ビビディ・バビディ・ブー
私は何者にもなれなかった。大きな選択をしたことのない人生だった。何かに深くのめり込むことも、ひた向きに継続することもなく、気になったことに手を出しては小さな熱をもち、火がつく前にそれはすぐに消え、なんとなく、なんとなくを繰り返して、何も手に入れられず、私は何者にもなれなかった。
大きくなったら何になりたいの?と問われて、鍋に泥んこと近所のお寺で拾ってきた銀杏と姫りんごをピンクのシャベルでかき混ぜながら、「魔法使いになる!」と5歳の短パンの私は野望を抱いていた。
やがて制服を着るようになった私は、どんな職業に就きたいのかを問われると、そんなの全然わからない、理系か文系かさえもわからない。私には何が出来るのか、何をしたらうまくいくのか、何が出来たら幸せなのか、誰か私に教えて欲しい、踝を隠す制服のスカートに、結局全部に蛍光ペンを引いてしまう教科書に、毎朝私に吠えてくる坂の下の黒い犬に、思春期の私の苛立ちは八つ当たりだ。
将来の進路について記入する用紙には、「魔法使い」と書いた。魔法使いになれたなら、呪文を唱えて、私は空を飛べるし、何者にでもなれるのだ。
お正月に親戚が集まると、伯父は握ったコインを消したり、結んだロープがほどけたり、ハンカチが紙吹雪になったり、手品を披露してくれた。ホテルマンの伯父は趣味で始めた手品だけれど、イベントの前座に登場したり、混雑するロビーでお客様を和ませたり、迷子の子どもをあやしたり、仕事を助ける特技になったと、新しい手品のネタを研究している。魔法使いの伯父の影響を受けて、私はホテルに就職した。
私が学んだ魔法は、丸テーブルでフランス料理の150席の披露宴がお開きになると、ほんの数分で学校形式の席の並びで会議会場のセッティングをしたり、フカフカのカーペットの宴会場に床材を並べてダンスフロアに変身させたり、十数組の新郎新婦がすれ違わないように移動をさせたり、食材や花が次々と納品されてそれらが華やかな料理になり、新郎の胸元や新婦の髪を飾り、人々の感動に変わる。遠方からいらした旅人がチェックインをすると、ホテルは住まいに変わる。魔法の世界に飽きることなく、料理にも衣装にも会場のセッティングに魅せられた私は、ブライダルの担当になった。
上司は私に、ブライダルの仕事は長く続けた方が良い、新郎新婦の親の年頃になれば、さまざまな立場への気配りやおもてなしが出来るからとアドバイスをくれた。私が結婚して子育てのために退職をするとき、「いつかまたホテルに戻ってくるように、今日は正面から出ていきなさい」と、ベルボーイに扉を開けてもらって送り出された。
それから15年が経って、ホテルの副支配人になった同期から連絡があった。そろそろ子育ても落ち着いたのなら、ホテルに戻ってきてはどうだろうか、というお誘いだった。近年は結納をして媒酌人をたてて結婚披露宴を行うというスタイルとは変わってきたけれど、若いスタッフの中に新郎新婦の親世代が欲しくて、当時の仲間に声を掛けているという魅力のある有難い話だったので、少し時間を頂いて返事をすることにした。
私はその頃、息子たちと毎週土日に剣道の稽古に通っていて、剣友会の運営や地区の大会や審査のお手伝いに関わっていた。ブライダルの仕事は土日祝日は休めない。だから私はどちらかひとつを選べなくて、とても揺れた。そして、高校の時に中途半端に引退をした剣道を選ぶことにした。剣道部の追い出し稽古をサボり先生や後輩に挨拶もせず、フェードアウトしたあのときの自分が、いくつになっても私の不甲斐なさだ。だから、次に剣道を辞めるときはきちんと辞めたい、というのが息子たちと剣道を始めた理由で、私は今も土日の稽古に通っている。
剣道は自分と向き合える、心身の修練になる、段位が取得できる、老若男女様々な人と関われる、歳をとっても続けられる、など剣道の稽古を続けるメリットはたくさんある。継続は力なりで、長く続けてきたことで一緒に稽古をする小中学生の女子たちに慕われ、数少ない女性剣士との絆は深まり、父親と同じくらいの年代の高段者の先生方に甘え、試合や審査では緊張感や敗北感、たまに達成感を噛み締めて、剣道に一喜一憂する日々を送っている。
何者にもなれなかった私はあの選択をしたから、剣道をする人になれたし、ひとつのことを続ける人になれたのだ。漠然と稽古を続けるのではなく、剣道と仕事のどちらを選ぶかという分かれ道に立ったからこそ、自分の選んだ道なのだ、と私はちょっと誇らしかったりもするのだ。魔法使いの杖が、竹刀だっていいじゃない、ねっ。