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サイゼリアメニューで炎上する哲学者からみる「人文学に求められているもの」

この投稿が少し前に炎上した際に、技術者の立場からみて思うところがあったため、考えをまとめるためにnoteを記載している。

まず、この発言は哲学者としての発言だと想定する。そのため哲学的な観点から発言を評価すべきだと考える。また、現代社会に関する疑問を呈していることから、人文学のカテゴリーに属す発言だろうと推測した。

人文学的発言を評価するには、人文学とはなにかについて考える必要がある。だが技術者からみて人文学とはなにかということが分かりづらい。そのため、私なりに人文学というものを下記と考えることにした。

人文学とは、人間の哲学的思想の歴史を理解し、現代の人間が進むべき道の標を作る学問である

「人間が進むべき道」とはなにかという話だが、これは明確な答えがないものである。ただ、常に不幸せであることを望むものは少ないだろうし、幸せである生活をおくるために、倫理・心理・社会・環境の面から歴史をもとに改善を行っていくことだと考えており、これが人文学が多岐に渡り分かりづらい理由だと考える。

話を戻して以下の発言についてである。

この発言は、機械的な効率化によって哲学的観点から失われているものがないかを問うていると考えられ、それ自体は一つのテーマとして検討すべきことであると考える。実際その後にこのような発言をしていることから、彼が問うていることはそういうことだろうと推測はされる。

一方で、効率化された物事を見て、自身が感じた「ひどい・寂しい」といった気持ちだけ表現することは、少なくとも学問的ではない。

また学問的でなく警鐘のつもりで書いたとしても、その考えにいたる説明が不足しており、それを除くと単に企業努力による効率化を卑下するような文になっており、非難されてもしかたないというのが私の所感である。

これでは哲学的観点での考察を促すどころか反って妨げてしまっている。

効率化によって得られる物質的な豊かさと、そのために犠牲になる倫理・心理・社会・環境の関係とのバランスを考察することは、人文学の大きなテーマであり常に求められているものの一つであると考える。

故に問いかけること自体は問題ないが、その問いかけは効率化による利益をよく考慮したものであるべきで、それこそ哲学者に求められているものである。つまり

そういう声を上げてもらいたいのであれば、哲学者自身が効率化の哲学的観点での利益と損失を説明し、技術者がバランスについて考慮できるよう促せる形を用意すべきなのである。それこそがまさに学問なのではないだろうか。


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