DAOは陰キャな私の希望である。
こんにちは!
最近、私が所属している塩尻DAOのPR担当の方から、「毎月配信のニュースレターのweb3コラムを担当してみない?」と言われて、「やります!!」と意気込んだはいいものの、初回から勢い余って、指定の400字を大幅オーバーする2000字のコラムを書いてしまい、さすがにそのまま掲載とはいかないので、私のNoteでつらつらと書くこととなった。
↓長野県塩尻市の関係人口創出事業の一環である塩尻DAOの詳細はこちらのリンクから見れます!
私がDAOに希望を見出す理由。
「DAO(分散型自律組織)は、私のような陰キャにとって希望である」
この短いテーマにたどり着くまでの、長い道のりを説明しようと思う。
1980年にアメリカの2人の心理学者により発表された「自己決定理論」はご存知だろうか。モチベーションに関しての考察を記したこの論文は、他分野にも多大な影響を与えており、耳にしたことがある人もいるだろう。
この理論によると、人間の内在的動機、つまり処罰や締め切り、報酬などの外発的な動機ではなく、好奇心や興味、関心といった内から湧き出る動機は、「関係性」「自律性」「有能性」の3つによってもたらされるとされている。そして、内発的動機が芽生え、満たされたとき人々は精神的な幸福感を得られると言われている。そしてこの自己決定理論こそがDAOとは何か、私が所属している塩尻DAOとは何かを説明する重要なキーワードとなる。
ゲームとDAOの関係性
話はそれるが、私は、中学時代に1日8時間もゲームをしていたことがあるほどのゲームオタクだった。外にも出ず、ひとりでしょっちゅうゲームをするような子ども時代を過ごしていた。だがよくよく考えて見ると、ゲームは関係性、自律性、有能性を満たすものが多い。よって精神的な幸福感を得られやすい。(だから中毒者が多いのだが)
関係性については、友達とチャットや通話をしながらゲームをしたり、オンラインでプレイヤー同士がつながったりすることが挙げられる。良いプレイをすると褒められたり承認されたりする関係に居心地の良さを感じる人もいるだろう。
自律性については、そもそもゲームがプレイヤーの選択でストーリーが決まるものが多いため、自分のコントロールなしに成立しないので、自律性は言うまでもなく満たされる。
有能性については、ゲームは現実とは違い、何度でも失敗でき、挑戦を繰り返すことができる。そのプロセスを経て上達し、レベルやランクが上がるため達成感を感じられ、他人に褒められたら有能感にもつながる。
また、自己決定理論とは少々ずれるが、匿名性も重要であると考える。私は昔から人と関わるのが好きだが、対面でのコミュニケーションは超絶緊張するし、ハードルが高い。しかし、ゲームでは偽名やアバターを使うことができるため、精神的に楽に多くの人とつながることができる。対面で直接友達とあってゲームもできるため、コミュニケーションが得意な人も苦手な人も包摂される点はゲームの大きな魅力といえるだろう。
このゲーム的な観点から塩尻DAOを眺めてみた時、塩尻DAOは非常にゲーム的であると思った。まず、Discordによるオンラインコミュニティであるため、匿名性を維持しつつ、関係性を保てる。
次に、自律性だが、DAO自体が自立分散型組織であり、自律的な行動を促すシステムがNFTなどのトークンの技術により形成されている。そしてそれは塩尻の文化や風土である「挑戦を受け入れ、失敗に寛容であり、みんなで個人の挑戦をサポートする雰囲気」と相性がよい。誰もが自身をもって挑戦できる空気感は、自律性を促進する。アイデアを出すことが好きな私にとって、無責任にアイデアを出しても、それを受け入れてくれる環境があり、達成感を得ることもできる。実際、アイデアが通ったり、仲間に褒めてもらえたりすると、有能性にも繋がる。
そして、ゲームにはないもう一つの要素が、塩尻DAOにはある。
それは「社会性」だ。ゲームばかりしていると、さすがに自分は社会的に役に立たないと感じてしまうことがある。「好きなことは社会的に縛られずやればいいじゃん」というスタンスの私であるが、やはり自分のこととなると気にしてしまうものだ。だが、社会に出ようとすると対面コミュニケーションの大きな壁が立ちはだかっている。ゲームをしている人々の中には、対面でのコミュニケーションが苦手で、コネクションやコミュニケーション能力の重要性を訴える外部の暗黙の圧力に悩んでいる人が多い。しかし、そういった人々の中でもゲームで培った戦略設計、創造力、問題解決力など素晴らしい能力を持つ人を何度も目にしてきた。
DAOは、ゲーム性(匿名性、関係性、自律性、有能感)とゲームに足りなかった社会性を持ち合わせており、社会の固定観念に馴染めなかった人々が幸福感を持って活躍できる最適な環境だと思う。基本的には匿名が担保されたまま活動でき、対面で活動したいひとはそういう機会をDAOの中で設ければいい。対面と匿名のグラデーションをより広い範囲でカバーできるのがDAOという働き方の長所ともいえるだろう。
だから、私はDAOは陰キャにとっての希望であると思う。
コミュニケーション能力を努力して上げようとして、多くの人と意識的に関わるようにした今でもやっぱりちょっと辛い。でも、私と同じ悩みを抱えている人は少なくはないだろう。社会の無言の圧力や固定観念からあぶれた人をあぶれたままにせず、受け入れる多様な場所がDAOによって作られることを願っているし、私もDAOがそういう居場所になるよう啓発していこうと思う。
結びに、こんな私を受け入れてくれている塩尻DAOには心底感謝している。