やめるために続けてる
113日続けていたこのエッセイの投稿を1週間お休みした。仕事や日常業務から解放されて非日常に浸りたいという意図での決断だった。
迷いもあった。継続は価値だ。100日以上書き続けてきたことに、僕はある種の誇りを持っていた。
でも、やめてみて思った。継続の本当の価値は、やめたときに発揮されるのではないかと。
継続することが目的なのではなく、むしろやめることが目的なのではないかと。やめるために、これまで続けてきたとさえ思った。
100日以上続けるということは、習慣化するということ。僕にとってエッセイを書くことは日常になっていた。仕事が詰まっていても、時間がなくても、なんとかして書く。それが当たり前だった。
今回の韓国旅行で、僕はこの「当たり前」を壊しにいった。このことに、大きな意味がある。「当たり前」は、壊すためにある。常識は、覆すためにある。継続は、やめるためにあるのだ。
当たり前に続けてきたことを1週間やめる。それは異常なことだ。すると脳に「異常状態です」と指令がいく。今回の韓国旅行は異常なものなのだ、と脳が理解するようになる。そうすることによって、今回の旅を「非日常」だと認識することができたのだ。
現代は、非日常の価値が上がっていると思う。海外に行ってもネットはつながるし、ニュースはチェックできる。YouTubeも見れるし、仕事だってできる。海外でも日常が過ごせる時代だ。
便利な世の中だ。けれどその分、非日常を味わう難易度が上がっていると思う。そこで、僕はエッセイの更新をやめた。当たり前に続けていることをやめることで、非日常のスイッチを入れた。
久しぶりに雑音をシャットアウトし、自分と向き合う時間を過ごすことができた。ああ、エッセイの更新をやめてよかった。そして、これまで続けてきてよかった。
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