【細胞談義046】抗うつ薬-なぜ効果が出るのに時間がかかるのか
こんにちは、ミネソタより、コーイチがお届けします。
以前ご紹介した抗うつ薬のSSRIは、脳内のセロトニン濃度を高めることで、神経伝達を改善し、治療効果を発揮するものとされてきました。しかし、なぜかその効果と作用には時間的なラグがあります。濃度を高めてくれるというメカニズムであれば、すぐに神経細胞に作用してもおかしくないですよね。しかしながら実際のうつ病の治療効果は2-6週間はかかるのです。そういうわけで、直接神経細胞に作用する以外にも、何かラグを発生させているメカニズムがあるはずだと考えられていました。そこでわかってきた研究結果と、比較的最近の日本のグループによる興味深い報告をご紹介します。
効果が現れるのに時間がかかる抗うつ薬
これまでお伝えしてきた通り、うつ病は遺伝的要因やストレスの要素など、さまざまな原因で起こり、その症状や程度は個人差が大きいものです。
とはいえ既存の薬はある程度の効果を発揮しています。その作用機序は、セロトニンやノルアドレナリンという神経伝達物質の欠乏を補うように働くことで抗うつ薬は効果を発揮します。うつ病のとき脳の中では神経伝達物質の量が減っており、それが神経回路の活動に異常を引き起こす原因ではないか、という仮説のもと成り立っている薬です。
しかし、抗うつ薬はその効果が出るのにとても時間がかかります。
頭痛薬や抗アレルギー薬は、かなり即効性が高いことは実感がある方も多いと思います。頭痛薬は30分もすれば効いてきますし、抗アレルギー薬は数分で効果が出ますね。僕自身もアレルギーで全身に蕁麻疹が出たとき、抗ヒスタミン薬を飲んでものの5分ほどでそれが引いていった経験があります。そうした実感があることで、薬とはすぐに効果が現れるイメージがあるかもしれません。しかしながら抗うつ薬は、数週間から数ヶ月を経てようやく効果が出てくるものです。
神経伝達物質の再取り込みを阻害して濃度を上げるという作用機序であれば、すぐ効きそうなものですよね。この点は謎に包まれていました。少しでも早く、つらいうつ症状から脱出したいと思って薬を使うわけですから、これは問題ですね。なぜ、効果が現れるのに時間がかかるんでしょうか。
飲み初めは逆の作用を示す?
今回はうつ病治療に今日よく用いられているSSRIに着目してみましょう。
SSRIはセロトニンに関係する薬です。セロトニンなどの神経伝達物質は、その総称を「モノアミン」と言います(モノはひとつという意味で、ベンゼン環にアミンという構造がひとつついた形をしている物質の総称です)。このモノアミンの欠乏がうつ病の原因となる神経回路の活動異常を引き起こしているとされ、それをモノアミン仮説と言います。
SSRIはこのセロトニンの再取り込みをするためのゲートである”トランスポーター”という物質を阻害することで、脳内の濃度を高めようとする薬です。
飲み始めて1−2週間は、副作用として吐き気や眠気やめまいなどが生じることが知られています。これは実は、セロトニンの再取り込みを阻害した結果として短時間の間に起こることです。なのでこれはある意味、即効性の影響が出ているわけです。ただし期待される効果はここではまだ出てきません。
セロトニンによって作動する神経細胞の活性化はうつ病改善への一歩目となりますが、ここで副作用が発生しているわけです。
少し専門的な話をすると、SSRIによってセロトニントランスポーターが阻害されることによって神経細胞同士の繋ぎ目であるシナプスの隙間でセロトニンの濃度が上がります。これは数時間以内に起こる反応です。これによって不安やイライラの感情が一時的に発生する可能性があります。
そこから数日-数週間かけて、セロトニン神経は一度抑制されるというフィードバックがかかります。そこからの反動で、今度は活性化されていくようになります。この反応の後、今度はさらに別の神経細胞(ドーパミン神経細胞など)が活性化したり、神経新生(神経細胞が増殖すること)したりすることによって、次第に神経回路全体が変化していきます。
そうなってようやく、抗うつ効果が現れてくると考えられています。ここまで大きな変化が脳に起こるわけですから、数週間という期間がかかるのです。
しかしながらSSRIの効果が現れるための時間や効き方には個人差が大きく存在します。どうやって他の神経細胞が活性化したり増殖したりするに至るんでしょうか。何が神経細胞を変化させているんでしょうか。
グリア細胞
そこで、僕がまさに研究している分野が関わってきます。従来は主に神経細胞の働きだけでうつ病が考察されてきたのですが、脳に存在する細胞のうち神経細胞はたった10%程度です。そのほかの細胞は何をしているのでしょうか。
脳にはとてもユニークで面白い細胞がいます。グリア細胞という、神経細胞のように電気的な活動はしないものの、何やら活発に神経回路活動に関わっている細胞がいるということがこの100年で徐々に明らかになってきました。
グリア細胞はいくつかの種類がいて、教科書的には3種類が知られています。僕が研究しているミクログリアという免疫細胞、オリゴデンドロサイトという、神経細胞の突起を脂の膜で包むことで絶縁体を形成している細胞、そして3つの中で最も大きくて神経を構造的に支えているとも言われていたアストロサイトです。
今回着目したいのはアストロサイトです。アストロサイトは神経細胞に栄養を供給するという重要な使命も担っています。そのため、神経細胞の隙間を埋めるようにびっしりと存在していて、細かく無数に存在する神経のシナプスをひとつひとつ包み込んでいたりします。SSRIはシナプスに作用してセロトニンの濃度を調節する働きでした。では抗うつ薬を飲んだ時、アストロサイトはここで何をしているんでしょうか。
抗うつ薬は神経細胞のみならず、グリア細胞の仲間にも作用している
2018年に山梨大学の研究グループが行なったマウスを使った研究(参考文献1)によると、「SSRIを投与するとアストロサイトにも作用している」ということが明らかになりました。
アストロサイトはSSRIが作用すると、ある物質を放出しました。それはATPです。
ATPはアデノシン三リン酸という物質で、細胞が使うエネルギーの通貨とも呼ばれる物質です。これが細胞の中からわざわざ出てくるというのは、なかなか興味深い瞬間です。
ATPは細胞外では分解されて、アデノシンになります。アデノシンはそれ自体がシグナル分子とも呼ばれていて、他の細胞に情報を伝達する役割を持っています。
今度はアデノシンがもう一度アストロサイトによって認識されます。そうするとさらにアストロサイトはBDNF(brain-derived neurotrophic factor)という物質を出し始めることがわかりました。これは神経栄養因子と呼ばれる物の一つです。神経細胞が生存したり増殖したりするのに重要な物質です。BDNFの神経を増殖させる働きは、うつ病の改善に関わることが知られています。
次にアストロサイトからATPが放出されないような遺伝子操作をしたマウスを観察すると、SSRIを投与してもBDNFが作られませんでした。逆に、ATPの放出をたくさんするようにしたマウスでは、SSRIによる治療効果が高まったのです。
これらの結果から、既存の抗うつ薬の作用機序の新たな側面が明らかになりました。SSRIは神経細胞だけでなく、アストロサイトにも作用していて、神経栄養因子の放出を介して抗うつ効果を発揮しているのです。このアストロサイトもまだ謎が多い細胞ですが、他のさまざまな細胞とも相互に作用しあって機能しています。それが抗うつ薬の時間的ラグにつながっていて、このラグこそが抗うつ薬の効果を発揮するための時間だったんですね。
これまでうつ病の領域では神経細胞とグリア細胞の機能の関係を明らかにした研究は多くはありませんでした。今後は新しい治療標的としてアストロサイトに着目した研究が進むことも考えられますし、他のグリア細胞も関わっているかもしれません。いろいろな種類の細胞がオーケストラのように協力しあって機能している脳ですから、それぞれの細胞の役割を研究によって明らかにすることで、そのハーモニーをうまく調整できるようになるでしょう。
あとがき
ところで、脳の中には、ATPにものすごい速さで反応する細胞がいます。それが”ミクログリア”、僕の研究している細胞です。本来ATPは細胞の中だけに存在する物質です。それが外に出ているということは、細胞が死んでしまったり何か異常が発生したのではないかと、一目散に駆けつけるのです。このミクログリアは神経細胞の活動を制御する能力もあることが明らかになってきているので、今回のアストロサイトと神経細胞のやり取りにも関わっているんじゃないかなぁと妄想しています。
この研究が脳の疾患の治療や予防に活かせるような発見につながればなぁと思いながら実験をしています。
【参考文献】
1)Kinoshita, Manao et al., Anti-Depressant Fluoxetine Reveals its Therapeutic Effect Via Astrocytes, eBioMedicine, Volume 32, 72-83, (2018) DOI: 10.1016/j.ebiom.2018.05.036