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お礼状と鶏の煮込み [ショートショート]

台所から漂う鶏の煮込みの香りが、私の部屋まで届く。母が作る定番の肉じゃがの匂いだ。

パソコンの画面には、まだ未送信のメールが開かれたままになっている。文学賞への応募作品が選考から漏れた旨を伝える通知が、今朝届いていた。お礼の返信を書こうとして、もう二時間が経っている。

「夕ご飯ができたわよ」

母の声が階段を登ってくる。私は「はーい」と答える。メールの下書きには、たった一行「ご検討ありがとうございました。」としか書かれていない。

机の上には、三ヶ月かけて書き上げた原稿のプリントアウトが、来た時と同じようにクリップで留められている。赤のボールペンで、投稿時に付けた通し番号が、右上に小さく書かれている。

母の足音が近づいてくる。鶏の煮込みの香りが強くなる。

「鶏の煮込み、柔らかくできたわ」

ドアをノックする音がする。

「ありがとう、すぐ行くよ」

返事をしながら、私はメールの下書きに目を向けた。画面に映る「ご検討ありがとうございました。」という一文を見つめる。カーソルが点滅している。

階下からは、お椀を並べる音が聞こえてくる。台所では土鍋が湯気を立てているはずだ。

私はゆっくりとキーボードに手を伸ばし、未送信のメールを保存して閉じた。明日の朝、もう一度考えよう。

母の作った鶏の煮込みの匂いに誘われるままに、階下へと向った。

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