日本語の習得と習得支援について丁寧に議論する② ─ シャドーイングのキモは疑似的な当事者経験
「丁寧に議論する①」で、「学生たちは言語知識を身につけているが運用能力に結びついていない」ということについて、丁寧に議論しました。そして、最後の部分でシャドーイングの有効性を指摘しました。今回は、シャドーイングの有効性について議論します。
1.演劇的指導となぞり語り
言語教育ではしばしば演劇的手法の有効性がしばしば論じられます。セリフをしっかり「身につけて」実際に演じるという方法は有効でしょうし、実際に体を動かして演じなくても台本のセリフをその人物になりきって「演じる」だけでも大いに効果があると予想されます。それはなぜでしょう。
1-1 セリフとことばづかい
演劇の台本の中のセリフというのは、仮想現実である作品に登場する人物たちがその仮想現実の中で生きて、他者と関わって、他者たちとともに(仮想)現実を構築していく仮想発話です。
そうしたセリフを演出家(教室では教師)の指導の下にその人物になりきって言えるようになること、そしてそのようなセリフのやり取りが仮想現実的にできるようになることは、さまざまなことばづかい(2-1で論じる)の習得を促進することができると予想されます。それは、以下のような事情です。
1-2 なぞり語り
演劇の特定の場面では特定の言語活動が登場人物たちによって営まれます。そして、登場人物たちのその場面の諸シーンでの行為の中枢的部分がセリフとなります。セリフは、他者と関わって生きている登場人物の生きることの発露です。そして、セリフには生きることの息吹が吹き込まれています。
セリフを登場人物になりきって「演じる」ことは、その場面に立ってそのシーンにふさわしい発話をすることを再現することです。そうした「発話することを再現すること」は、それに伴う心内的な過程も合わせて言うと、当該の種類の言語活動の当該の契機でふさわしいことばづかいを参照して発話することを「身体的にまねる」ということになります。ここでは、それをなぞり語りと呼びます。
なぞり語りというのは、言うまでもなく、セリフをただ言う、つまり棒読みすることではありません。その場面、そのシーンで生きて他者に向けて話している登場人物になりきって語らなければなりません。生きることの息吹を吹き込んで語ってこそ、なぞり語りとなります。
1-3 なぞり語り指導
演者の指導をするのは演出家です。そして、言語教育での演劇的手法で学習者のなぞり語りを指導をするのは教師です。
演者を指導する演出家と同じく、演劇的手法の教師は、学習者がセリフを当該場面の当該シーンで生きている登場人物になりきって言えるように指導します。それには、個々の語を正しく発音することだけでなく、ふさわしい話しぶりでそのセリフを言うことも含まれます。教師は、生きることの息吹を吹き込んでセリフが言えるようになぞり語りの指導します。
また、個々のセリフには、実際には、当該場面や当該シーンという要因も内包されていますし、登場人物の社会的立場や境遇や未来や性格やそのときの気分なども内包されています。教師は、場合によっては、そうした要因や側面にも加味してなぞり語りの指導をしなければなりません。
なぞり語りの指導は、あたかも実際の生きた発話を再現することの指導のようになります。
1-4 ことばづかいとなぞり語り
ことばづかいとは、特定の言語活動の中の特定の発話の構成に奉仕する言い回しの心内沈殿です。「沈殿」というのは、当事者として実際に言語活動に従事しそれを重ねる中で、その経験が言い回しという形で記憶に残留したものです。さまざまな言語活動に自在に従事できる母語話者が有している隠在的な言語知識とはそうした沈殿の総体です。そうしたことばづかいの沈殿があらかじめあるからこそ、また、言語活動に関連したさまざまなことばづかいの蓄積があるからこそ、言語ユーザーは言語活動に従事することができるのです。
なぞり語りの指導と活動を通して、学習者において当事者として実際に言語活動に従事しその経験を言い回しという形で記憶すること、つまりことばづかいという沈殿を形成することを疑似的に可能にしてくれると見ることができます。なぞり語りの指導と活動は、習得した言語知識に依拠しつつことばづかいという隠在的知識の形成を促進する絶妙な教授方略です。
そして、教材の中の言語の事例、端的に言うと本文が、十分にディスコースとしての真正性(authenticity)を保持している場合は、本文であっても演劇の台本のセリフと同様に扱って、なぞり語りの対象にすることができます。
2.シャドーイングの有効性
2- 1 イントネーション
現実の発話はその発話の契機における独自のイントネーションに載せて送られます。イントネーションとは、1-3で言った話しぶりです。イントネーションは、発話の契機にある当事者の生きることの息吹をことばづかいに吹き込んで、発話の一回性を保障するものです。イントネーションをめぐってバフチンは以下のように言っています。
2-2 文芸作品と優れた朗読者
そして、文芸作品(literature)の言葉あるいはテクストを「出来事の『シナリオ』のようなものだと言って、以下のように論じています。
引用にあるように、通の受容者は文芸作品のテクストを演じることができます。つまり、言葉やその結合形式であるテクストに作者と作者が表象している世界との生きた独特の相互関係を鋭敏に見抜いて、第三の参加者(「聞き手」とあるが、実際には読み手)としてこの相互作用の中に入ることができるのです。
優れた朗読者は、通の受容者のようにテクストを演じることができます。そして、優れた朗読者の場合は、作者がテクストに込めているイントネーション(この場合は語り口)をも含めて、テクストを音声的に再現できるのです。それは、言ってみれば、作者の声(voice)の再現です。
2-3 シャドーイング
シャドーイングとは、優れた朗読者による作者の声の再現のなぞり語りです。それゆえに学習者は、シャドーイングに従事して、作者の声の再現を追体験して追従的にできるだけそのまま模倣することによって、作者の声(の再現)を追生成することができます。それは、作者という一人の当事者経験を疑似的にその当事者となって行う、疑似的な当事者経験です。そして、そうした疑似的な当事者経験の結果として作者の声に宿っているさまざまなことばづかいの沈殿を自身に形成することができます。
それは、状況的学習論で言われる領有(appropriation)の過程だと言うことができます。
3.むすび
シャドーイングでの学びは、状況的学習論で言うところの領有(appropriation)だと言うことができるでしょう。
本記事では、「学生たちは言語知識を身につけているが運用能力に結びついていない」という問題意識の丁寧な解明(「丁寧に議論する①」)を承けて、シャドーイングの有効性をめぐって丁寧に議論しました。
門田( )は、シャドーイングの対象とするテクストは「i−1」あるいは「i−2」水準のものが適当だと論じています。それは、上の「学生たちは言語知識は身につけているが」に当たります。
そして、シャドーイングによって得られる成果は、明示的な言語知識の組み合わせ技能(「丁寧に議論する①」ではそれを「小銭」組合せ技能と呼んだ)の向上ではなく、言語活動従事を直截に支えることばづかいという隠在的知識の拡充と、言語活動に従事する総体としての能力という意味での言語技量の向上となります。
主な参考文献
バフチン、M.(2002)「生活のなかの言葉と詩のなかの言葉 ─ 社会学的詩学の問題によせて」『バフチン言語論入門』バフチン、M.著、桑野隆・小林潔編訳 せりか書房 ※原著出版は、1926年。
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