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人類の進化と出来損ない仮説

今年のノーベル生理学・医学賞は、進化人類学にDNA解析で迫った科学者に贈られました。

人類が唯一ヒト属の中で生き残ったのは、なんとなく
「外部環境の変化にうまく適応して進化したから」
と個人的には夢想しており、共感する方々は多いのかなとすら思います。

ただ、この「進化」という言葉は何をもって定義するのかは意外に悩ましいものがあります。

有名な話ですが、(進化説と聞くと連想する)ダーウィンは、この言葉を使っていません。あくまで突然変異による変化というようなニュアンスです。
かつ、後世になって、「中立進化説」と呼ばれるように、環境に適応した変異が生き残った証拠すらない(中立だ)、とする考え方も残っています。

木村資生 (きむらもとお) も、その説を唱えた代表的な科学者です。

さらには、逆説的に聞こえるかもしれませんが
出来損ないであるがゆえに生き延びた」という説もあります。

最近目にしたこちらの書籍が面白かったので、紹介します。

なかなか興味深いタイトルです。

今の定説として、人類の共通祖先はアフリカで生まれ(ミトコンドリア・イヴと呼びます)、どこかのタイミングでユーラシア大陸や南米アメリカへ広がったことがDNA解析からわかっています。

ただ、ここまで他の大陸まで広範囲で移住したのは現生人類の特徴としてイメージしがちです。例えば人類に近いチンパンジーやゴリラですら、アフリカ地域にとどまっています。

何となくこれを聞くと、「多様な環境にチャレンジしたから生存出来た」と現生人類が優れているかのように解釈してしまいます。
もう少し飛躍すると「冒険心が人類が優れた証拠である」とすら感じます。

ただ、これは逆の見方も出来ます。

現生人類はチンパンジーなど近い種との生存競争に敗れて他の地域に逃げ延びざるを得なかった
という仮説です。

よく森林からサバンナ(平野)に移動した仮説に、気候変動説がありますが、だとすると前述のとおりチンパンジーなども一緒に移動してもよいはずですが、そうではないです。
ということは、感情的に受け入れられるかはともかく、単に森林生活では餌や居住環境を確保できずに、やむなく移動した、というのはある意味自然な説です。

また、上記書籍で知ったのですが、ウマやラクダも同じように他の大陸へ移動したそうです。(その一部がシマウマになった)

そして次に、他の大陸に移住して巡り合ったヒト属のネアンデルタール人。

20世紀後半までは、生存競争に我々が勝った、それも体力的には劣っていたので言語や社会集団としての能力が勝っていたからだ、という説が強かったようです。

が、これも今回ノーベル受賞理由となったミトコンドリアDNA解析によって交雑(現生人類のDNAにネアンデルタール人が含まれている)していたことが分かり、崩れつつあります。(勿論全否定でなく度合いの話です)

上述の書籍では、基本的には我々が生き残ったのもネアンデルタール人が滅びたのも「偶然」とする説を支持しています。

まだどちらかを決定づける証拠には乏しいですし、感情的には何か論理的な(因果を説明する)ストーリーが欲しいですが、これも冷静に考えると願望であり、ある意味(現生人類が優れてほしいという)エゴかもしれません。

地球や他の生物は現生人類のために存在しているわけではないので、むしろ偶然説のほうが自然なのかもしれません。

ただ、偶然説を安易に受け入れると学問自体の進化(確信犯的に・・・)が止まってしまうリスクもあるので、まずは両面をにらみながら確からしさを追求していくしかないのかなと思います。

いずれにしても「進化」という言葉が持つ危うさは、今後も気を付けていこうと思います。

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