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【短編小説】埋没家

 しばらくの間、私たちは隣のRの家で生活をすることになった。理由は私たちの家が地中に埋まってしまい、掘り出すのに時間がかかるためだった。
「いや、災難だったね。君たちに怪我がなくてよかった」Rは突然押しかけた私たちを快く受け入れた。
「いやはや、本当にすみません。業者に聞いてみたところ、二、三日で掘り出せるとのことだったので、それまでは是非とも……」
「いやいや構いませんよ。こういう時は持ちつ持たれつ。家も人間関係も支え合っていかなければなりません」Rは私たちに手料理を振舞った。私たちは最初、遠慮がちに彼が作ったナポリタンをツルツルと一本ずつ食べていたが、その美味しさのあまり、次第に貪るようにしてフォークを動かしていた。
「嬉しいねえ。いつもは一人で食べているから、こうして誰かに料理を食べてもらえるんなら、ずっとこの家にいてくれてもいいくらいだよ」
「いいんですか!」私たちのうちの一人が言った。Rはキョトンとしてから、「ああ、是非ともお願いしたいねえ」とまた笑顔になって言った。私たちは互いに目を見合わせた。
 その日の夜中、私たちは業者が日中進めた家の発掘作業を遅延させる行為に尽力した。掘った土を元の場所に戻し、見えかかっていた屋根を土で隠した。重機のねじを少しずつ緩め、燃料を半分ほど抜き取り草花にまいた。数本あったスコップの一部を川に捨てに向かい、残りは土に埋めておいた。見つからないといけないから、少しだけ取っ手を地面から出しておいた。泥だらけになった私たちはRの家に戻り、音をなるべくたてないように風呂に入った。シャンプーとボディーソープは一センチほど減った。湯船につかり、歌いだす者がいると、全員が口を塞ぎに手を伸ばした。他人の家の布団で、私たちはぐっすりと眠った。
 次の日、Rは仕事のため早朝から家を出た。「家は好きに使ってください。夕方には戻ります」
 私たちはRを満面の笑みでおくった。いってらっしゃいと全員で言うと、Rは気恥ずかしそうに、行ってきますと言った。Rが角を曲がるまで、私たちは同じ顔を保った。
 それから私たちは朝食を済ませた。近所で購入したパンと冷蔵庫に入っていた牛乳をゆっくりと口に運んだ。トイレは混んだ。トイレットペーパーは一ロール無くなった。
 業者がやって来ると、彼らははじめに私たちに挨拶をした。私たちは出来る限りの悲しみと不安を彼らに再度伝えた。あなたたちだけが頼りなのですと、声を震わせて言った。彼らは胸を張り、自分たちの仕事の誇りを確認する素振りを見せた。私たちは彼らにとって、救わなければならない対象だった。
私たちはRの家の二階から彼らの様子を眺めた。業者は敷地を見て、一瞬眉をひそめた。控え目に首を傾げた。若い作業員がスコップを探しはじめた。しばらくして、スコップの取っ手が地面から生えているのを見つけた。私たちは少し嬉しくなった。前日に仕込んでいたものに対して人間が思うように行動してくれるというのは気持ちのいいものだった。若い男がせっせとスコップを掘り返している姿に愛らしささえ感じた。
 作業をはじめる前に彼らはミーティングを行った。今日の進行内容をリーダーらしき人物がハツラツとした声で唱えていた。私たちもそれを聴いた。ふむふむとメモをとる者もいて、私たちはそいつを茶化した。
 重機が動きだすと、私たちは今か今かとその様子を見守った。数分後、重機からギギギと鈍い音が鳴った。カクカクとアームが揺れ、操縦士がボタンやレバーをいじくっていたが、どうすることも出来ていなかった。リーダーらしき人物を中心に数人で話し合いが行われた。私たちの一人が家から出ていって、「私たちの家は大丈夫でしょうか?」と両手を合わせ、身体を縮こまらせながら話しかけた。二階から見ていた私たちは笑いをこらえるのに必死だった。
「ええ、大丈夫ですよ。私たちはプロですから」
「先ほどこちらの機械から変な音がしたものですから……心配になってしまって」
「いえいえ、問題ありませんよ。少し機械が不調気味でして、いま点検をしているところなのです。ご心配おかけして大変申し訳ございません」
 二階に帰ってきた彼女を囲んで、私たちは大いに盛り上がった。かしこまった言葉遣いを大袈裟に真似て見せる彼女は英雄だった。
 そうこうしているうちに昼食の時間になった。私たちは慌てておにぎりを作り、彼らに与えに行った。すると、彼らは嬉しそうにそれを食べた。一つ残らずおにぎりは無くなった。家に戻り、私たちも同じものを昼食として食べた。彼らに与えたのは塩むすびだったが、私たちは昆布とおかかを混ぜて食べた。
 午後になると、私たちは買い物に出かけ、帰ってくる頃には彼らの作業は終わっていた。結局、あの重機は最後まで上手く動くことはなかったようだ。彼らは数少ないスコップで一日中土を掘っていたのだ。リーダーらしき人物が、Rの家のチャイムを鳴らし、掘り出し作業が少しばかり遅れる旨を、申し訳なさそうに述べた。私たちは目一杯の優しさを彼らに表明し、感謝の言葉を述べ、これを受け入れた。
 Rが帰宅すると、私たちは彼を柔らかな雰囲気と共に出迎えた。購入しておいた酒を彼に注いだ。炊事・洗濯は私たちに任せてくれないか、と彼に頼み込んだ。私たちがここにいるためにはそれくらいのことをしなければ気が済まないのだと説明した。顔を赤らめたRは、そこまですることはない、とその純粋な優しさを言葉にした。しかしながら、私たちの主張は、その優しさこそが私たちを苦しめるのだと、彼をねぎらいながらも行われたため、私たちの思うように事は運ばれた。
 酔いが回った彼を寝室に送り、私たちは昨夜と同様のことを行った。出来る限り服が汚れないように、堀った穴の深さの基準を無くすように、ほんの少しの抵抗を心がけた。スコップはその日以降減らすようなことはしなかった。
 その後も、業者は真摯に仕事に打ち込んだ。順調ではないが、少しずつ仕事が進んでいることが重要だった。進んでは少し戻り、進んでは少し戻りを繰り返した。大きな石が現れるたびに、作業はそちらに集中せざるを得なかった。必要な書類や図面は一枚ずつ無くなった。彼らの身内に不幸があれば、人手は必然的に足りなくなった。自然災害に対して、人間はなすすべがなかった。
 いついかなる時も私たちは救うべき不運な人間だった。私たちはそれを自覚していた。だからこそ、彼らの需要と、私たちの供給はバランスを保っていた。
「君たちは何も悪くないのだから、安心して暮らしていけばいい。不運というのは誰しも一度は経験する。そのタイミングは人それぞれだが、大事なことは、そのとききちんと周りに頼ることなんだ。自分以外の誰かに寄りかかる方法を学ぶことが、不運への最善の向き合い方なんだよ」
 Rはいつも笑顔だった。業者の額から流れる汗は太陽光によって輝いていた。私たちはその中を生きていた。地面から徐々に姿を見せる我が家は、彼らの手によって掘り返され、そこにあることの意味を持ち続けた。
 長い時間をかけて、私たちの家は元の状態に戻っていった。彼らは私たちを祝福した。私たちも喜びと感謝を表した。業者にお礼を言うと、彼らは疲れ切った顔で作業の遅延を謝罪した。彼らは最後の菓子折りを受け取らなかった。彼らの車が見えなくなると、私たちで均等にお菓子を分けた。
 掘り返された家に入っていくと、湿気が部屋中の空気を重たくしていた。しばらく見ていなかった私たちの所有物が腐り果てていた。使い物にならなくなった物は一つ残らず処分した。すると、家の中にはほとんど物が残らなかった。
 がらんどうの家の窓から外を覗くと、Rの家が綺麗な状態で立っていた。私たちはRの家から自分たちの荷物を取りに戻ることにした。
 家の中に入るとRがテレビをぼうっと眺めていた。画面に映るコメディアンについて私たちは少し話をした。荷物を一個ずつ家に運ぶ度に、Rの様子を伺った。
 大粒の雨が降り始めた。私たちは慌てて荷物を持って、外に飛び出した。Rは私たちの様子を見て、少し休憩したらどうだと提案した。私たちはそれに従いRの家に駆け込み、濡れて重くなった洋服を彼の指示のもと、洗濯機に放り投げた。

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