいる。その他、寝たままあるいは座ったまま入浴できる寝浴、座浴、多目的室が1Fに配置されている。
 各ユニットは、そんなに交流がなく、それぞれ独立しているといえた。
入居者は、1日中365日、自分の部屋と同じフロアにある食堂を往復する毎日。週3日、エレベーターをおり1階で入浴するのが例外だ。エレベーターですれ違ったり、ごくまれに1階の多目的室で、他のフロアの人とすれちがったりすることはあっても、その機会は多くない。
 職員も基本は各ユニットで動いている。勤務の休みの調整もユニット内でおこなわれる。
 だが、介護士は、人の出入りが激しい職業だ。職について、1カ月、あるいは1週間で退職するのも「あたりまえ」と彼らは考えている。
 ここが施設長の野崎がもっとも頭をいためるところだった。
「こういう異常なことが、普通でないと、わかってもらうことからはじめないと」
が、野崎の口癖になっていた。
 慢性的に人手不足で、いよいよ困ると、職員の減ったユニットに、また新たな人が仕事にはいるまで、他のユニットからの「お助け」がはいる。3ユニットあることで、このようなしくみをつかって、なんとか人をまわしていけるのだった。
「これが、1ユニットしかなかったら、もっとたいへんだろう」と野崎は言っていた。
 
 ある日、鈴木宏の入居しているユニットで、一人の職員の送迎会がおこなわれ、鈴木宏も「本来、入居する人ではなく、働く方の人」である、ということでそれに参加した。
 場所は、そのフロアの食堂。時間は夕方7時。入居者たちにとっては、もう就寝時間で、フロアにでてくることはほとんどない。
 時間の都合のつく職員、鈴木宏の他、入居者の上原春雄の息子の上原岳人、施設長の野崎、そして嘱託医師というダイゴ医師も参加していた。
 名目は、このフロアの職員の送別会なのであるが、話の中心は、上原岳人がもってきた、廃業した野崎酒造の「最後の日本酒」だった。参加者は、とりよせたピザや中華料理を肴に、帰宅の車の運転のないものはアルコールを、そうでないものはジュースやお茶で、あれこれ話をしていた。
 話の中で、鈴木宏が新しく知ったことがいくつかあった。
 例えば、ダイゴ医師がこの施設の嘱託医になったきっかけ。それは「のぞみ苑」の金庫の金がくりかえし盗まれるという事件の依頼を施設長の野崎淳が私立探偵のクニイチにしたところ、ダイゴ医師が一緒についてきて、推理を働かせて解決した縁からということだった。
また、趣味はサックス演奏で、「のぞみ苑」の夏まつりで、演奏したのは、鈴木の記憶に新しかった。
「乾杯!」
ダイゴ医師の音頭でその「野崎酒造、最後の日本酒」はみんなにふるまわれた。上原岳人は、日本酒とともに、ワイングラスも持参してきた。紙コップでなくワイングラスに日本酒をつぎ、みんなで乾杯した。
 ワイングラスにはいったよく冷えたその日本酒は、確かにおいしかった。
上原岳人によれば、今や日本酒は、フランスの一流レストランや、飛行機のビジネスクラスの飲み物として出されるときもある、ということだ。
「辛口、とか、甘口、とかいう味の表現があるけど。ぼくは、この酒を飲んで、大事なのは『苦み』だと思った。野崎施設長もワインでも渋いのが、好きだろう?きっとこれ気にいると思うんだ」
 こんな風に、ダイゴ医師が、野崎淳に話しているさなか、利用者の一人のM.Y.が、部屋から宴会のテーブルに「這って」やってきた。ひとりの職員があわてて対応し、M.Y.を、言って聞かせながら、部屋に連れ戻しにいった。
M.Y.は、最近、しりもちをついて殿部を打った。レントゲンでは骨に異常はなく、殿部を打っただけなので、歩くのにはさしつかえがないはずなのに、M.Y.は歩かずに、ずっと這っているのだ。
 鈴木が、ふと目をやると、物陰に、Y.H.がたたずみ、「なにごとか?」と、テーブルのほうをのぞき見していた。しばらくすると、Y.H.は自分で、部屋の方へとひきかえしたようだ。
 明日になったら、「夜中に施設で、亡霊たちの宴会があった。自分はそれをみた」とでも、他の入居者たちに吹聴するかもしれない。
 入居者が、現れたのはこの二人だけで、静かな施設内での送別会は、途中まで静かにすすんだ。
 ダイゴ医師は、日本酒好きなようで、ずいぶん詳しい話をした。
「日本の酒蔵は、どんどん減ってきている。とはいえ、まだ、1000くらいはあるらしい。いわば、この施設のまわりの田んぼのようなものさ。どんどん、田んぼがつぶされ、建物が建っていっている。でも、まだ残っている田んぼもある」
「ぼくは、本当に、野崎酒造で、父の後をついで杜氏になりたかった。でも、蔵は廃業になって、おまけに父の認知症は急速に進行した。とても悔しい。ダイゴ先生、認知症をなおす薬はまだないんですよね」
上原岳人は、ダイゴ医師にたずねた。
「そうだね。せいぜい進行を遅らす薬しかない」
「ぼくの父親には、進行を遅らす効果がなかったのかなあ。でも、今でも父親、まともに話ができる時が、一日のうちに何時間かだけあるのです。まるで、消えていたTVのスイッチが急にONになったかのように。そのときに、ぼく、父親からこの日本酒つくりのコツを教えてもらっているんです。そして、もう使わなくなった、蔵の一部で、ひとりで日本酒の試作品を作っています。いつか、みんなにのませたいなあ、と思いながら」
「以前、『のぞみ苑』で窃盗事件がおこったとき、犯人は職員の中ではなく、利用者の中にいる『ピック型認知症』の者だったことがある。きっとその上原春雄さんの認知症は、いいときと悪い時、ONとOFFがある、『レビー小体型認知症』の極端な例だな。とはいえ、そんな分類をするより、むしろ、ぼくが興味があるのは、認知症になった本人は自分を不幸だと思っているか?ということだよ。まわりの人はもちろん不幸だろうけどね。でも、たとえば、時間という概念がなくなった世界の中で、不幸というものが、存在するのか?・・・おっと、日本酒で酔いが早くまわってきたかもしれない」
 
 上原岳人は、今、ひとり取り組んでいるという、「実験的」日本酒づくりについて語った。
 
 うちの蔵のすぐ近くで、いい酒米を田んぼで栽培していたわけでもないし、水がよかったわけでもない。なぜ、それにも関わらず、野崎酒造の日本酒はおいしいんだろう?そう思ったのです。実際、うちの蔵で使っていた酒米や水は、蔵のすぐそばではなく、遠くから、ときには他県から運んできていた。
 ワインづくりのぶどうは運送によりだめになったり、気候や環境がかわることでぶどうに付着する発酵のための酵母の働きが違ってきたりするため、ワインの蔵は、ぶどうの産地に隣接しているみたいです。
 一方、おいしい日本酒づくりに、そこにおいしい水があり、酒米が育つという条件は必ずしも必要でない、とぼくは考えています。少なくとも、今の交通の発達した日本では。必要なら、米や水を遠くからとりよせ、農業試験所などでよく管理された酵母を選ぶ。大切なのは、地域でなく、それを醸すものたちの技術や心がその「でき」を決めると思っています。そして、あとは、日本酒は、米と水からつくるっていう単純なことを守ることかな。
 そこで、今密かに、ぼくが何をやっているか?
 ぼくの計画をもう少し説明すれば、こんな風です。
 今度の日本酒は、季節や酒米の田や水にとらわれない酒作りです。「とらわれない」というのは、無視する、という意味ではない。
冬の代わりに、桶などが入った部屋を温度管理して、人工的に冬の気温を通年つくる。いい酒米、水は、運送でとりよせる、ということです。それらは、既に、一部の蔵で、もうやられていることでもあるのですが。
 発酵条件も、最初と最後は感覚だが、できる限りデータ設定をみつけだしデータ管理する。
 9月に収穫された酒米を、精米→洗米→浸漬→蒸米→麹(こうじ)造→酒母(もと)造→醪(もろみ)造→搾り→火入れ、という順で造る間、データだけでは対応できない工程はどこだろう?「醪造(主たる発酵)」だろうか?データでみると同じ酒なのに、味わってみると違う味の酒があることは間違いない。だが、例えば、同じ大きさ、質の容器を使い、同じように温度、時間管理がされた、米、水、麹、酵母を使うのであれば、同じ酒はできるはずだ。
 ちょっとした、容器の大きさや質、麹や酵母や米、水の保管期間、場所が影響を与える。例えば、ひとたび、条件を設定したら、桶の大きさや様々なステップの温度や時間を変えないというのはどうだろう?
 そして、大量生産のためには、桶を大きくせず、小さい桶を複数おくようにするのだ。そうすることで、工場のように作られるその日本酒の品質は均一化に近づくはずだ。
 
 ただ、上原岳人がいうには、もうひとつ問題があるという。
 もう「野崎酒造」はない。酒を売るには、酒造製造免許がいる。それが、自分にはない。というのだ。
「野崎酒造のもっていた、酒造製造免許、まだ休業しただけで、返納してない。それを、岳人君がつかえばいいじゃないか?ぼくが融通するよ」
と施設長の野崎淳が言った。
「それは良い考えだ。そして、先代の、もう二度とつくられることのない今日の日本酒と、新しく岳人君のつくった日本酒の味を是非比べてみたいものだ」
とダイゴ医師はしみじみとした口調で言った。
 
 だが、この日の、上原岳人は、少しいつもと違っていた。どちらかといえば、無口で、人と話をしたがらない岳人が、野崎淳に対してさかんに話しかけていた。
 どうやら、それは、野崎淳が管理している、「酒造免許」の話だけではないようだった。おおかた、いつも彼がこぼしていた「なぜ、野崎酒造を廃業にしたのか?」という疑問と怒りを、当事者である野崎淳に対して岳人が直接ぶつけているのだろう、と鈴木は観察していた。
 鈴木は、一方で、お酒も手伝ってなのか、少し幸せな気分に酔ってきていた。
 議論であろうが、なんだろうが、人と人がぶつかりあうということは、記憶をつくっていく。昔の記憶が消えている鈴木にとっては、そういうものの醸しだす雰囲気が、とても恋しかった。自分に失われているものが、また、ここから流れる時間と共に、取り戻していけそうで、嬉しかったのだ。
 そんな思いでいる鈴木宏に、ダイゴ医師が話しかけてきた。月に何回か、「のぞみ苑」に入居者の往診で顔をだしているダイゴ医師のことを、鈴木は何度もみているが、1対1でゆっくり話すのははじめてのことだった。
鈴木宏は、常々、疑問に感じていた自分の過去に関する不安について、ダイゴ医師に相談した。そして、いくら、調べても、鈴木宏につながる情報が得られない、哀しさについて訴えた。患者が医師に相談するように。
 長い間、鈴木宏の話を聞いたあと、ダイゴ医師は言った。
「自分の過去が消える、というのは奇跡的なことだ。そういう経験のないぼくには、その不安はぼくには実感できない。でも、過去を消せるというのはある意味うらやましい。ぼくも、自分の過去が消えたら、と思うことがある」
「でも、過去についての記憶が消えたとしても、自分が過去にしたことは消えはしないでしょう?」
「そんなに、自分の過去を知りたい?知らなくてもいい過去だったらどうする?そのときの覚悟はできている?」
「もちろんさ。こんな、不安で寂しい状態に比べれば、どんな過去でもいい。手がかりがほしい。後悔はしない」
と、鈴木は答えた。
 ダイゴは、まっすぐな鈴木宏の気持ちを感じ取った。
 もう、隠しておくことはできない。
 何よりも、鈴木宏の記憶喪失が、ダイゴが考えていたよりも軽度、いや特異なものだ、ということが、最初のボランティア演奏のあと、そして今回と、1対1でじっくりしゃべることで、よくわかったことが大きかった。
 ダイゴは、鈴木宏は、通常の「認知症」だと思っていたのだった。しかし、話しをしてみて、はじめてそうではないとわかったのだった。
 確かに、鈴木宏の記憶は、2年前におこった野崎病院の事件の直後の大地震以前の「過去の自伝的記憶」を喪失していた。だが、他の、意味記憶、手続き記憶、感情記憶は残っている。判断力もある。
 そして、新しくこの施設に入所してから今までの記憶はちゃんとある。「これからおきることについての自伝記憶」は形成されているのだ。
つまり彼は、まだ多くの未来を持つのだ。
 覚悟を決めなくてはいけないのはダイゴ医師のほうだった。
 そして、ゆっくりと、鈴木宏の過去について、その場で鈴木宏に対して語り始めた。
 
     2
 
 教えよう。
 あなた、鈴木宏の本名は野崎英一という。
 記憶を失う前の仕事は、野崎病院の事務長。
 2年前、自殺したとされる、その医療法人「野崎病院」理事長、野崎守の息子。
 そして、ここの施設長、野崎淳とは、兄弟だ。
 2年前に野崎守が病院内で自殺した直後におきた、大震災で怪我をして、野崎英一は記憶障害になった。そして、ここ「のぞみ苑」に収容された。
 これを決めたのは、当時、野崎病院院長で現在理事長の阿部保。そして、野崎英一の兄である、ここの施設長の野崎淳だ。
 もう一度、別の表現で言いなおそう。
 自殺した野崎守には野崎淳と野崎英一の二人の息子がいた。
 兄の、野崎淳は、野崎守の兄で先日亡くなった野崎清の養子になった。つまり、叔父のところに養子にはいったことになる。
 野崎英一は、野崎病院の事務長だったが、震災時に受けた頭部外傷により記憶障害になって、兄の野崎淳の経営する老人施設「のぞみ苑」にひきとられた。
 ややこしいが、わかるかい?それが、あなただ。
 
 自分の記憶にないことは、すっと頭の中にははいってこない。
 鈴木宏こと野崎英一の頭がまわりだすまでには、少し時間がかかった。
 自分の名前は、鈴木宏でなく、野崎英一。ここの施設長と兄弟。昔の職業は、私立探偵などではなかった。野崎病院の事務長だった。
 では、なぜ、自分が野崎病院で事務長のころ、一緒に働いていた院長の阿部保は、そんなウソをついてまで、私をこの老人施設に閉じ込めようとしたのだろう?
 また、毎日のように話している、(記憶にはないが)兄である施設長の野崎淳は、弟の野崎英一こと鈴木宏に、自分たちは実は兄弟だということを隠し続けてきたのだろうか?
 そこに、なにか、犯罪の匂いを、鈴木宏こと野崎英一は感じた。そう感じる自分はおかしいのだろうか?
 いったい、鈴木が、記憶を失う前、野崎英一という本名で病院事務長だったころその病院で何があったのだろう?
 
「野崎英一が、野崎病院で事務長だったころ何かあったのですか?」
と、野崎英一こと鈴木宏が、ダイゴ医師にたずねると、
「私は、最初から、あなたの本名が、野崎病院で事務長だった野崎英一とわかっていた。昔、アルバイトで、野崎病院で手術するときがあった。そのとき、給料の契約で、病院の事務室であなたと何回か顔をあわせていたから、最初に顔をみたときにすぐわかった。
 でも、あなたは、いわゆる『認知症』で、記憶や判断能力がないと思いこんでいたんだ。あるいは、あなた自身が、自分の過去を知りたいと思うまでは、そのことを黙っていようと思ったんだ。
 とにかく、今までは、鈴木宏のままでそっとしておこう、と思っていた。真実が、必ずしも正しいことではないからね。波風がたたないほうがいいと思ったんだ」
 野崎英一こと鈴木宏は、ますます胸騒ぎがした。
 ひょっとして、自分は、過去に、とんでもない過ちをしている?
 ダイゴ医師は言った。
「野崎英一さん。一度、腹部のCT検査をうけてもらえないですか?ぼくのクリニックを受診したら、医師会の共同施設のCTを予約しますから。そして、クリニックの外来で、そのCTをみながら、いったい何が過去に起こったのか、お話しますよ」
「今のぼくの状態では、施設から外出するのが難しい。戸籍や運転免許証など自分を証明するものがないし、クレジットカードや現金もない。でも、施設長にかけあって、なんとか、外出してCT写真をとれるように交渉してみるよ」
 
     3
 
(自分の名前は野崎英一。施設長の野崎淳の弟)
 驚きで、ぼんやりしたままの野崎英一こと鈴木宏の耳にも、野崎淳と上原岳人の議論の声が大きくなってきていることが聞こえてきた。
見ると、岳人は、野崎淳に殴りかかろうとしている様子で、それを施設の職員がうしろから羽がいじめに必死にとめていた。その横で、しくしく泣いているのは小林奈津子のようだった。
「もう、小林奈津子と別れる、そう約束するんだ」
岳人は、そう叫んでいた。
「わかった、わかったから、もう大声をだすのはやめろ。ここは、仮にも、弱った老人たちがもう眠っている老人施設だ。けんかする場所じゃあない。老人たちが、みんな起きてしまう」
 そう止めに入った、職員の声で、ようやく岳人はその怒りをコントロールしはじめた。岳人を、押さえつける腕の力もようやくぬけていった。
「わたしのために、もう争わないで」
 小林奈津子が、悲しそうに言った。
「けんかは、やめて」
 どうやら、岳人は、小林奈津子とつきあっている野崎淳に対して、彼女と別れるよう、野崎淳に言ったらしい。
 岳人と小林奈津子が幼馴染ということは、鈴木も聞いていた。
 岳人は、小林奈津子のことが、好きなのか?三角関係なのか?
 
 野崎英一は、兄の野崎淳に、「なぜ、自分の兄ということをずっと隠していたのか?」とすぐにでも聞きたかった。しかし、その晩は、そういう雰囲気ではなかった。
 仕方がない。明日聞こう。
 そう思って、「のぞみ苑」の自分の部屋に野崎英一はもどり、目を閉じ た。だが、興奮して、到底眠りにつけなかった。
 明日。明日、兄にいろいろ聞ける。そう、自分に言い聞かせながら、短い眠りをとった。
 だが、次の日、野崎英一は、兄の野崎淳からそのことを聞くことができなかった。
 なぜなら、この日の夜、送迎会の後、酒を飲まなかった上原岳人が、施設長の野崎淳を家まで車で送っていったのだが、その車が自損事故をおこし、上原岳人も野崎淳も死亡したからだ。
 交通事故の車は炎上し、上原岳人も同乗していた野崎淳の死体も、身元確認が難しいくらいほどだったという。
 二人の死亡は、DNA鑑定により確認された。
 プレーキの油圧ポンプにつながるチューブがきれたことにより、ブレーキ制御がきかなくなったため、車が曲線でガードレードに衝突し、火がガソリンに引火しての事故と警察は断定した。
 
 そして、それが、「のぞみ苑」が混沌の中にのみこまれていくはじまりだった。
 だが、同時に、それは、記憶を失った鈴木宏が自分の本当の名前である野崎英一として再出発をはたす契機でもあったのだった。
 
 


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