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【音楽と脳科学01】音楽が嫌いな人、いない説?!

今回から新しいシリーズを始めたいと思います。
題して、「音楽と脳科学」。(そのまんま…笑)

昨年一時帰国した際に、とても興味深い本に出会いました。脳科学と生理学の研究者である田中 昌司先生と伊藤 康宏先生による『音楽する脳と身体』です(田中 and 伊藤, 2022, 参考資料1)。

この本では、音楽と脳の機能に関して幅広く興味深い内容を取り上げてくださっています。僕自身が脳の科学者として、そして音楽を愛するものとして、非常に面白く読ませていただきました。このようなテーマにご興味のある方はぜひ一度書店で手に取っていただきたいと思います。

このシリーズでは、音楽にまつわる研究結果を切り口に、僕なりの体験などを交えて、よもやま話のご紹介させていただきたいと思います。

音楽が嫌いな人、いない説

ふと思ったことがあります。
「音楽が嫌いな人はいないんじゃないか」

音楽を聴くことは、時に気分を盛り上げてくれたり、時に悲しい気持ちに寄り添ってくれたり、あるいはリラックスを促してくれたり、さまざまな感情への影響があることはみんなが認めるところだと思います。

世界中の民族が、国や集落を超えて、言葉を解さずに理解し合えるものの一つとして、”音楽”は普遍的な人間の営みだと言えます。

もちろん、好みはあるでしょう。ジャンルの好き嫌いはおそらくある。
でも”音楽”そのものに関しては嫌いだと思う人はいるのだろうか?
もし嫌いな人がいないとすれば、唯一世界が分かり合えるとしたら、それは音楽を通してではないだろうか。そんな問いが思い浮かびました。

音楽が聴きたくなるとき

日本で「音楽を聴きたくなるときはどんな時か」というアンケート調査が行われました。スマートフォンなどでいつでも手軽に音楽を聴くことが浸透している大学生を対象に、音楽を聴く時間や聞くタイミングを尋ねたものです(参考資料2,3)。

183人から回答を得て、そのうち27%の人は1日のうち1−2時間は音楽を聴くという回答をしており、もっとも多数派でした。一方で11%はあえて音楽を聴く時間はないと回答しています。また、音楽を聴きたくなるタイミングは1位が楽しい時、2位が落ち込んだ時、3位が疲れた時、となっています。

興味深いのは、音楽を聴かないという人もいた一方で、音楽が嫌いだと答えた人は0人でした。”音楽が嫌いだから聴かない”という訳ではないのです。考察として、世に音楽が溢れているからあえて音楽を聴く必要がなかったのではないかとされています。

この研究は人数も国籍も限られた検証ですが、嫌いな人が一人もいなかったというのは興味深いです。誰しも好き嫌いはあれど、音楽全体としてネガティブな感覚は無いということでしょうか。

音楽自体がストレスになるとき

このアンケートの中に、逆に音楽が嫌になるときはどんな場合かという質問も含まれていました。それによると「歌い方」や「演奏がうるさい」ということが曲を聴く手を止める理由の上位でした。
人によって曲調に好き嫌いがあるためだと言えるでしょう。
つまり、好き嫌いという感情によって音楽がストレスになることはありそうですね。

音楽というもの自体は人類において普遍性の高い文化と言えると思いますが、その中で何を好むかということには違いがあります。
これは曲を聴いてきた背景や、どんな記憶がリンクしているか、そういった個人個人のさまざまな要素が絡んでいるからだと思われます。これをコントロールして実験や調査を行うことは難しいので、なかなか研究は難しいかもしれません。
(好き嫌いにおける脳の機能はとても奥が深いので、また改めて別記事でご紹介できたらと思います!)

その一方で、実は音を聴くことそのものを好まない方もいらっしゃるのも事実です。
例えば、聴覚過敏という病的な状態に置かれている方がそれに当てはまるでしょう。わずかな音であっても集中を乱されたり、大きくノイジーに聞こえてしまう症状ですね。確かにその状況で、音楽という聴覚からの刺激を心地よく感じるのは難しいかもしれません。

ではもしかして、音楽を聴くことを好まない人には”音楽療法”って逆効果なのでしょうか?音楽がもたらす良い影響は必ずしも全員にいいものでは無いのでしょうか?

音楽療法の効果と影響

そもそも音楽療法と耳にしたことはあると思いますが、それはどんなものでしょうか。音楽療法は、音楽の作用によって健康の維持、心身の障害の機能回復、生活の質の向上などを目的としたものと説明されます。

でも音楽を聴いたり歌ったりすることの、何が具体的に効果的なのでしょうか?
これは実はさまざまな研究がなされており、一つはストレスの軽減という効果があります。

人間関係などの精神へのストレスや、感染症や怪我などの体へのストレスを受けると、コルチゾールというホルモンの濃度が上昇します(糖質コルチコイドという名前で習った人も多いと思います)。これは腎臓のすぐ上についている副腎皮質という部分で作られるのですが、嫌な思いをしたり体に負荷がかかった時に放出されるホルモンです。

モーツァルトの楽曲を聴いてもらった被験者のコルチゾールの量が減少したという報告などがありますが、つまりこれはストレスによって引き起こされる体の反応が音楽鑑賞によって軽減されたということを示唆します。

しかし、そもそもなぜストレスでコルチゾールという物質が体内で生成されるのでしょうか?

それには体の恒常性を司る”神経内分泌系”という体の機能が関係しているので少しご紹介します。少々難しい言葉ですが、視床下部-下垂体-副腎系(hypothalamic–pituitary–adrenocortical axis, HPA)と言います。HPAはうつ病や双極性障害、ADHDやPTSDなど感情に影響が生じる疾患に関わります。

コルチゾールは血糖値を上昇させる働きがあります。つまり、細胞のエネルギー源であるグルコースが血中を回り始めるんですね。

なんでこんなことをするかというと、ストレスの対象と戦ったり逃げたりするためと考えられています。捕食者から逃れるためのエネルギーの準備として進化した能力ですね。
ストレスによって同時に放出されるアドレナリンなどは、心拍数を高めるためにドキドキしたりしますよね。これは酸素を全身に素早く届けるためでしょう。

つまり体では「今から苦痛を受けるぞ、逃れる準備をしよう」とする反応が起きます。なので、ストレスはまさに体に負担をかけているのです。これが神経に影響を与えるため、度重なるストレスは心や感情にも悪影響を及ぼします。
現代で受けるストレスは基本的には自然界の動物のそれとは状況が異なりますよね。なので、このストレスの反応を緩和できる方法があるならばそれを試そう、ということになります。

そこで前述の通り、音楽鑑賞はコルチゾールを抑えることに効果があることが認められています。これが音楽療法の一つの仕組みです。

では逆に、嫌いな音楽を聴かされた時、あるいは音楽を聴くことを好まないという人が聞かされた時、同様にコルチゾールは減少するのでしょうか?
実はこれに関する研究は多くありません。いくつかの研究では初めて聴く悲しい音楽に対する反応が調べられていて、ストレス反応が増えているようです(参考資料4)。

一方で、暗い音楽は人の深い悲しみの感情を軽減する効果も報告されています(参考資料5)。音楽療法ではいわゆるポジティブな気持ちに焦点が当てられているものが多い気がしますが、音楽が悲しみの感情とどう関係するか、嫌悪感を抱かせる曲や、そもそも音楽が嫌いな場合にどんな影響があるかはまだまだ謎が多そうです。

おそらくは、嫌いという感情が動く場合には、体はむしろストレス反応を起こし、コルチゾールが増加すると考えられるでしょう。その結果として音楽療法が逆の効果になる場合もあるのではないかと思います。多くの人で音楽を聴くことは良い影響があるかもしれませんが、無理して聴く必要はもちろん無いということです。音楽と書いて字の如く、音を楽しむ感覚が必要なのではないかと個人的には思います。

音を介さずに音楽を楽しむ⁈

ここまで、音を聴くことによる感情と影響の話をしてきましたが、音は空気の振動によって伝わるものです。その振動は耳の細胞に伝わって、”脳で”音として認識されます。その耳に異常が起こると、音が聞こえない、あるいは生まれつき聴力がない方がいらっしゃいます。

そのような音楽を”聴いたこと”がない方へ音楽を届けたい、という思いから生まれたデバイスが存在します。
メディアアートの専門家として知られる落合陽一さんが取締役を務めるメーカーと音楽家が協力して制作した、SOUND HUGというデバイスです(6)。球体で、音の信号によって振動したり、光ったりします。それを抱えて耳以外の五感で音楽を感じることができるというものです。

耳で聴かない音楽会というコンセプトのイベントも行われたようです。聴覚障害があっても、振動によるリズムを感じられるという画期的な試みだと思います。

音以外から伝わる音楽というものはとても興味深いです。
音の情報は脳で処理されているのと同様に、体から伝わる触覚や視覚も脳で処理されることで認識されます。

僕も実体験として、電子ピアノにイヤホンを繋いで弾いた時と、グランドピアノで音を出して弾いた時では何か体で感じるものが違う気がします。あるいは、お祭りで太鼓を聴いた時、お腹の底から聞こえてくるような感覚がありますよね。その一つは耳以外の部分が振動するかどうかだと思います。人は音楽を耳だけではなく、全身で聴いているんですね。

確かに音楽のルーツはおそらく、手を叩いたり木の棒か何かを叩いたりして出した音だと僕は想像しています。それがやがてリズムとなり、なんかいい!となって音階がついて、さまざまに発展してきたのでしょう。
そもそも人間は一生を通して、心臓という臓器がリズムを刻み続けていますよね。ですから、ものが生み出す振動、そしてそのリズムというそのものに対して本能的に心が動くのではないでしょうか。

そんな”聴覚抜きで得られる感覚”は、果たして音楽を好まない人にはどう届くでしょうか。聴覚過敏の人は振動や光による音楽はどう感じるでしょうか。これらに関して答えはありませんが、誰かが何かを伝えたいという想い、そして一生懸命な演奏というのは、単に空気の振動という物理現象を超えて、さまざまな人に感動を呼び起こすものなのではないかと僕は思います。

つまり、世界が分かり合えるものがあるとすれば、それは音楽ではなく、”音楽にかけた人の想い”なのかもしれない。それが今回の問いへの僕の一つの仮説です。

参考資料

(1)田中昌司, 伊藤康宏 (2022):『音楽する脳と身体』コロナ社, https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339078268/
(2) 松田真谷子, 厚味高広, 鈴木茂孝, 伊藤康宏, 長村洋一 (1998):「心がやすらぐ」「心がいやされる」と感ずるのは,どんな音楽を聴いたときか,日本バイオミュージック学会誌, 16(2), pp.201-208
(3) 松田真谷子, 厚味高広, 伊藤康宏 (2001): 如何なる種類の音楽を聴いたとき人は元気がでると感じるのか、日本音楽療法学会誌, 1 (1), pp.87-94
(4) Eerola, T., Vuoskoski, J.K., Kautiainen, H., Peltola, H.-R., Putkinen, V. and Schäfer, K. (2021), Being moved by listening to unfamiliar sad music induces reward-related hormonal changes in empathic listeners. Ann. N.Y. Acad. Sci., 1502: 121-131. https://doi.org/10.1111/nyas.14660
(5) 松本じゅん子 (2002)音楽の気分誘導効果に関する実証的研究, 教育心理学研究, 50, 23-32
(6) SOUND HUG, Pixie Dust Technologies, Inc.

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