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自分の脳をちゃんと働かせるためにバスに乗ってみました。その時に攻略本を捨てることができるというお話。

最近バスに乗ってみました。

そんなに乗ることがないのですが、電車の乗り換えが面倒だなって思ったことと、そこから直通で家まで帰れることと相まって乗ってみました。
始発からだったので座れたのですが、時間にして40分〜50分ぐらい。

ただそこで格闘しないといけないのは、
スマホや本など見ると100%酔ってしまうこと。
狭い窓際の席でうっすら閉所恐怖症的なことになること。

今やオーディブルやYouTubeでなんでも聞けるのである程度楽しめるのですが、その時はBGM程度に音楽をかけました。

というのが、バスに乗ることを決めた一番の理由は、積極的に自分の脳でいろんなことを考えたいと思ったからです。

なんとなく最近思うのは、「答え」がいつも持っているスマホに入っているということ。
検索で調べて「ああこういうことか」って表面上わかったような気がして。答えを得た気になって終了。

確かに時間の流れるスピードが相対的に速くなっていて、対応できないから答えをすかさず取得することが重要なのかもしれません。
ただ脳を介さないとこに慣れてしまうと、不測な事態や答えがないことを切り開く時にフリーズしてしまう。

別の機会で書きたいと思うのですが、攻略本が出回りすぎたことが原因な気がします。

なので極力、そこから離れる、ある意味では、鎖国時代に持っていくことも重要なのかなという気がします。

ということで、自分の脳を介する訓練をしようと思ってバスに乗ってみました。

自由すぎることが自由を縛ってしまう的なことと逆説的に、やることに制限があるとより生産的なことができる。
この場合、大敵なスマホを、僕にとって物理的に間接的に制限をかけるという手段がバスなのだと。

これが結構いい時間だったなって思います。

土曜日、日曜日とかに朝のうちに子供を連れて近くの公園に行ったりします。
いや、僕がジョギングするので、「後で公園集合ね!」と言った感じの約束をして、ジョギングして、そのあしで先に僕が公園に着いた時。

スマホなんか持っていないし、身につけているものはアップルウォッチとイヤホンだけ。

公園に着いた。

することがない!

と思った時に、ヒマの潰し方をかなり外部に頼っていたなと思い知らされました。
スマホや本、他人も遊び道具も全部外部。

そんな時の時間も素敵な時間でした。
ちゃんと自分の頭で考える時間、整理する時間。

積極的にこういった時間を作っていかないといけない気がするのです。

公園でうっすら先に、野球をしようとしている子どもを見ながらいろんなことを考える時間。
ゆっくり流れていて、ふわふわって浮遊感の中、背景がセピア色でなんとなく昔思った夏休み的な感じで。

そういった別の手段としてバスに乗るということが得たので、そういうことを少しづつ増やしていこうかと思います。



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