祖父の噺
私の苦手なものは、気の利かない女と、言い訳する男と、オチのない話。それから、力任せにぶつかってくる剣士だ。こればっかりは本気でやめてほしい、とにかく痛くて怖くて泣けてくる。なお、食べ物で苦手なものは特にない。何でもモリモリ食いしん坊だ。
祖父は常々私に、物事にはオチというのがあって、それはとても大事だと言っていた。
警察官だったらしい祖父は、私が生まれたときには長唄と三味線と書道の先生をしていて、お弟子さんが自宅にお稽古に来たり、掛け軸や色紙などの作品を作ったり、大きな舞台にも出たりしていた。祖父の部屋には、たくさんの本の他に、バチや筆や趣味のカメラや工具が並んでいた。竹細工の虫かごを作ったり、ライカの手入れをしたり、私が書いた習字の文字に赤筆を入れたりしながら、物事にはオチが必ず必要であると穏やかに語っていた。物事の最後は美しく締めくくりなさい。どんな最後で締めくくるのかが物事の醍醐味でもある。急須でお茶をいれたときの最後の一滴、襖を両手で閉めた時の最後に音を立てない所作、舞台で履いた袴を仕舞う手順、黒電話を切るときの受話器の置き方など、祖父はそれらをオチと表現したが、剣道を習う今の私ならそれらは、一つの動作を終えたあとでも緊張を持続し、打ち込んだあと相手の反撃に備える心構えである残心のひとつだと捉えたい。
私は毎年、夏休みになると一人で数日間、祖父母の家に泊まりに行った。祖父が2階でお稽古しているときは階下で大きな音を立てないように、祖母と手打ちのお蕎麦を茹でたり、髪を櫛で解いて結んでもらったり、金魚の柄の浴衣を着せてもらったり、甕のメダカに餌をやったり、ほおずきの笛を作ったり、朝顔の色水でお絵描きをして過ごした。私はあまりしゃべらない子どもだったので、ラジオから流れる落語を聴きながら、レトロな扇風機の緩い風を浴びながら、そうめんを啜って水羊羹を食べて、祖父母とのゆったりとした夏休みがとても心地良かった。祖父と犬の散歩で川縁の道を歩き、川に置かれた木材が何の形に見えるのかを二人で想像して、流されてきた恐竜が案外と川が浅くてお腹を打ってしまって悔し泣きしているところだと眺めたり、お寺の階段を掛け上がってわざわざ力道山のお墓の前でふたりでスクワットをしたり、夕食前に我慢できずにチョコモナカアイスを半分こにして食べたり、祖父と私は顔を寄せて内緒話をしていつもクスクス笑っていた。
トンツートン、トンスーチョン、どこにむかって筆を運ぶのか、どのような力加減で筆を止めるのか、トンとかスーとかチョン、という音とその強弱やスピードで祖父は私に習字の筆運びを教えてくれた。そして、最後の文字を書き終えたとき、筆を硯に戻すまでのゆったりとした流れも大事にするように見せてくれた。かと思うと、ゆったりした動きがいきなりくるくると速くなって、私の鼻先に筆で小さな黒丸を描いて、「油断したな」と得意顔をするお茶目な人だった。そして自分の鼻の頭にも同じように黒丸を描いて、お風呂に入るまでお揃いの黒鼻で犬の真似をした。私は墨をすったり筆でお絵描きをするのが楽しくて、墨絵で竹藪を描くのに夢中になって、お習字は上手にならなかったが、最後にきちんと筆をお片付けするのはとても上手だと祖母は誉めてくれていた。
「おじいちゃんが今、探しているものと掛けて、のっぺらぼうと解く。その心は?」と祖父が私になぞかけを始めたことがあった。南部風鈴がリーンと鳴り、蚊取り線香の香りが漂う縁側で、カルピスを飲みながらウーンと私は唸る。そして祖父の頭の上に乗っている老眼鏡を見つけ、「そのこころは、メガネ!目がねえ!だ」と指差した。正解を導いた私はあの番組みたいに座布団を重ねてもらい、飼い犬のミルちゃんを抱いてカルピスの続きを飲んだ。
「物事にはオチが大事だぞ、オチをつけた方が何事もうまくいく」と祖父は私に言っていた。そして数十年後の子育ての最中、息子たちも私自身も落ち着きがなく、突発的なことには慌てふためき、人との関わりが不器用な、じたばたとあたふたと過ごしていたときに、私は閃いた。オチをつけろよと言っていた祖父が私に残したかった言葉は、「何事もオチついてやれよ」だったのではなかろうか。「何事も落ち着きなさい」とありきたりで聞き流してしまう言葉ではなく、心に引っ掛かるような言葉遊びをしたのだ。お茶目な祖父のやりそうなことだ。亡くなって数年してから絶妙なタイミングで、強烈なインパクトで存在を示す。
祖父は90歳を過ぎて、身体が動かなくなって食事も摂れなくなり入院することになった。「人生の最後に人に迷惑をかけたら申し訳ないし、余計なことや我が儘や泣き言は言いたくない。だから今日から自分は『はい』と返事しかしない。」と宣言して、家族や医師や看護師さんにそれを貫き、凛々しく微笑んで天国へ行った。頑固で潔い見事な人生の締めくくりのオチを、つけて逝った。
私の祖父の噺、お後がよろしいようで。
追記
愛犬のミルちゃん
初代はスピッツ、二代目はポメラニアン。
「おじいちゃんちのワンちゃんは、なぜいつもミルちゃんなの?」と聞いたことがある。
「ミサイルの真ん中をおじいちゃんが引っこ抜いたから、ミルって名前なんだ」
祖父がミルちゃんに託した平和への願いが届きますように。