日記と短歌 6/4
うちにテレビがやってきた。
親が内見のときぶりに新居にやってきて、物資供給・偵察がてら祖父母の家で使わなくなったテレビを投下していったのだ。
お昼ご飯食わせてもらった。ありがたや。ふざけてる場合じゃない。
テレビ、今のところはお笑いの賞レースと相撲を観るのが楽しみ!
家族帰ってからつけたら、陸上のなんかの選手権?がやってて、自分が全く興味ない実況が淡々とながれてるのがなんか良かった。“おすすめ”じゃない世界の存在を確かめた。
あと走り高跳びの実況で「おしりが当たってしまいましたねー」って言ってて、
実況、「おしり」って言うんだ。
って思って嬉しかった。
ねむい。
先輩の家でちらっと読んだ福田若之の句集『自生地』がかなり良かったので近いうちに買いたい。
すごい句がいっぱいあったのにぜんぶ忘れちゃった。忘れる前にキーワードだけ書いとけって友達に言われたから書くと、シーラカンスの句と、消しゴムの句、あとやどかり?の句、凄かった気がする。
うん、0よりマシだ。成長してる。
ゴールデンタイムの番組、面白くなさすぎて絶望。
まだましって理由でEテレの美術の番組つけてたらこんな屏風絵が出てきて、
「でかくてつまらん黒い牛」と「ちっさくて変な白い犬」、〈テレビ〉と〈インターネット〉だなあー ってすっと思った。
ーーー
前半とは関係はないけどこの歌の話をしたい。
日々のクオリアで見つけた歌。この人の歌好きだった。
ちょっと恣意的な読みになると思うけど評っぽいことを書いてみる。
この歌、「手品師」が「花」を媒介に「庭」と繋がることで、僕には「手品のテーブル」が見えてくる。領域展開みたいな感じで手品フィールドが展開されて、その領域内でパッと花が出てきたりする。
「庭」によってその〈平面〉が強調された後で「長雨」の〈縦線〉(少し斜め?)がバッと現れる。そしてもちろん「花」もその〈縦線〉の役割を果たす。
こんなような、〈平面〉と(そこから生えたり、そこへ突き刺さったりする無数の)〈縦線〉という抽象された幾何学的なイメージが残る歌だと思った。
主体はその景色に対して〈手品の観客〉かつ〈部屋の中から庭を眺める人〉として同時に客観的に存在できる。
かなり景を抽象化したし、「手品師」の方に寄りすぎな読みの気もするけど、まあいいでしょう。
こうやって、歌の中でどうモノが動いてるかとか、どう関係しあってるか見たいな幾何とかベクトルっぽいカタめの思考回路を持ち込むと面白かったりするなーと思っている。し、そういう目で普段の景色を見て捉え直して歌ができるみたいなこともある。
これはものすごく個人的な感覚だけど、絵を描きたいときは景色を「体積」で捉えて、短歌を作るときは「線」で捉える、みたいな頭の使い方を方法の一つとして持っていて、たまに試す。上手くいかないことも多いけど。
あと最後に変なこと言っとくと、「線」で見てるとだんだん“透視”とかもできるようになってく気がしてる。透視の話はまたいつか。
👀
あまり人に教えてなかったインスタを載せときます。よかったら。こんな1300字の日記読んじゃうくらいには僕に興味あるというあなたにおすすめです。
https://instagram.com/koryo1204?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==
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