Ambitionって、何?
きょうは、後期に向けたキックオフ・パーティを同僚としました。すごくいい仲間です。そんな中、一人の先輩が一人の若手に「あなたなんかは、ambitionがあるでしょう。ambitionをもたなきゃ!」と言いました。ぼく自身も、若い人にはしばしば「ambitionをもたなきゃ!」と言っています。その先輩のambitionの意味はやファジーでした。それで改めてambitionについて考えました。
ぼくの言うambitionは「野心」ではありません。もっと、下世話に言うと、この「野心」は「出世欲」です。Ambitionは、本来的にはそんな「欲」ではないと思います。
Ambitionというのは、「こんな仕事をしたい」、「こんなことを実現したい」という強い気持ちでだと思う。そんな強い気持ちをもつと、すごくモチベーションがあがるし、それが一歩ずつ達成されていくときはすごく達成感がある。さっきシャワーをしていて思ったけど、それはprofessionalな仕事をしている人の特権なのかなあとも思う。(会社員という「宮仕え」の人も、プロジェクト毎にはそういう気持ちがもてるけど、自身の一生というスパンでそんな気持ちを持つことはできないように思う。)
「志を立てる」というのは、本来そんなambitionを立てることを言うのだと思う。先に「professionalな仕事をしている人の特権」って言ったけど、別の観点から言うと、ambitionをもつことはprofessionalな仕事をしている人の「義務」なのではないか。あるいは、もう少し限定的に言うと、社会的な実践に関わる大学の先生という人の義務なのではないかと思う。
大学の先生は、自由に研究する時間と環境を与えられています。そんな大学の先生が、特に社会的な実践に関わる研究をしている大学の先生が、研究のためだけの研究をしているというのは、どうも違うのではないかと思う。一方で、研究のための研究も重要だとも思いつつ。
ぼく自身は、ambitionを持ち続けたいし、日本語教育(学)の研究者はどの分野が専門であれ、もっと多くの人がambitionをもつべきだと思う。やはり、一方で、研究のための研究も重要だとも思いつつ。Ambivalentですね。