社会との関わり
「これが私の芸術なのかっ!」一人の少女が発狂する。ベンチから見える『それ』は、きっと人間ではない何かのように感じる。
されど見つめていたい、何かを感じさせてくれるものだった。
社会の波に流され、愚か者の夢は賢き者の美化された過去になった。「くだらない」「やめておけ」という忠告と、あるいは無責任な応援が愚か者にそうさせた。
「夢は夢で終わるべきなのか?夢の蓋も開けてみれば下らない、ただの都市伝説染みたものでもないただの現実だ。」
ああ、俺は何を言っているのだろうか。きっとこの言葉すらも、誰かに見られているといった妄想への虚栄心によるものなのだろう。
「……」周りから見れば腐っているような目で、公園で踊るように何かを撮っている少女を眺めた。どうやら俺には気づいていないようだ。相も変わらず俺は影が薄い。
こんな雨あがりの、さむいさむい冬の日に、よくもまあ楽しそうにできるものだ。見たところ中学生か高校生くらいだろうか。今日は平日なのだが、学校はいいのだろうか。
あの少女は、とても楽しそうな軽快さがあって、見ているこっちは微笑ましくなる。
少女はとても生き生きとしていた。それこそ少女の発狂していた「芸術」そのもののイメージを感じた。
きっとそのイメージは、アニメや漫画で影響されたありふれた「芸術」なのだろう。しかし、彼女のその「芸術」とやらは、少なくとも俺と同じ虚栄心によるものだとは思えない。
彼女のどこか現実味のない、浮世離れした雰囲気がそう錯覚させたのかは分からない。見ていて何かが心に引っかかる少女だ。
「そういえば、俺は中学生の時、哲学に傾倒していたな」俺は一人ポツリと呟いた。虚栄心が蠢いた、自分語りも明日への心配も飽き飽きだというのに。
首に絞めかかっていたネクタイは中途半端にほどけ、縦縞ラインの背広はクタクタになっており、いかにもダメ人間のような風貌だ。
「あはは、確か自分以外は確証のない存在で、自分の作り出した妄想かもしれないってやつか」
今思えば、どれも作り上げてきた以上確証しかないと思うのだが。我思う故に我あり的な。
「はあ…もう世間に出ていたとはね。自力で辿り着いた先には誰かの通過点だったのか。知識を得るほど自分の無知が嫌になる」
自力で作った初めての俺の証。それがもう世の中に出ていたことを知って、酷く項垂れた。それでも、重要なのは結果よりもその過程と気づいてからは楽しかったはずなのだが。
「はあ…夢は夢にままで、必ず終わらせたくはない…」頭を上げて、口をぽけーっと開けながらザラザラとした喉声で嘆いた。
今俺をあの少女が見ると、なんと思うだろうか。少しは観察してくれるだろうか。奇抜に見えるだろうか。純粋さを感じてくれるだろうか。多分、すぐに興味はなくなるんだろうな。
そんなことを思いながら、気分転換にどこかで聞いたバラードのへったくそな口笛を吹いていると、少女はその不協和音に気づいたのか、こちらを振り返った。
その直後、見られていたのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしてまあまあ目つきの悪い眼を見開いてこちらを見ていた。その様子が変で、思わず笑ってしまった。
「…ごめんごめん。君さ、こんな平日の冬の日に、よく外に出れるよね」俺は努めて親しみやすそうに、少女が気兼ねないよう話しかけた。
「…ひゃ、はい。私は雨上がりの味が好きなので」敬語。
「味、か。変な人だね」前にネットで見かけた共感覚というヤツだろうか。
「あなたこそ、こんな冬の寒い日に、しかもそんな服装で何を?」
少女は少し眉をつり上げて、親しみやすそうに演技しているのか、若干うさんくさい。どうやら俺と似たクチらしい。
「いやまあ、会社をさっきやめちゃってさ。色々合わなくて。やることもないから、今こうしてぼーっとしてるんだ」
「へー…」少女は何かに共感したのか、目を輝かせながら俺を見つめてきた。
「俺を観察したところで、きっと君のいう『芸術』の何の足しにもならないよ」彼女はきっと、俺から何かを得ようとしてる。
かつての自分と同じように、熱心に自由に振る舞うように。そうはさせるものかよ。
「えっあ、はい。」俺に、わざわざ言わなくて良い、という視線を向けてくる。一々面白い子だなあ。そういうところが、惹き付けられるのかもしれない。
「あの」
「ん?」彼女は気まずくなったのか、僕に質問を投げ掛けた。
「どうしてお仕事を辞めたんですか?」もっと深く知りたがっているような視線を向けられる。
後々偉大になりそうな芸術女子のこの少女に情報を与えれば、きっと糧にしてしまうだろう。しかし、それとは対に、俺の虚栄心はまたもや蠢いた。衝動的に口を動かした。
「ああ、それね。さっきと同じように、色々合わなくて。さっきまで雨が降っていただろう?なんだか今日は心だけはいつもより晴れやかでさ。だから、やめてきた。」
彼女は可笑しそうに笑った。少しずつ口角が上がっていくのが素敵だった。素で愛嬌があるのだろう。
「人間は天気に思考や感情を左右されやすいですもんね」
「それは感受性豊かなことだ」
「あなたも例外ではないですよ」
「…そうだね」
またしても沈黙が流れる。1対1の会話は苦手じゃないんだがな。三人以上よりはマシなのだが。どうもこの少女の前だとそうした子気味の良い演技がバカらしくなる。多分、互いにそういうのが分かるから、見抜けてしまうからだろうな。
それはどうやら彼女自身もそう感じているのか、今度は遠慮なさそうに服装がダサすぎるとか指摘された。
「…君は意外と遠慮ないタイプなんだな」
「私はこれくらいのコミュニケーションしか取れないんですよ」
「ガム食べる?」
「なんですか急に」
「いや、こんな雨上がりの日に食べるガムは、晴れの日よりも格別に美味いってだけさ」
「では、いただきます」
そんなこんなで他愛ないやり取りを彼女としており、ふと腕時計を見てみれば小一時間程経っていた。
「あ、もうこんな時間か」時間針は午後5時を指していた。
「それじゃ、そろそろ帰らなきゃ」彼女も俺の腕時計を確認して解散を促してくる。まあ、久しぶりに会話できたし、丁度良かったな。
少女は満足した風にそれじゃ、といって歩を進めていった。
が、芸術少女はふと何か思い立ったのか、俺に対して契約とも取れる質問を投げ掛けた。
「あなたの名前はなんていうの?」
その契約は、俺の忌み嫌った呪いでもあるのだが、情けないことに俺は孤独を貫く程の気概はなかった。
「宮下 哲太だ、君の名前は?」自分の名をまたもや衝動的に教えてしまう。
「私は鏡屋 旅、またどこかで会ったら話しましょう」鏡屋旅、か。響きの良い名前だ。
少女は踵を返した。
「ちょっとまって」
俺はそこで心の違和感を解消すべく、彼女を呼び止めて質問を投げ掛けた。
「1個だけ質問させてくれ」
「なんですか?」鏡屋旅と名乗った芸術少女は、不思議そうにこちらを振り返る。
何かを期待しているようにも見える瞳だった。かつての俺のように、どこか危なっかしい純粋過ぎている瞳。直視するのが眩しいくらいの。
「君は将来、どうするんだ?」
ありふれた質問だ。
「いや。ほら、君は見たところ学生で、今日は平日で学校あると思うからさ。将来についてどう考えてるのか聞きたい」
今現在の迷いを解決したい。
少女はそんな質問に当たり障りのない表情をしながら、唇に人差し指を添えながらすこし考えて、
「んー、まあ。やりたいと思ったことをやっていくだけかなあ」そんなあっけらかんとした答えを返した。
「……安定した生活送れないかもよ」
「それでもいいよ」「元々、人生はやりたいことをやるためにあるんでしょ」
「それはそうだけど、お金がないと早く死ぬかも」
「そんなこと、大したことじゃない」彼女の瞳は強い光のような、得たいの知れない何かを帯びていた。淡い青色のような赤色のような、矛盾しているようなよく分からないものだ。きっと、途中で諦めた俺じゃ分からないものだ。
「私の将来は、やりたいことを追求していくだけだよ」「お金が無くなったなら死ねばいい」「不老不死にでも、なればいい」
そんな現実離れしたことを言ってて、鏡屋旅のジョークかと思ったのだが、何かを見据えているような目を見る限りそうには見えなかった。
俺はこの時ようやく淡い記憶と共に、中学時代に飽きて諦めた夢を思い出したのだ。いや、飽きていたんじゃなくて、ただ死んでみたくなっただけ。一時の気の迷いだろう。
いつからだろうか。自分の思考を捨てたのは。偉人と肩を並べるくらいの脳みそも、今や本で見た技術で固めた、ただの小細工だ。
趣味や仕事の範疇でばかり物を考えるようになって、お金や老後のことばかり。その時には余裕もなくなって、今こうして会社が合わなくてやめていて。
俺は、飽きない夢がほしい。アニメや漫画のキャラクターみたいに情熱がほしい。多分、それだけだったのだろう。
「そうか、ありがとう」「君に会えて、色々と思い出せたよ」
鏡屋旅はそうですか、といって上目遣いに僕を見上げた。夢を語るのが少し恥ずかしかったのか、耳が赤くなっている。頑張って話してくれたのか。
「うん」「まあ、色々とやってみるよ」「資格とか、余り金で大学行ったりとか。」
鏡屋旅はその年代には似つかわしくない、どこか俺よりも年上っぽさを感じさせる笑顔を見せた。
きっと彼女は人生を達観している。言葉の端々にそんなことを感じる。哲学に傾倒していた俺よりも、きっと彼女はもっと凄い。
「それでは、またどこかで会いましょう。」そういって、彼女は踵を返した。
俺は彼女から、心持ちと休息を受け取った。不思議と俺の濁った目が、今は綺麗に見えるだろうという確信が持てた。
とりあえずは、この虚栄心を無視して動いてみるしかないだろう。
最初から世の中の基準で物事を考えていると、何のために生きているのか分からなくなる。
だからこそ、自分の中の基準をある程度持って、世界との、無関心とも取れる付き合い方を持つのがいいのだろう、今の俺には。
水溜まりに映る俺の顔は、いつもよりも清々しく見えていた。泥一つない、透き通る瑞のように。
ああ、いつか俺にも、あの少女のようになれるだろうか。自分の考えだけで、道を選び抜いていきたいものだ。
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