見出し画像

山の唐辛子 [ショートショート]

休日の昼下がり、私は駅前の商店街を歩いていた。アーケードの中に入ると、どこからか唐辛子の匂いが漂ってきた。鼻を刺すその刺激に、自然と足が匂いの元を探し始める。

角を曲がると、見慣れない屋台があった。小柄な初老の男性が、真っ赤な唐辛子を乾燥させた束を吊り下げ、手際よくスパイスを売っている。彼の背後には、やや年季の入った看板が揺れていた。

「珍しい匂いですね」と声をかけると、彼は笑顔で振り向いた。「これかい? 地元の山で採れたものさ。香りが強いだろう?」そう言って、小さな紙袋を差し出した。袋を開けると、唐辛子の粉が鮮やかな赤い渦を描いていた。

「この唐辛子を使うと、空気まで変わるんだ」と、彼は自信たっぷりに語る。「一振りで部屋が暖かくなるし、何なら風も動く気がするって評判なんだよ。」冗談か本気かわからないが、その言葉に妙な説得力があった。

私はひと袋買って帰ることにした。部屋に戻り、早速唐辛子をスープに入れてみる。鍋に粉を少量振り入れると、唐辛子の鮮烈な赤がスープ全体に広がり、湯気が立ち上る。

その瞬間、窓の外で大きな音がした。風が急に吹き上げ、薄暗い空に一筋の雲が巻き上がっていくのが見えた。目を凝らすと、確かにその雲は唐辛子の粉と同じような赤い色を帯びていた。

思わず鍋の中を見つめる。熱気がぐつぐつと湧き上がり、まるで鍋が自ら呼吸をしているようだった。その湯気が部屋中を満たし、外の風と繋がるように窓枠を震わせる。

「もしかして、本当に空気を変えられるのかもしれない。」唐辛子の持つ力に思いを巡らせながら、私はそっとスープを一口飲んだ。

味は辛く、しかし不思議と体が軽くなるようだった。部屋の中の熱気が私を包み、まるで上昇気流に乗っているかのように心地よい感覚が広がった。そのまま窓を開け放つと、赤い雲は遠くへ流れていくのが見えた。

翌日、商店街に行ったが、あの屋台は跡形もなく消えていた。ただ、空を見上げると、また少し赤い雲が漂っているのが見えた。

それが風のせいなのか、唐辛子のせいなのか、私にはわからなかった。

いいなと思ったら応援しよう!