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kamukamu_note
ヨーグルトを混ぜる音 [ショートショート]
朝の台所は、いつも静かだ。私は冷蔵庫からヨーグルトのパックを取り出し、慎重に蓋を外した。冷気がわずかに手に触れる。銀色のスプーンを引き出しから取り、ヨーグルトの表面に突き立てた。
「おはようございます。」隣の部屋から母の声がした。
普段は互いに敬語で話すことはない。
どうしたんだろう。
振り返らず、ヨーグルトを静かに混ぜ続けた。白い液体の中でスプーンが滑る音が、小さく部屋に響く。
「朝食は、こちらに用意しております。」私は少し声を張って答えた。母が「そう」と短く返事をする気配が、廊下の向こうから伝わる。
砂糖を入れるかどうか、一瞬迷ったが、結局そのまま食べることにした。さっぱりとした酸味が喉を通る感覚は悪くない。窓の外を見れば、冬の曇天が広がっている。
「今日はお出かけになりますか。」私はカウンター越しに声を掛けた。足音が近づき、母が台所に入ってくる。「ええ、少し用事がありますので。」彼女は冷蔵庫から牛乳を取り出しながら答えた。
「何時頃お戻りになりますか。」私はもう一口、ヨーグルトをすくった。「三時頃かと思いますが。」母は短くそう答え、湯を沸かし始めた。その背中をぼんやりと見つめながら、私はヨーグルトを食べ終えた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。」最後にそう声を掛け、私は食器を片付け始めた。母は「あら、ありがとう」とだけ言い、足音とともに姿を消した。
ヨーグルトのパックはもうほとんど空になっている。スプーンで丁寧に最後の一口をすくい上げ、口に運んだ。その瞬間、台所の静けさが一段と深まったように思えた。