釈迦なら何ていう?
中道を目指したら、俗世の苦しみや悲しみの感覚が薄くなったが、俗世の嬉しい、楽しいの感覚も薄くなり、人生が無のようになった。
苦しいことや悲しいことから距離をおき、日常に感謝して、嬉しいこと楽しいことを思い切り感じてもいいのですか?
苦しみや悲しみにも感謝できるようになり、極端に落ち込むことが無くなりました。
では、全てに感謝して楽しく生きているのは、中道といえますか?
私こちらの記事で書いた中道の実践は間違っていた。
なんだ、嬉しいこと、楽しいことに心が動かされて良かったんだ。
いつでも冷静、心を乱されない、波を立てないを意識して、感情が乏しくなったことがあった。それが中道だと思っていた。
それが間違いだと分かって、中道を安心して目指せるようになった。改めて、「人生後半、そろそろ仏教にふれよう」を読み返したら、また違った受け取り方が出来そうな気がする。
気付きに感謝!