作品は生き続けるのか?
友人の病気で考えること
友人が大きな病気になったことをきっかけに、自分の死生観について少しだけ考える。俺の両親は共に60代前半で亡くなった。このまま自分もその年齢で命を終えるとしたら、あと10年ちょっとしか残されていないことになる。10年後、娘はまだ17歳。息子は23歳だ。だからこそ、まだまだ元気に、今を必死に生きたいな、とぼんやり思う。
俺も、美大出のなんちゃってでもクリエイターの端くれ。何かしらの作品を作りたいという思いはある。しかし、ふと疑問が湧く。それは「作品は生き続けるのだろうか?」ということ。
作品は発明
例えば、漫画であれば『キン肉マン』や『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』。ゲームなら『マリオ』や『ドラゴンクエスト』、『ファイナルファンタジー』、『バイオハザード』など、これらの作品はすべて一つの発明と言っても過言ではない。その後のジャンルにとんでもない影響を与えた発明だ。
お笑いの世界でも同じことが言える。ドリフターズ、欽ちゃん、ビートたけし、とんねるず、ダウンタウンの笑いも、どれも一つの発明と言える。
発明も笑いも記録もいつか超えられる
しかし、どんなに素晴らしい発明も、やがては超えられる瞬間が訪れる。それは電気や車、飛行機のような巨大な発明も同様。スポーツの記録だってそうだ。最近では、松井秀喜のメジャー記録が大谷翔平によって超えられたばかり。
発明も笑いも記録もいずれは超えられる時が来るが、だからといってそれを作り出した人物たちの偉大さが変わるわけではない。
例外もある
どんな作品でもいつかは古くなる。ただし、例外も存在する。例えばマーベル映画やドラえもん、仮面ライダー、ウルトラマンなどがそうだ。どれも原作者はすでに亡くなっている。しかし、これらのコンテンツには大きな企業が関わっており、企業がそのサポートをやめたとき、本当のファンはどれくらい生き残るだろうか。(否定してるわけではないです。むしろ好きです。)
結局、生き続けるのは…
友人の健一が「アントニオ猪木は生き続けている気がするね?」と言ったことがある。確かに今、猪木の異種格闘技戦を見ると、技術的にも未熟な部分が目立つかもしれない。しかし、猪木という人物の魅力とその人生は、彼が持つ人間力によって今も生き続ける。
結局、作品そのもの以上に、その作品を作った監督や漫画家、俳優、芸人、選手の生き様や人生観に惹かれてしまうのではないだろうか。これはまさに卵が先か鶏が先かのような問題で、作品や記録がなければ人物が語り継がれることは難しいが、最終的にはその人物の人間力が重要だと思うわけです。
だからこそ、俺は作品づくりも大事だが、俺という人間の生き様や異常さをもっと知ってもらいたいと思う今日この頃です。