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何度も何度も、お前を。#1

 紅葉も散り、まだ冷たい風が吹きつける冬。

 この季節が嫌いだ。出て来て欲しくないお前が、何度も何度も俺の記憶に蘇ってくる。お前がいなくなってから、何度目の冬になったのか。

 この街に昔からある古臭いバー。馴染みの店主。所々シミになっていて、もう取れやしないであろう古臭いカウンターチェアに、ゆっくりと腰掛ける。
 店主が持ってきたグラスを傾けると、氷が揺れる音だけがバーの中に鳴り響く。溜まっていくパーラメントの山に、もう他のものが入り込む隙なんてありやしない。
 今日だって俺は、あの日と同じ。何も変わっていない俺の涙だけが、古びたカウンターを濡らしていた。





 「拓海くん!もう、また酔っ払って!すみません、ちゃんと連れて帰りますから」
「亜紀ちゃんは本当に良い子だね、拓海、ちゃんと大事にしなよ」

 酔っ払っている俺の横で、この古臭いバーの店主である楠と、俺の彼女である亜紀が話している。連れて帰るって、俺は子どもか。別に自分で歩けるわ。そう思いながらも、たまに足がふらついていていて、その度に亜紀が ”もう!拓海君ちゃんと歩いてよー!”と困ったような声で笑う。
 そんなやり取りは、嫌いじゃない。むしろ、その困ったような顔が見たくて、もっと困らせてやりたくなった。すごく小さなことかもしれない。だが、そんなどこにでもあるような、誰にでも訪れるような、ささいな瞬間が俺の幸せだった。

 亜紀とは、この古臭いバーで出会った。楠と仲が良いという亜紀は、バーに一人で顔を出すような常連だった。俺より少し年下ぐらいの、艶のある黒い髪、何も塗らなくて良いほどの、透き通るような白い肌。実年齢より少し幼いと思われる顔が印象的で。まだ何にも染まっていないような、そんな笑顔が美しかった。

 亜紀と楠はいつも、どんな人が好きとか、何歳までに結婚するとか、子どもは何人欲しいとか、そんな話をしていたと思う。いつも横から話は聞こえてきたが全く興味なんて無い。”どうせ俺には関係無いことだ”と、ヤケになって酒を飲む。そんな日常。

「俺、今日はもう帰るわ」 
 そう言って、店を出た。”結婚”のワードを隣で何度も聞いて、うんざりしていたということもある。ただ、これ以上あの店にいると隣にいるあの笑顔を、どうにかしてやりたくなる。俺になんか不釣り合いの、あの笑顔を。こんな酒飲みの俺が。



「ちょっとまって!」
 路上で突然腕を引っ張られる。目の前で、車の走り抜ける音がした。
”無事で良かった”と話す、俺の手を引っ張った犯人は、あの笑顔だった。膝をすりむいていて、息が乱れている。彼女は、こんな俺のために走ってここまで来てくれたんだろうか。その事実が、俺の”どうにかしたい”という欲求を、さらに高まらせてくる。



 いつもは散らかっているが、昨日母親が掃除したばかりの俺の部屋。もちろん、膝を手当するだけだ。他には何もしない。彼女が帰れば、俺の日常はまたやってくる。あとはタクシー代を渡して――――――

「拓海君、だよね。私亜紀。拓海くん、いつも一人で飲んでるよね。私、一人じゃ飲めないから拓海君のことかっこいいなって思っちゃった!だから、今日話せてすっごく嬉しいの!」
”あなたもそうでしょ?”と言わんばかりの目でこちらを見つめてくる。
「帰らなくていいの?」
亜紀の話を聞かなかったフリして、ぶっきらぼうに、そう質問した。

”え?”と幼い顔をして、おどけてくる亜紀が可愛くて、愛おしくて。今すぐどうにかしてやりたい。気付けば、亜紀に荒っぽくキスをしていた。

 時折俺のことを”拓海君”と呼ぶその声が、俺を抱きしめるその腕が、俺を見つめるその瞳が、本当に美しくて。亜紀の全部が欲しい。その時強くそう感じた。

 その日以来、亜紀は俺の部屋にたまに来ては料理や掃除、洗濯をてきぱきとこなしてくれた。”本当に拓海君、世話が焼けるんだから!”とか言いながら。
 亜紀と居る時は不思議と、酒もたばこもそんなに必要じゃなかった。ただ、たまに二人であの古臭いバーに行くぐらいで。亜紀が”たばこは嫌”とふてくされるから、少し減らそうなんて考えるようにもなって。

 亜紀と居る時間はとにかく幸せで。心から亜紀を愛してる。そう思わせてくれた女は、過去にも先にも亜紀だけだった。



続く


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