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才能って [ショートショート]
私は「才能」という言葉が好きではなかった。特別な何かを持っているかのような響きが、どこか他人事のように感じられるからだ。
会社の帰り道、商店街の寿司屋に立ち寄る。カウンターの端の席に座り、板前が手際よく握る寿司を眺めながら、ぼんやりと考えていた。
「おまかせで」
そう告げると、最初に小ぶりのヒラメが出てきた。淡白な白身に、少しだけ塩が振られている。口に運ぶと、舌の上でふわりとほどけた。
「今日は早いんですね」
板前の中年男性が、手を止めずに話しかけてきた。私はうなずく。
「仕事が一区切りついたので」
「お疲れさまです」
会社では、今のプロジェクトがちょうど終わったところだった。長かった仕事のピリオド。
その後に来るものを考えると、少しだけ憂鬱になる。
次に求められるのは、新しい何かを生み出す才能。
私はそれを持ち合わせているのか、いつも自信がなかった。
次に出てきたのはマグロの赤身だった。醤油を少しつけて口に入れる。しっとりとした食感と、じんわり広がる旨味。
「才能って、結局なんなんでしょうね」
思わずそんな言葉が口をついた。板前は驚いたように目を細め、少し考えるそぶりを見せた。
「そうですねぇ……。寿司を握るのも、最初は下手でしたよ。でも、続けていれば、いつの間にかお客さんに喜んでもらえるようになった」
「じゃあ、努力すれば才能になる?」
「どうでしょうね。努力というより、続けることかもしれません」
私はその言葉を噛み締める。確かに彼の動きには無駄がなく、洗練されている。それは特別な才能ではなく、続けた結果なのかもしれない。
次に出てきたのはアナゴだった。表面には軽く炙った焦げ目があり、甘いタレが絡んでいる。口に入れると、ほろりと崩れる。
「ピリオドを打った後も、文章は続くものですよ」
板前が、ふっと笑いながら言った。私は思わず顔を上げる。
「仕事の区切りがついたなら、また次が始まる。それが普通です」
私はゆっくりと頷いた。そうか、ピリオドは終わりではなく、ただの区切りに過ぎないのか。続けていれば、次の一文が自然と生まれる。
最後に出てきたのは玉子だった。ふんわりとした甘さが口の中に広がる。
私は軽く息をつき、「ごちそうさまでした」と告げる。
外に出ると、夜風が少しひんやりとして心地よかった。