東京、わたしの旅
就職活動中の話。面接のために、初めて1人で東京に来た。経団連が名ばかりの選考開始を定めている6月1日から2日後のことだった。超売り手市場と言われている今年、ある就職ナビサイトの調査では、5月1日時点で51%の就活生が内定を持っているらしい。去年の調査では、6月1日時点で内定を持っている就活生はたしか70%弱だった。今年は去年より前倒しで選考が行われているようなので、6月3日現在での内々定保有者の割合は、去年よりはるかに高いだろう。しかし、東京へ向かう新幹線を待つ私に、内々定を出してくれている企業はなかった。
将来への不安、NNT(無い内定)というレッテル、関西では一応一流と言われる大学の学生であるというプライド、それらから来る親への申し訳なさ、自分への不甲斐なさが入り交じり、グチャグチャだった。しかしそんな気持ちが瞳からこぼれ落ちないよう、腹にグッと力を入れて、新幹線に乗り込む。動き出す窓の外の景色を眺めながら、これは東京への旅だが、同時に、自分自身の将来への旅だと思った。
その日は1泊1580円のドミトリーに泊まった。東京駅から2駅という距離にも関わらず、以前沖縄で泊まったドミトリーとほぼ同じ金額であった。ネットで調べていても他にそれほど安いところはなかったので、どれほどの安設備かと不安心もあったが、思いの外内装はきれいだった。どちらかというとカプセルホテルのような作りで、それぞれのベッドは完全に仕切られており、ライトやラジオ、アラーム機能が備え付けられている。天井部分には空間の割に合わず大きめのテレビがついていたが、それは使えなくなっていたので少し邪魔だった。宿泊者はだいたい外国人旅行客か旅人で、就活生も何人かいた。受付には世界ふしぎ発見のリポーターみたいな雰囲気の、きれいな女性がいた。年齢は20代後半から30代前半くらいに見える。1人でこのドミトリーを経営しているのだろうか。そうだとしたらどのような経歴で今に至るのだろうか。少し気になったが、なんとなく聞けなかった。
夜になって、半袖短パンでその街を歩いた。気温は昼間とうって変わって下がっており、少し寒かった。帰宅中のスーツ姿の人たちが、こちら側の歩道にも車道を挟んで向こう側の歩道にも何人も歩いている。「会社員」というのは、ほとんどの大人が当たり前のようにやっているものだと思っていたが、私は未だその資格を与えられていない。これまでとりわけ大きな不自由を感じずに暮らしてきたわけだが、ここにきてそんな社会の当たり前を得ることのできない自分がいたとは。しかし都会の風は冷たすぎて、今さら涙もでなかった。
ふらふらと駅の方面へ歩いていたが、たかが晩飯に時間を使うのも得策ではないだろうと思い、結局ドミトリーからすぐ近くにあるラーメン屋に入った。扉を開けると、厨房の手前にいた東南アジア系の店員と目が合った。彼は片言で「イラッシャイマセ!」と言った。声がやたら大きかった。時刻は20時を過ぎた頃だったので、客はサラリーマンの2人組と、中国人3人のグループと私だけだった。店員は他に厨房の中に2人おり、店長らしき日本人と、もう1人はホール担当の彼と同じく東南アジア系の人だった。ホール担当の方が私のテーブルに水を持ってきた。
就職活動で出歩いている間の食事といえば、だいたい飲食店かコンビニのイートインになる。それも続くと節約したくなり、1杯300円台の牛丼チェーンによく行った。私があるとき1人で牛丼を食べていると、自分と同じ黒のリクルートスーツを着た女子就活生が1人で入店してきた。若い女性が1人で牛丼屋にいるのはあまり見慣れない。彼女はしばらくメニューを眺めていた。私の主観かもしれないが、牛丼屋に来る大半は常連客で、彼らは入店して席に座りきるぐらいにはもう注文している。きっと彼女も経費を節約するために、慣れない牛丼チェーンに来たのだ。その後、オーダーし終えた彼女のもとに運ばれてきたのは、奇遇にも私と同じおろしポン酢牛丼だったことを覚えている。
声のでかい店員にお金を渡して店を出た。ラーメンの味は微妙だった。コンビニで朝食用にパンを買って、来た道をそのまま歩いてドミトリーに戻った。シャワーを浴びて、ベッドに戻るころには既に消灯時刻となっていた。横になって電気をつけ、映らないテレビを眺める。そういえば1人で遠出をしたことはあまりなく、今日東京に来たのがおそらく最長距離である。初めての場所で眠るときは、いつも誰か一緒だった。ここまで1人できたんだなと改めて思うと、プラスにもマイナスにもとれる感情がほんのりと沸き上がってきた。その底にはうっすらと不安があることがわかっていたので、黙って低い天井を見つめていた。しばらくして、YouTubeで霜降り明星のラジオを10分ほど聞いて、その後は明日に備えて眠ることにした。
翌日の面接は声だけがやたら出た。午後、明るい東京の街を歩いた。行き交う車、携帯を耳に当て時計と信号とを交互に見るサラリーマン、車道の沿道で交通整理をしている人。オフィス街、働く人たち。歩けど歩けど景色はその繰り返しで、東京はずっと都会だった。その中で、自分は社会にとって、いかにちっぽけで断片的な存在なのだろうと思った。そして、それは自分以外の人もそうなのだ。そう思ったのは、1人で見た東京の街があまりにも広かったからである。
コンビニでコーヒーとチョコレートを買って、新幹線に乗り込んだ。
窓の外の景色が少しずつ動き出す。この新幹線はもと来た道を戻るわけだが、その先は、未来につながっているのかもしれないと思えた。
(あとがき)
旅をテーマに文章を書いてみました。
長ったらしくなってしまいましたが、一読いただきありがとうございます。
他にも様々なジャンルで文章を出していますので、そちらも是非見ていただけたらと思います。
(2019/6/10 文:ケビン)
(2019/6/13 一部不適切な表現が含まれておりました。訂正するとともに、ここにお詫びさせていただきます。ケビン)
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