ヘルマン・ワイルの業績
前回、ワームホールとアインシュタインについて触れました。
投稿した後に気づいたのですが、12月8日はワイルさんの亡くなった日でした。
前回フリでしか紹介しきれなかったので、今回はワイルさんの業績についてもう少し触れたいと思います。
前回は、アインシュタインの一般相対性理論をもとに時空を繋ぐTubeとして、今でいうワームホールの先駆者として紹介しました。
実は結構先駆的活動としては他にもあります。
なんと、電磁気学と一般相対性理論を統一しようとしたのもワイルでした。
これは今でも厳密には実現しておらず、あのアインシュタインも最後まで求め続けていた研究テーマです。
ワイルはその過程で、物差しを変換する「ゲージ理論」の考えを導入していました。
ゲージ理論は、その後理論として体系立てられ、現代物理学において必要不可欠の位置付けになっています。
重力以外の3つの力(強い・弱い・電磁気力)を体系的に説明した素粒子の標準模型や、さらに重力も含めた超弦理論でもゲージ理論の発展版(ヤン・ミルズ理論)が組み込まれています。
混乱してきたかもしれないので、もう少し体系図で整理すると、下図における場の量子論と超ひも理論の形成で、ワイルが先駆的研究を行ったゲージ理論が強い意味を持っておきます。
ワイルはこういった思考を、1918年に「空間・時間・物質」と題した著作で一般相対性理論の発展版として提出します。
そして、その著作に影響を与えた一人に、シュレディンガー氏がいます。
こちらの書籍によると、シュレディンガー氏は上記の著作から「軌道上の電子が定常波のふるまいを見せる」ことを予想したといいます。
量子力学の歴史に明るい方ならピンときたかもしれませんが、この気づきがまさにシュレンディンガー方程式(今でも定番の技法)と呼ばれることになる物質を波と仮定したときの数式を生む遠因になります。
その後もワイル氏はシュレディンガー氏との親交を家族ぐるみで深めていき、1930年代になると政治に翻弄されていくわけですが、その前に量子力学にも影響を与えています。
量子力学の初期を築いた理論的な柱に、ハイゼンベルクの不確定性原理があります。(今はそれも不確定ですが)
ワイル氏はそれを数学的に研究して量子力学の数学的な基礎を与えたことでも有名です。ワイル氏とジョンフォンノイマン(この方も学際的な天才)とが当時の双璧です。
ただ、そのころにドイツで活躍していたワイル氏は政治に翻弄されます。
1930年代にヒットラーが政権をとると、ドイツのワイル氏はシュレンディンガー氏(や他の高名な科学者たち)と同時期にドイツを脱出することに決め、アメリカのプリンストン研究所に移り、残りの研究人生を送ります。
そして同じ経路を歩んだアインシュタインとも同僚として交流を続けていくことになります。
ワイル氏の研究テーマは幅広い、悪く言えば四方八方でとりとめがないように見えるかもしれません。
ただ、ワイル氏が一貫して求めたのは「各理論に秘められた対称性」といえるかもしれません。
最後に、ワイル氏の言葉を借りて締めたいと思います。
科学者はむしろ真実を優先すると思っている方には、意外な表現に思われるかもしれません。
これはアインシュタインも同じ思想かもしれませんが、彼らは自分たちの「美学」を、「科学」という道具を使って追求したのかもしれません。