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第13回「クレイジー映画のミューズ(女神)はボンドガール」

全30作ある東宝クレイジー映画には、団令子さん、池内淳子さん、草笛光子さん、白川由美さん、淡路恵子さん、浅丘ルリ子さん、野川由美子さん、司葉子さん、内藤洋子さん、酒井和歌子さん、若大将のマドンナ星由里子さんなど多くの華やかな女優さんが出演しています。その中でも、植木等さんの相手役として最も出演作が多いのが浜美枝さんです。植木さんやハナ肇さんの紫綬褒章や映画賞受賞などのお祝いの会ではいつもお見かけし、並いるスターたちの中でも、輝きを放っておられました。
浜さんは、バスガイドを経験後、東宝に入社、1960年に映画デビュー。クレイジー映画には1963年「日本一の色男」で淡路恵子さんが経営するチャームスクールの生徒役で初出演しています。

その頃のクレイジーキャッツの印象を「ジ・オフィシャル クレージーキャッツ・グラフィティ」(TREVILLE)のインタビューで次のように語っています。
初めてクレージーの方たちとご一緒した時は、なんて華やかなんだろうって…私、意外に引っ込み思案などころがあるものですから、お付きの方たちと大勢でいらっしゃるの見て、わア、すごいな、とか思ってねえ。
音楽の世界の方たちの独特の雰囲気ってありますでしょ。映画人と何かどうもちがうナ、と思って、初めのうちはあまりお話しもできませんでしたね。クレージーの方たちが大勢でいらっしゃると、撮影所の空気が変わっちゃうんです。別の空気に包まれた集団がうわーっと動いてくっていうか…でもね、一人一人のメンバーの方は映画の役の印象とちがって皆さんわりに静かで、とてもいい方ばかりでしょ、3、4本めにはだんだんなじんでいましたけど…
浜さんは、すぐに植木さんの相手役として「クレージー作戦 くたばれ無責任」に出演、以後、日本一の男シリーズ、クレージー作戦シリーズ、クレージーの時代劇など次々と共演作が続きます。

規格外のスーパー人間を演じる植木さんの相手役は、普通の女優さんではなかなかピッタリ来ませんが、現代的な自立心を感じさせ、コケティッシュでちょっと日本人離れした魅力を持つ浜美枝さんは、まさにベストパートナーだったと思います。
日本を舞台にした「007は二度死ぬ」(1967年)のボンドガールに浜美枝さんが選ばれたのは、こうした浜さんの魅力を考えれば、まさに適役でした。

007映画の撮影を終えた後も、「クレージー黄金作戦」「クレージーの怪盗ジバコ」などで植木さんの相手役として浜さんが戻ってくれたのは、ファンとして非常に嬉しいことでした。

2007年4月10日付けの浜美枝ダイアリー「あなたに逢いたくて」で浜さんは、植木等さん追悼として、素顔の植木さんがよくわかる次のような文章をアップされています。

3月27日、植木等さんが亡くなられました。私は10代の終わりから20代の半ばにかけての7年間に、植木さんの14本の映画にご一緒させていただきました。植木さんの訃報を聞き、いろいろな思いが胸にこみ上げてきました。
植木さんと初めてご一緒させていただいたのは、東宝入社3年目、18歳のときのことでした。テレビの「シャボン玉ホリデー」で活躍され、「スーダラ節」が大ヒットし、映画「日本無責任時代」でスターとしての地位を確立した植木さん。
しかし、その素顔は違いました。私は仕事場での植木さんしか存じませんが、植木さんは他の俳優やスタッフとお酒や食事を共にすることもなく、撮影が終わった「じゃ、また明日」とさっと家路につく人でした。また撮影の合間には、撮影所のセットの片隅ですっと背筋を伸ばし、腕組みをしたまま、目を閉じて静かに佇んでいらっしゃいました。その姿を見て、ふと仏像に似ていると感じたこともありました。無責任男が「動」ならば、素の植木等は「静」だったのです。
ときどき、植木さんは目を開けて「浜ちゃん」と新人女優だった私に声をかけてくださいました。決して言葉数は多くはなかったのですが、そのひとことひとことに心にしみるような滋味がありました。私がいただいたギャラでお釈迦さまの生涯を辿るためにインドに旅した話をすると、植木さんは驚いたように目を開き、「お釈迦さまもそんな風に旅をして歩いたんだよね。仏教とは難解な思想じゃなく、とても人間的なものなんだよ」とうなずいてくださいました。そして仏教の教えや生命に対する考え方を、小さな声で、まるでひとり言葉をかみしめるように、語ってくださいました。
植木さんは三重県の浄土真宗のお寺の生まれで、お父様は平和や差別解消を説かれ、投獄されたこともあったほどの信念の人物だったということを後に知りました。植木さんが口癖のように私に何度もおっしゃったのが、まさにそのことでした。「浜ちゃん、人間はね、心が自由じゃなければいけないよ」今、この原稿を書きながら、あのときの植木さんの声が聞こえるような気がします。
そんな植木さんでしたが、監督の「よーい、スタート!」でカメラが回りはじめたとたん、軽妙なしぐさと高笑いで無責任男を演じられるのでした。その変わりようは天才的でした。当時の東宝では、黒澤明さんや成瀬巳喜男さんといった巨匠が活躍しておられ、大ヒットしていても娯楽作品は格下に見られるような傾向がありましたが、そのことについても植木さんは私に「やっていることはばかばかしくても、それで他人様が喜んでくれるなら、いいじゃないか」といって、私を励ましてくださいました。つたない演技ではありましたが、これらの映画に出演させていただいたことを今、私は心から誇りに思えるのは、植木さんのあの時の言葉もあってのことだと感じます。「多くの方に喜ばれ、大声で笑ってもらう。それもいいじゃないか」植木さんの言葉に、私はどれだけ勇気づけられたでしょう。
最後に植木さんにお会いしたのは数年前、私がパーソナリティをつとめるラジオにお招きしたときでした。「やぁ、浜ちゃん、元気?」とスタジオに入ってこられて、近況を穏やかな口調でお話しくださいました。素敵に年齢を重ねてこられた姿に胸が熱くなりました。そして収録が終わると「それじゃあ、またね」とおっしゃって、植木さんはすっとスタジオを出られました。かってとまったく変わりませんでした。
人は生まれ、いずれ去っていきます。これはどうしようもないこと。それでも寂しさを感じる気持ちは心の奥底から湧き上がってきます。
植木等さん、ありがとうございました。

浜さんは、現在、環境・農・食問題に関するライフコーディネーターとしてもご活躍、エッセイ集も多数出版されています。

十数年前に、高松で「四国の未来について意見交換する会」(IBM主催)が開催され、ゲストとして浜美枝さんが講演の講師で来られました。四国にとっても重要な課題である環境・農・食について、全国のいろいろな方との交流を踏まえた素晴らしい講演でした。会場でゆっくりお話しする時間がなかったので、終わった後、お礼を兼ね講演の感想をお手紙で届けたら、ご自宅の箱根から封書の返信をいただきました。一部、ご紹介します。
「問題山積の日本列島ですが、私は先日も申し上げましたが、故郷に誇りを持ち、幸せに暮らそうと努力をなさっておられる方々がいるかぎり、"過疎"と簡単にすませてはいけないと思っております。四国には"おもてなし"の精神が根づいております。どうぞ都会の方々に"おすそ分け"して差し上げてください。"都市と地方の交流"が今ほど求められている時代はないと思います。クレージーキャッツファンとのこと。私は幸せな時代を過ごせたと思います。いつか徳島でお会いできますように」

クレイジー映画、007映画という日本、世界のヒーロー映画のヒロインが、現在も、広い視野で、社会的活動を続けておられることは、ファンとしても嬉しい限りです。このお手紙は、私にとっても、大きな励ましとなっています。
#浜美枝 #クレイジーキャッツ#植木等#東宝#007映画#ボンドガール

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