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大和十三仏霊場[安倍文殊院][おふさ観音]、桜井駅〜大和長寿道、藤原宮跡〜畝傍駅

長岳寺から、まわり始めた
「大和十三仏霊場」へ

2024年10月20日 
近鉄「桜井」駅、9時半ごろ着。


桜井観光案内所にて、
マップを入手。
安倍文殊院へ
行くと伝えると
周辺の案内図と
道順の説明、
駐車場から
入るのが
近いとのこと。


「JRで行く大和の古道紀行」
桜井市観光協会が主催のガイドマップ

イベントや割引特典付き、
桜井駅を中心に
7つのルートが紹介されている。

その中の一つのルート
「大和長寿道」、

「大和ぼけ封じ霊場会」が
「大和長寿道霊場」として
「大和十三仏霊場」の
[安倍文殊院]と[おふさ観音]
2寺を繋いでいる。

近鉄と
隣接する
JRの桜井駅を
超えて
南へ出る。

駅には
ハイキング姿の
人達がたくさんいたが、
南側には、
現地の人以外は、
誰もいなない。
みんな
山辺の道へ行くのだろうか?

以前に行った
等彌(とみ)神社へは
ここを左折する
多武峰街道、

今回は直進し、
大和長寿道へ

しばらく
直進すると
歩道の上に
縄が貼ってある。

勧請縄

村境(地域・地区の域内・外のさかい)に、呪物を付した注連縄を張る習慣。道切りとも呼ばれる。

ネットを探ると
集落の境界などで
災厄や疫病などを防ぐために
掛けられたもので
現在では神社で
行われるようになった例も多いが、
谷地区では
今でも集落の境界で
行っているそうだ。

確かに、
地図を確認すると
桜井市谷(大字)への
区分け箇所だ。

結界は
集落の外れの
十字路、
辻など
物理的な
境目に
ありそうな
イメージだったが、
きっちりっと
行政区分に
合わせて
道の途中にあるのが
少し不思議だ。

そして、
まあ
この下を
潜り抜けれたので
私は
疫病神ではないらしい。



少し歩いて
右側には

若櫻神社

「祓戸?」

拝殿、
参拝


「金毘羅大権現」

桜井の
地名の由来でも
あるようだ。

次は
土舞台へ

途中、
右折し
住宅地の中に、

十三仏だろうか?

下の
大きな方の
捻った腕の
右手の形は、
三鈷を持つ 
弘法大師のようだが、

すると
残りが
十二仏になるので
一番上の
空間に
もう一体
あったの
だろうか?

道が入り組んでいて
土舞台には
たどり着かず
元の
太い道の先に
出てきた。


すぐ、
安倍文殊院の
駐車場へつながった。

安倍文殊院

日本最大約7mと伝わる文殊菩薩(国宝)を御本尊とする安倍文殊院は、創建以来すでに1300年以上の時を経ていますが、現在も常に人々の信仰を集める祈祷寺としてその法灯が守られています。

また、日本三文殊の第一霊場「奈良県・大和安倍の文殊」(京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)としても知られています。

境内には弁財天、奈良時代の遣唐使・安倍仲麻呂、平安時代の陰陽師・安倍晴明がお祀りされている方位災難除けの金閣浮御堂や特別史跡の古墳、安倍晴明が天文観測をしたと伝わる展望台などがあります。

安倍文殊院HPより

大和十三仏のご朱印
300円。
Aの本堂参拝のみで
700円。
「JRで行く大和の古道紀行」で
630円になるのを
忘れていたが、
受付の方が、
「JRで行く大和の古道紀行」を
持ってるの見つけ、
向こうから
割り引いてくれた。

70円以上の好印象、
良いお寺だ。

参拝記念品は
「ポストカード」と
お菓子の「らくがん」
一口の甘み。

お堂内では、
お坊さんの説明中、
調子良く、
落語のようだ。

並んだ椅子に、
5、6人が座って聴き、
立って仏像を
拝む人など。
少し座って
話を聞く。

耐震工事のために
文殊菩薩は
獅子から降りて
今だけ、
一番近くで
対面できると
売り文句。

なるほどと
近くまで
伺い、
拝観。

「渡海文殊群像」
5体が全て国宝の
そのうち4体は
快慶の作。

先頭に立ち
振り返る
善財童子、

獅子は
斜め下を睨む。

端正な姿の仏像。

落ち着いて
拝観できる、
久しぶりの
奈良の仏像。
良き良き。


次々と
参拝者が
入ってくる。

境内には
西古墳

中には
願かけ不動尊、
参拝。

ここは
安倍一族の寺であり、
安倍晴明信仰の
聖地の一つだ
そうだ。

本堂脇の奥、
少し上る。

その安倍晴明の
母親と伝わる
白狐・信太の森葛葉稲荷を
祀る。



東には

東古墳


白山堂

白山信仰と陰陽道は
古くから
結びついているとのこと。

少しの上ると、
高台が広がる。

ウォーナー博士
報恩供養塔


その先には、
清明堂

参拝。

「如意宝珠」
いかなる願望も意のままに、
そして悪を払い、
災難を防ぐ功徳があるそうだ。
万能!



安倍晴明
天文観測の地

西を向き
正面に
金閣浮御堂、
奥右手に
耳成山。
その奥正面に
二上山。

子供が一人で
上ってきて
大きな声で
下と話をしている。


下りると
迷路ができている。
なるほど、
迷路の説明か。

ここは
新年には、
干支の植栽が有名。

あー、良い季節。


戻り、
本堂の正面を
南へ、
振り返る。

右折して、
境内から出て
振り返る。


西へ、
大和長寿道

キンモクセイが
時々、香る。

何の記憶とも
結びついていないのに、
懐かしく、
優しい気分になる。

なぜだ、
不思議。

途中、
食事ができるところは
無さそうだ。
コンビニで、
「肉まん」と
「稲荷寿司」を買う。


北へ少し歩き、
神武天皇聖蹟顕彰碑。

以前に行った、
大和十三仏霊場[長弓寺]の付近は、
神武天皇聖蹟 鵄邑(とびのむら)顕彰碑
だった。

ここは、

神武天皇聖蹟 磐余邑(いわれのむら)顕彰碑

磐余(いわれ)

神武天皇の和風諡号、「神日本磐余彦天皇」の中にこの地名が含まれ、天皇の東征の際に、兄磯城の軍が「磐余邑」に駐屯していたことが見える[1]。元の名は片居または片立と言い、大軍が満たした(古語で「いはめり」)ために磐余と改めたという[2]。「要害地」・「石根(いわね)」などの説があり、「石村」を朝鮮の古語で「いわふれ」とよむところから来ているとも言われている。池田末則は「岩群」ではないか、と述べている。

wikipediaより

ヤマトの範囲は初瀬川の流域で,三輪山と香具山を結んでできるデルタ地帯(第一次ヤマト)である。シキ(磯城)やイハレ(磐余(いわれ))地域が第一次ヤマトに相当する。香久山は代々の大王の国見儀礼の舞台であるとともに,その土が呪力あるものとされ,神聖視されていた

コトバンクより



大和長寿道に戻り、
ただただ西へ、

橿原市に入る。

右に
耳成山。

けっこう
車が多いが、
歩道があるので
何も考えずに
真っ直ぐ西へ、
ぷらぷら。

畝傍山が見える。

途中、
歩道がなくなり
危ないので
左折し
南下。


しばらくすると、
左手には
畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)

「哭澤の神社」(なきさわのもり)とも言います。祭神の哭澤女神(なきさわめのかみ)は、「古事記」によると国生みの最後の段階で、伊邪那美神(いざなみのかみ)が火の神である火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を生み亡くなったのを、父の伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと言われています。

神殿はなく玉垣で囲んだ空井戸をご神体とし、境内には末社の八幡(はちまん)神社が鎮座しています。

橿原市HPより

本殿、
参拝

空井戸があるのか?

八幡(はちまん)神社



すぐ南隣には
奈良県文化財研究所
藤原宮跡資料室

展示がしっかりしている。

親子が
ボランティアさん(?)に
説明を聞いている。

ここは国立だと、
少々自慢げ。



太陽に八咫烏、
月にはウサギとカエル、
四地相応の想像の動物、

2016年夏に
藤原宮大極殿院の南門の前から、
見つかった、
大宝元年(701)の
元日朝賀の儀式で立てられた
7本の幢幡(どうばん)の復元。

 「天皇、大極殿に御(おは)しまして朝(ちょう)を受けたまふ。その儀、正門に烏形(うけい)の幢(はた)を樹(た)つ。左は日像・青竜・朱雀の幡(はた)、右は月像・玄武・白虎の幡なり。蕃夷の使者、左右に陳列す。文物の儀、是(ここ)に備れり。」

奈良県文化財研究所HPより



西へ
正面
右奥には
二上山。

畝傍山が
段々と
大きく見える。

右折し、
北へ。

遠くに、
耳成山。

西には
畝傍山。

藤原宮跡には
一面のコスモス
南側を
西へ。

たくさんの人達。

1時前、
休憩
稲荷寿司


再度
北に
そして
長寿道を
西へ。

道幅は
狭くなり
住宅地に。

おふさ観音

今は提灯まつり。

春秋はバラまつり
夏は風鈴まつり
四季折々のお花が楽しめるように
手入れをされている。

境内には
写真撮る人がたくさん。

大和十三仏のご朱印
300円。
拝観
300円。

ご祈祷中だが
拝観OKと
案内していただく。

奥には
お庭、

本堂を
裏から



弘法大師
庚申尊

金毘羅宮

三宝荒神王

恵比寿天


西諸尊堂には、

玉置神社

愛染明王尊

融通弁財天

神仏は
分かれない。

出て
突き当たりを
北へ、
古い街並み。

西へ抜け
飛鳥川を
超えると
今井町。

飛鳥川沿いには
猿田彦大神の石碑と
金毘羅宮の灯籠には
講中安全の文字。


猿田彦大神は
みちひらきの大神とも呼ばれ、
学業や仕事、交通安全、教育などの
ご利益があるとのことなので

ここは、旅の中継地点か?

下ツ道を
北、
西へ、

この辺りで
ちょうど
スマホのバッテリー切れ、
終了。

すぐ
JR畝傍駅
2時前着。


日向の下の
町歩きに、
心地よい季節。

ありがとうございました。













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