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『古事記との出会い』

古事記との出会い(その1)_大国主命背向黒[110920] 1280-720

https://youtu.be/1Kglijrqmqo

【クッキーモンスターが増えた!】

「古事記」に興味を持ったキッカケ... 幾つかあるのですが、特に印象に残っていることをお伝えしたいと存じます。

それは普段の生活の中で気が付きました。「クッキーモンスターが増えた!」と、直感したことです。具体的な事例は差し障りがあるので控えますネ >_<

私の祖父母の世代の方々は、何事においても「周りの人の事を考えた行動」を重んじていました。

その「根っこ」ってなんだろう? 同じ思いの人たちは存在するのか? どんな活動をしているのか? 等と思いをめぐらしたのが始まりです。

諸外国では民族性や国の成り立ちを教育機関でごく自然に学んでいるそうです。

或る時、日本人として生まれたにも拘らず、その「主体性」を学ぶ機会が皆無であったことに気が付きました。


【ブラックボックス化していることって?】

実は、この事に気が付いたのも、ずっと同じ事を続けていたからでした。何事においても、私の祖父母の世代の方々は、「周りの人の事を考えた行動」を重んじていました。

正直、子供の時分の事でしたから、とても負担を感じました。そんな不完全な自分が「劣化」を感じるほど、自分の居場所の「変化」を感じてしまったのです。

今思えば... 自分の居場所の変化から、世の中全体の変化を感じたのかも知れません。

その時は只々「何とかしたい」と、その思いだけでした。そこで様々な属性の方々に会いに行くのですが...


【気ままに生きるのが一番幸せ】

ところで、人って何となく気の向くままに生きているのが、一番幸せを感じるそうなんです。

ただ... そこにあるものを使っているだけでは、いつか困窮してしまいます。今日生きながら、未来も同時に作って行かなければなりません。そのような「視点」に立てるのが他の動物との違いだと思います。

人々の集まりが組織。祖父母の世代の方々は、組織を構成する人々の多くがその「視点」を持っていた覚えがあります。

全体を俯瞰して、各々の役割分担の大切さを自覚している。頂点に立つ人物は担がれている立場であり、他を搾取する意志を持ち合わせていない。

これ自体、世界の中ではとても特殊なことらしい... そのことを成り立たせていた「根拠」を求めて、様々な属性の方々に会いに行ったのだと思います。


【目に見えない境界線】

祖父母の世代の方々が持ち合わせていた「視点」。その感覚の中で幼少期を過ごしました。年齢を重ねた或る日のこと。普段の生活の中で「クッキーモンスターが増えた!」と、直感致しました。そのことから様々な属性の方々にお会いしました。

その活動の中で、「目に見えない区分」に気が付きました。そこには誰でも出入り自由なのです。だだ、何か大切なものを守るために何かしら目に見えない「障壁」が存在しました。その壁を乗り越えて行くことが或る意味で信頼関係を築くことにも気が付きました。

古事記との出会い(その2)_大国主命背向黒[110920] 1280-720

https://youtu.be/I3yXqxIT-GA

【その世界で活躍できたら楽しそう!】

初めは自分の居場所を何とかしたい、その気持ちが強かったと思います。目の前の問題に対処しても、根本的な解決に至らない。「壁」の向こうで活躍することが本質的なことなのだと、後付けで気が付きました。

まず、考え方や習慣を知ること。その世界で役立つ「根拠の修練」がこれからの課題になるかと存じます。即ち、志を受継ぐべき人になること。

活躍されている方々の多くはご自身の先祖や先輩方を大切にする思いをお持ちでした。日本人として、先祖が我が身を呈して成してきたことを知る。その大切さを知ること。

その変遷やことの成り立ちについて、膨大な資料が織り込まれている「存在」を無意識に探し続けていたのだと思います。また、自分自らも活躍したい。そこで活躍できる根拠の発見と、その修練の大切さに気が付きました。

修練には幾ばくかの年月が掛かるものです。日々起きる様々な出来事に翻弄されつつも、自らの本質を失わない、そんな生活を送らなければなりません。

常に本質的な選択ができるかどうか? また目の前の出来事とどのように折り合いをつけるのか? そのようなことがとても大切になると考えています。


【価値観はいつ?】

日々の生活で起きる様々な出来事。人の思考って、子供の頃受けた教育で形成されるとされます。教育を情報伝達と乱暴に定めると、家族や学校で伝達されたことになるでしょうか。

子供の頃、読書に興味がありませんでした。国語がいつも高得点の同級生が読書好きでした。いつも不思議な存在に感じてました。

或る時... 自分の意志で得たことと、受け身で得たことの間に「隔たり」を感じました。断続的ではっきりとしませんが... 「読書」などの機会を通して、自らの意志で「情報」を得ることを意識するようになりました。

才能や能力は社会の発展に活かされるもの... それが健全な発想だと信じています。その発想を植え付けて下さった方々の存在。その一方で... その芽が出ないような雰囲気を子供ながら感じてしまったようです。

「古事記」で登場する神々の存在。遠い私たち日本人の先祖の思考と、立居振舞が描かれています。未だに... 自ら抱いた疑問、その答を探しているのかも知れません。


【読書に目覚める】

科学大好き少年でした。テレビに出ている科学者の先生が哲学風の本の監修をしておりました。そのことが読書のキッカケのようです。色々と読み漁る内にある経営者の本を手にします。

昭和の時代に大活躍した彼によると、古代より賢者同士の討論をまとめた書籍群があるらしい。しかも、その民族は物心付く頃から学んでいます。そこには、日本にはない習慣が描かれていました。

「あ、かなわない...」と、ため息を漏らしました。その「ため息」から、「古事記」を意識するまで、かなりの年月がかかってしまいました。

本との出会い。それは、偶然の巡り合わせなのでしょうか? 「新釈古事記伝」の著者・阿部國治氏は相当賢い方のようです。戦前の東京帝国大学で法律と印度哲学を学び、優秀な成績で卒業しています。

「思考」、即ち自分自身の受け皿みたいで、とても不思議な感覚を覚えました。今までの人生で、素敵な助言を下さった方が小さな種を蒔いていたようですネ。自分にはお二方いました。とても幸運な事と、受け止めています。


【古事記との出会い】

数年前、普段の生活の中で「クッキーモンスターが増えた!」と、直感しました。その体験から様々な象限の方々にお会いしました。世の中で何が起きているのか? 活躍されている方々がどのような思考をされているのか? 日本の社会にどのような思いでいるのか?

その様な事柄を意識して活動していたと、懐かしく回想します。その活動で必然的に「古事記」と出会います。

「古事記」を読む機会から、「一霊四魂」と言う概念を知りました。物語の中で、大国主命は何度も命を失いました。その度に転生を繰り返し、国を築く描写に触れました。「霊」に生命があると言う考え方。私事ですが... その年齢に適切とされる時期にやり残したことがあるので、本当の事であって欲しいと願うのです(^^;

四つの側面を持つ心の仕組み、其々相反する側面を持つ「四魂」。其々の立場に立った物事の捉え方。俯瞰された答え、「最適解」が導き出される可能性が高くなります。

日本人はそのようにごく当たり前に「思考」してきた。失われつつある「思考」... 日本社会に「クッキーモンスター」が溢れだすのも自然な成り行きだと、身勝手ながら感じています。

以前は私塾や初等教育などで「古事記」などの古典に触れ、日本人としての「思考」を学ぶ機会があったようです。自らの意志で学ぶ機会が存在すること。せめてもの救いなのかも知れません。先人が残した「志」の記録。自らに与えられた時間。活躍のヒントを見出す機会になりそうです。

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【神代から今に至る】

さて、過日神保町で古書を一冊入手致しました。原典が和書で4巻一組。その写しを基に一冊として再編集された本です。原典は幕末に編纂されたもので、地域の成り立ちを逸話仕立てで解説。浮世絵師による絵図が多く描かれています。

その本の数頁に、先祖が活躍した地域、その成り立ちが描かれておりました。お寺と神社が並んでいます。

神話に於いて初めて出現した島。神社は神功皇后の逸話と軍神の名前に由来します。一回目でお目当ての頁を開いた奇跡も起き、とても胸が躍った瞬間を味わいました。訪れたことがなく、いつの日か旅してみたいものです。

世界各地に神話と称される物語が存在します。聞くところによると、神代の逸話が現存する人物まで繋がることは極めて稀なことのようです。

先人達の思いや願い。そして、古代からのメッセージ。古事記に触れる事で、先人達の様々な知恵に学ぶ機会が訪れるでしょう。

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