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何度も何度も、お前を#2【最終章】

 きっかけは俺だった。

 亜紀が体調を崩していた。”病院に付き添ってほしい” と言われた俺は、寝不足の身体を無理やり起こし、亜紀と一緒に病院へ行く。夜間だったからなのか診察時間が長く、気が付けば俺はその間に待合室のベンチで寝ていた。診察が終われば、亜紀が出てきて起こしてくれるだろう。少しくらいなら、と。

「――くん!拓海くん!」 
 どれだけ寝ていたのか分からない。診察が終わったと思われる亜紀に起こされる。目が覚めた時、亜紀は少し疲れたような表情をしていて。

「私ね、しばらく通院することになったの」
 そう俺に報告する亜紀に、俺は”そっか”と返していた。

「・・・そっかってなに?心配じゃないの?」
「いや。心配しても治るわけじゃないだろ」
「え、なんでそうなるの?普通大丈夫?の一言ぐらい言うでしょ」
「あ?ほっときゃ治るって。俺今眠いから、静かにして」

 亜紀は多分、傷ついた顔をしていたと思う。病院を出てからの俺といえばパーラメントに夢中で、亜紀の顔を見てはいなかった。

「タバコは嫌だって言ったよね?この際だから言うけど、私たちいつも家にいるか、バーにいるかじゃん。デートとか本当は私も行きたいんだけど。どうして連れて行ってくれないの?」
 亜紀が震えるような声でそう話す。そんなこと今聞かれても。とにかく俺は眠い、だから早く家に帰りたい。パーラメントを吸いながら、そんなことしか頭に浮かばなかった。
「もういいよ」
 亜紀はしびれを切らしたように一人で家に帰っていった。

 亜紀を怒らせてしまった。その事実から逃げたかったんだと思う。俺は悪くないと思いたかった。眠くて早く家に帰りたかったはずなのに、病院から帰るその足で、いつもの古臭いバーに向かっていた。
 バーには楠、そして亜紀とはずいぶんかけ離れたような派手な女がいた。寂しさを紛らわせるように、いつものようにカウンターに座る。何杯かグラスを空にすると、派手な女が声をかけてきた。
"ねえ、お兄さん。この後もう一軒行かない?"
 今日は全て酒のせいにしたい。今日だけは。何もなかったことに、させてくれ。全部夢だったということにしてくれないか。

 亜紀とはかけ離れた派手な女。亜紀とはかけ離れた声、腕、瞳。この女には悪いが亜紀には全然適わない。先ほどあったばかりの派手な女を抱いて、うとうとしながらそんなことを考えていた。

 明け方、家に帰るとそこには泣きはらしたように目を真っ赤にした亜紀がいた。食卓には、昨日病院から帰った後に作ったと思われる食事が、手を付けられていない状態で並んでいる。
「どこ行ってたの、こんな時間まで」
 亜紀の声で、一気に現実に引き戻される。二人の間に、しばらくの沈黙が流れた。
「亜紀、ごめん。俺―――」
「全部知ってる」
 眩暈と動悸がした。バーに行ったことはきっと楠から聞いているんだろう。でも、派手な女のことまでは知られたくない。知られたらきっと―――
「拓海君のこと、愛してた。今までありがとう」
 何も言わずに亜紀が出ていく。追いかけることは、しなかった。いや、出来なかった。追いかけたとしても、きっと亜紀の手を掴むことは出来ないだろう。俺はただ、その場でうずくまり、泣いた。柄にもなく声を上げて、子どものように。

 この街にある古臭いバー。馴染みの店主。いつもと何も変わらない風景。ただ、少し違うのはもう、あの笑顔には会えないということだけだ。
 あれから何年経ったんだろう。亜紀が結婚したということは、楠から聞かされた。亜紀、相手は良い奴か?俺みたいな奴じゃないといいな。幸せになれよ。

 グラスを傾け、氷の音だけがバーに響いている。パーラメントの山が、他のものを一切寄せ付けようとしない。

 冷たい冬の風が、決して俺の身体を暖めようとはしなかった。そんな冬。


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