私の中の「メイク」の概念が変わってきている件
新型コロナウイルスで自粛生活が続いております。
私の会社も自宅待機命令が出たりしまして、出勤もせず、家にいる機会が増えました。オンライン飲み会やオンライン合コンなるものも登場しているのだとか。そんな中、私の中で「メイク」の位置付けが変わってきているなと思い、筆をとりました。
メイクが日常になった学生時代
私がメイクをし出したのは、大学に入ってからだった。それまでは習い事のダンスの舞台でメイクをするくらいで、あとは日焼け止めを塗っていた。早い人では高校生でメイクをする人もいますが、うちの家では許されなかった。(浪人時代も然り)
大学が決まって、引っ越しするまでの間に、叔母に美容部員さんのいるところに連れて行ってもらい、ファンデーションからアイブロウの道具まで全て買い揃え、化粧の仕方も教えてもらった。なぜ叔母なのかというと、うちの母は化粧といえばファンデーションと口紅しかしない人でしたので、全く頼りにならなかったからである。そしてそんな母のようにだけは絶対なりたくないと思っていた。
当時は濃いチークが流行っていて、チークを入れられることがすごく嬉しかったのを覚えている。
メイクは礼儀
入学してからは毎日メイクをして学校に行った。すっぴんで学校に行くなんてありえなかったし、そんなことは絶対にしなかった。人と会うのならば服を着るのと同じようにメイクをした。
だいたい30分くらいかけてメイクをするのだが、実家に帰ると両親から「特殊メイクに時間かかってますなあ」と嫌味を言われながらも家を出る時は必ずメイクをした。
下地を塗ったらファンデーション、チーク、アイメイク、アイブロウ等全てやらなければ気が済まなかった。ファンデーションだけ、チークだけというのはありえなかった。
デパートメイクに手を出す
大学、大学院時代はマキアージュやコフレドールなどのドラッグストアでも買えるラインを使っていた。
しかし働き出すようになって、「自分稼いだお金なのだし、きちんと選んでみよう」と思い、デパートで化粧品を買うようになった。
いろんなブランドを試し、自分のなりたい顔に近づけるようなメイクができる品を揃えるようになった。
デパートのメイクは仕上がりが全然違ったように思う。
学生時代よりも化粧の過程が楽しくなっていた。
すっぴんに対して抵抗がなくなる
コロナウイルスの影響で、オンラインのスナックなどに参加することがあったが、すっぴんで参加することに躊躇があった。SNSでシェアする際も顔を隠すようにお願いしていた。
そんな中、新型コロナウイルスの影響で4月から勤務先から自宅待機を命じられた。特に外出をしない際は化粧をしないタイプなので、すっぴんで過ごしていた。そんな折、大学時代の仲間でオンライン同窓会をするということで、参加した。
夜だし、わざわざ化粧するのもめんどくさいという思いがあり、すっぴんで参加した。眠くなったらそのまま寝れるというのはありがたく、非常に楽だったので、すっぴんで参加するようになっていった。
初対面の人もいる別のオンラインの会があったが、すっぴんで参加しているし、すっぴんで参加することに抵抗がなくなった。
オンラインではカメラオフという素晴らしい機能があるが、大抵カメラオンで参加している。
メイクってどうやってするんやっけ
じゃあいつメイクするの?っていう話になる。
外出自粛なので、外に出るのも近所のスーパーだ。今住んでいるのは地元ではなく、働きだしてから住んでいる土地で、知り合いもいないので、誰かに会って恥ずかしいということもない。なんだかメイクもめんどくさくなってファンデーションだけや、日焼け止めだけを塗り、マスクをして外に出る。だが、メイクをしなければ仕方を忘れそうな気がして、意図的に10日に1回はメイクするようにしている。
メイクってなんのためにするものなのか
そんな生活も2ヶ月目に突入した。
なんのために毎日メイクをしていたのだろうか・・・。使う頻度が明らかに減ったメイク用品を見てそんなことを思う。
他人への礼儀だと思っていたが、自分がすっぴんでオンライン飲み会に参加していることを鑑みるとどうもそうでもないらしい。あれだけなりたくないと思っていた母のようなメイクになりつつある。
もし、出勤する生活が戻ってきたらメイクするようになるのだろうが、なんだか感覚が変わりそうな気がする。
また、別の視点にはなるが、オンラインの空間はプライベートとの隔たりが低くなっているように思う。どこまでのパブリック性を持っているのかは人によって分かれるところであろう。